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25歳になったので人生振り返ろう〜宗教編〜#2


続きです。


母親と宗教


うちでは特に母親が熱心な信者でしたので、幹部という役職につき、団体内では割と有名人でした。その熱心な信者の娘となれば、同じく信心深いのでしょうという眼差しが、団体内の母親の知り合いから向けられます。
もちろん母親の顔を立てたい気持ちもあるので、不必要なことは言わずニコニコと笑っていればいいと思い、その場も難なく切り抜けました。(年を重ねるごとに布教活動などに勤しむ二世が増えるため、私はそういったものからはなるべく遠くにおり、周りもだんだん察してはいたと思うので、親の顔を立てることは結局できませんでした。)

幹部ともなれば、座談会、総会、様々な催しに参加しなければならないようで、専業主婦だったことも好じ、母は家にいないことがほとんどでした。
いたとしてもパソコンに向かい、スピーチ用の原稿を熱心に書き上げていたので、小さい頃に母と遊びたくてトランプを持って行きましたが断られて2度と誘わないと思ったことがあります。

運動会、授業参観、学校のイベントですら団体の優先に勝ることはありません。代わりに祖母がよく来てくれました。思春期に入ってしまえばむしろ来なくていいとさえ思っていたので、私にとっては都合がよかったですが、幼い頃の私は寂しい思いをしたこともあったでしょう。

それは誕生日であっても例外ではありません。
もちろんなるべくいるようにはしてくれていたと思いますが、遠くの会合に行ってしまえば帰ってくるのは23時すぎ。
18時頃に従兄弟が来てくれて一緒にご飯を食べて、父親が21時頃に寿司を片手に帰ってきて(父親は寿司屋を営んでいました)、母が作り置いてくれたケーキを食べて22時頃にはお開きです。
初めから終わりまで母親がいてくれたこともあったかとは思いますが、寂しい思いをしたことの方が覚えているものですので朧げにしか記憶にありません。
母が手作りしてくれていたケーキは、いつしか私が作るようになりました。お菓子作りのような作業が好きだったから、でもありますが、どうして自分の誕生日ケーキを自分で作らなくてはならないのかと虚しくなったこともあります。

そこから私は、楽しい誕生日、というものに憧れを抱き、今でもそれは欠片のように残っています。

上京と宗教


高校卒業後、東京の大学に進学しました。

やりたいことは特になくても、将来を漠然と考えている時から、未来の私の居場所はここではないんだろうなと、東京に行くんだろうなと思っていました。田舎生まれの方はそう思う方が多いかもしれません。
ただ私は、その憧れと、家族から離れたいという思いが合わさり、田舎に残るクラスメイトを不思議がるほど、行くのが当たり前くらいに思っていました。

初めての一人暮らしは、それはそれは素晴らしいものでした。
終電が20時で終わる田舎でしたので、夜は車がないと動けません。反発心からなのか、そもそもの良心からなのか親に送り迎えをしてもらうという行為をなるべく避けたかった私は20時以降で遊びに出るようなことは滅多にしませんでした。
20時なんて飲み会が始まる時間、25時はバイトが終わる時間、終電がなくても4時間待てば電車はくるし、4時間の暇を潰す場所なんていくらでもある。

初めての上京先は府中という23区外の街でしたが、京王線で新宿まで一本だし、駅前には飲み屋やマクドナルドがあって、駅前に産地直送の直売所と聞いたことのない名前の100均しかない田舎に比べれば天国でした。

そして何より親の目がない、いつ帰ってきたって、いつ遊びに行ったって、いつ何を食べたって、何を食べなくったっていい、そしてもちろん、勤行をしなくたっていい。

ですが、上京したての数日間、本尊の位置を確認して、何もない壁に向かい数珠をつけて題目を唱える私がいました。

毎日のように、しなければならないこと、と教え込まれていました。
しなければバチが当たる、仏様は見ているよ、としないことへの恐れも刷り込まれていました。

しないことはなんだか悪いことをしているようで、面倒だししたくないことなのに、勤行をすればそのモヤモヤがなくなったのは事実です。
ですがそれは例えて言うなら、手のつけていない宿題が残っている感覚が毎日ある感じです。

したくないし信じてない、信じてないのに唱えたって意味はない、なのに唱えないと災いが降りかかるかもしれないとも思う、だから唱えてみるけど災いがこれのおかげでふりかかっていないかなんて、誰にも分からない。

元々怠惰な性格でしたので、学校、居酒屋のバイトで昼夜逆転のような生活を送っている中、いつの間にか宗教や勤行のことを考える時間すら無くなって行きました。あ、そういえば何日もしてないや、と気づくたび、罪悪感は安堵感に変わっていきます。

大丈夫だ、勤行しなくたって生きてる、ちゃんと一人で生きてる。

そう確証が得られてからは、自分で ”しない” という選択ができるようになったのです。


(続きます。)


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