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死にたいと思ったことはありますか?

 過去に「報われる」について記事を書いた。

 この記事にも書いたが、十八歳の頃、よく周囲の人に
「今まで生きてきて報われたことってありますか?」と質問していた。

 同じ頃にもう一つ、問いかけていたことがあったのを、ふと思い出した。
 それは、「死にたいと思ったことはありますか?」である。
 この質問をすると、多くの人からこう言われた。

「死にたいって簡単に口にするな」
「生きたくても生きられない人のことを考えろ」
「神は乗り越えられる試練しか与えない」

 言いたいことはわかるけれど、それは別の話であって論点が違うと思う。
 訊かれた方は悲しかったかもしれないが、私も絶望的な気持ちになった。

「死にたい」は、「生きたい」なんだ。

 生きたいのに、生きることから逃げ出したくなるほど苦しい人はどうすればいいのか、それを知りたかった。そう訊けばよかったのかもしれないが。
 ちなみに過去の記事に出てきたTさんは、これについてはただ一言、「ない」と答えている。

 私やTさんと同じドラッグストアのアルバイトに、Kさんという中年女性がいた。彼女は長年切っていないであろう、腰まであるチリチリの長い髪を揺らしながら品出しをし、虫歯だらけの欠けた歯で、静かにお客さんへ挨拶していた。どんより暗い影を纏っているが、そのわりに目鼻立ちは整っており、長年このバイトを続けている不思議な人だった。

 皆、彼女を避けているのは明らかだった。仕事に関わる必要最低限の会話のみ交わし、それ以外は誰も何も話さなかった。話してはいけない雰囲気すらあった。
 だが当時の私は、死に対する執着が凄まじかったので、藁にも縋る思いで皆に質問していた。漏れなく彼女にも質問したのである。
 それはKさんの昼の休憩時間。周囲に誰もいないことを確認し、倉庫兼休憩室となっている部屋のデスクで弁当を食べている彼女を訪ねたのだった。

「Kさん、ちょっとお聞きしたいことがあるのですが、今よろしいですか?」
「・・・・・・はい。いいよ」
「突然なんですけど、死にたいと思ったことはありますか?」

 彼女は食事の手を止めて私を一瞥した。だが、表情を何一つ変えずに淡々と答えた。

「一回、あるよ」

 正直なところ、彼女なら「ある」と言ってくれることを期待していたため、大変失礼だが、嬉しい気持ちになった。

「えっ! それはいつですか?」
「中学生の頃」
「そうなんですか。中学生のときに何かあったんですか?」

 彼女は問いに対して最低限の情報しかくれない。だから何度も執拗に質問しなければならなかった。
 今振り返ると、私も世間知らずでよくここまでずけずけと他人の繊細な事情を訊いたものだ。

「当時、みんなから嫌われててさ。唯一友達だった人も離れていったんだよね」
「じゃあひとりきりになって、死にたいって思ったってことですか?」
「まあそんなところ」
「あの、訊いてもいいですか? どうやって乗り越えたんですか?」

 私は前のめりになっていた。ここまで聞きたかった答えが得られたことはなかった。
 Kさんなら私の知りたかったことが聞けるかもしれない。この苦しみから逃れる、生きるためのヒントだ。

「まあ、わかってくれる人だけ、わかってくれればいいって気付いたことかな」

 Kさんの言っていることが、わかるようなわからないような。思った以上にシンプルで抽象的な答えだった。

「えっ、つまりどういうことですか? もう少し具体的に教えてもらっていいですか?」

「万人に好かれようと思っても現実的に無理なんだよ。みんな、それぞれの都合で勝手に人のことを決めてるでしょ。合うとか合わないとか。そんなものに気を取られてたら生きていけない。それよりも自分をわかってくれる人がいたら、その人を大切にしようと思った」

「・・・・・・じゃあ、そう気付いてから、生きようって思えたんですか?」
「うん、まあ。生きるのが楽になった」

 ここまで赤裸々に話してくれるとは驚きだった。地味で冴えないイメージのKさんはそこにいなかった。一人の人間として、誰よりも自分らしく生きる、凛々しい彼女の姿を見た。
 私たちはKさんのことを何も知らないで、知ろうともしないで、勝手に決めつけていた。「わかってくれる人」の側ではなかったのだ。そうわかったとき、自分のずるさや醜さに気付いた。
 わかろうともしていないのに、わかってほしいだなんて、私はなんて傲慢な人間なのだろう。
 Kさんの言っていることをはっきりと理解したわけではない。まだ腑に落ちない部分もある。だが、これを機に、この質問は辞めることにした。

 数日後、アルバイトのメンバーで食事会を開催することになり、幹事を任された。そこで思案した末、先輩にこう訊いてみた。

「Kさんを誘ってもいいですか?」

 あのときのKさんの答えはすばらしかった、と今は思う。
 そのことをわからなかった未熟な私を、Kさんはどう思っただろうか。
 少しはわかろうとしたことを、わかってもらえただろうか。
 時々、思い出すのである。


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