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深呼吸するみたいに


6月15日以来ちょうどひと月、我が家はちゃま(うちの旦那様)のいない生活が続いています。この前約20日ぶりに会うことが出来たけれど、またこれからしばらくは会えません。電話では毎日のように話せても、直接会うことが叶わない、今日この頃なのです。


ちゃまは今、入院しています。
1ヶ月前のあの日。朝早く、ちゃまが階下から「おい、おい」と呼ぶ声で目が覚めました。吹き抜けから見下ろすと、廊下にちゃまが倒れてました。脳梗塞でした。


おかげ様で、意識もあったし、発見も早かった(多分)し、手術ではなく投薬治療で、予後も良く、先日、リハビリの為に転院しました。ここからはちゃまの努力次第というわけです。そうなんです。右半身のコントロールが少し効きづらいようなのです。でも安心してください。元気です。


そもそも、入院した日、ちゃまはパンツ一丁で担架に乗せられ救急搬送されたのですが、病院で待っている時、私がサインする書類の中に『持参物確認書』というのがあり、そこには


"下着 パンツ一枚"

とだけ書かれていて、思わず「こんなのにもサインが要るんですね」と尋ねたら、看護師さんも「そうなんですよ、こんなのにもサインが要るんです。すみません」と2人で笑ったら、少し気持ちが明るくなって、ちゃまはその場に居なくてもこうやって私を笑わしてくれるんだなって思って。


入院した次の日には病室(というか、まだICUみたいな所にいたのですが)から電話をかけてきました。その内容が、まるで家にいるみたいに自由で、そこでもまた看護師さんの苦笑する姿が思い浮かぶようでした。病院のご飯があまり食べられないことについて看護師さんが心配してくれたのですが、「家でもそう(少食)だったって(電話で)看護師さんに言ってくれ」と、無理矢理看護師さんに電話をかわったりとか。


「暇だから、新聞でも買って読みたいのにお金が無くて買えないんだけど」って不満そうに言ってきたり。コーヒーを飲んで良いとお許しが出ると、今度はコーヒーを買うお金も欲しいって言うし。暇ならテレビでも見れば?と言うと、そんな気分じゃないとか言ってたのに、一般病棟に移った途端に「テレビカードを買ったら、もうお金が無い」って。しかも、ホントは病室にお金を置いちゃいけなかったらしく、看護師さんが詰所で預かって管理してくださっていたことを後から知りました。新聞もコーヒーもテレビカードも、全部看護師さんが買いに行ってくださっていたのです。


私が泣いたのは、入院したその日、家に帰ってから一度だけです。ちゃまがいない家の中で、ちゃまの存在がこんなにも大きかったのだと初めて気付いたのです。そこにいるのが当たり前だった、まさに空気みたいな存在。だけど、空気が無くなったらこんなにも苦しいものなんだと思って。そうか、空気みたいな存在って、そういうことかって、初めて気付きました。


でも、こんな言い方は変かもですが、良かったって思う事が沢山あって。
例えば、

*倒れたのが家に家族がいる時間で良かった。もしこれが昼間一人の時だったら、手遅れになってたかも知れないし、運転中とかだったら自分だけじゃなく他人に迷惑をかけてしまうような事になっていたかも知れない。

*この5月で仕事を辞めて、事務所の片付けが終わったタイミングだったので、仕事関係の人に迷惑をかけなくて良かった。

*大好きなお酒やタバコ、特にタバコを自分から止めるのはなかなか難しいけど、やめざるを得ない良い機会になった。

*他の悪い所や、気をつけた方が良い事が分かって、これからそれに気をつけて生活できる。

*お金の事や、家の中の事を、日頃からちゃまがきちんとやってくれてた事がよく分かりそのことへの感謝と、私がいかに世間知らずで且つちゃまに頼っていたかが浮き彫りになって、反省と学びの機会を得た。

*娘2人がとても頼りになる事をあらためて知った。


いつか何かが起こるのだとしたら、今回の事はいろんな意味で最善だったと今は思えます。どんな事でも良い面と悪い面はあるし、もちろん日頃からもっと健康に気をつけていればこんな事は起こらなかったのだろうけど、起こってしまったからこそ何かに気付けて、起こってしまった事を良き機会と言えるようになる様に、そこからまた一歩前進すれば良いと思うのです。今は、“全てのことが間に合った”そんな気持ちです。


ちゃまの入院で、私は私の毎日の暮らしが以前より丁寧になった気がするし、今ならちゃまの事を大切に思う気持ちに素直になれるし、2人で一緒にもっと生きていきたいし、でももしかしたらそれはそんなに長い時間じゃないのかも知れないとも思ったし、だとしても今、というかこれからの方が、きっと今までよりもお互いを大事にいたわりながら生きていける気がしています。ただ空気を吸って吐くだけじゃない、もっと深く、深呼吸するみたいな。


だから、ちゃまが帰って来るまで私はもっと頼りになる奥さんになってたいと思うのです。


追伸:6月15、16、17日の記事にコメントくださった方々へ
コメントにお返事をせず終いでごめんなさい。ちゃんと読ませていただいています。皆さんからの“いつも通り”なコメントが、あの頃の私をどれだけ元気づけてくれたことか。皆さんには事情をお知らせしていない中でのことではありましたが、「noteには皆さんがいる。また此処に帰って来たい」と心から思いました。あらためてお礼申し上げます。ありがとうございました。どうかこの記事を読んでも深刻な感じに受け止めず、ポップに笑ってもらえたら光栄です。



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