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幽霊とは何か・・

 幽霊を見たことのある人はそんなに多くは無いとは思うが、皆、実は見ていても気づいていないだけなのかも知れない。幽霊を見た人にはそれが幽霊だと言う認識を持てるから「幽霊を見た」と他人に語る事が出来るのだが、幽霊を見てはいても、それが幽霊だとわからなければ自覚が無く、自分の中でも「でたぁ~」と言う問題定義とはならないだろう。それは極普通の景色で、その人は幽霊を見過ごしている事になる。

 そう言った意味で自分の事を考えると「私は見た事はある」つまり、それを、幽霊と認識し確認する体験をした事実がある。まどろっこしい言い回しだが、簡単に言えば「幽霊は見た」のである。しかもいくつも見た。もちろんこれらは創作される筆の材料ではなく、体験を書き語るもの。そして、その感情には、残念ながら「でたぁ~」と言った衝撃的な印象は無い。極現実的普通の様相。

 それは、まず、私が20歳だった大昔、入院中の出来事。しかも昼間。入院と言っても、交通事故だったので、骨折での入院加療中のみで、命のやりとりをしている時ではなかった。見たモノは人の頭部。恐らく中年男性だったと思う。色は黒っぽい。3mはあろうかと言う病室天上のほんの少し下を、その頭部だけが病室の廊下側入り口から突然現れ、ドアの無いガラス張りの窓際にまで移動し、病棟の外へ消えて行った。表情は「むん」としていた印象。
 目撃が私だけであれば、入院の中、投薬の影響や精神ストレスが幻覚として認識されただけのもの、だと考える事も可能なのだが、同じ病室、真向かいの、私より少し年輩男性入院患者も、同時にそれを見たらしく、頭部が窓の外へ消えた後、私はその男性と顔を見合わせ、お互いに声をかけた。「今の見ました?」私だけの幻覚で無かった事に安心と確信を持ち、互いの記憶を少し辿る。
 その見たモノに対する認識は合致していたので、やはり同じモノを見たとの見解。それは、繰り返すが、頭部のみ、男性、色は黒、顔立ちは不明。私にも、その男性にも、それを見た事による恐怖を感じる事は無かった。「あれは何だったのか」確かに、目撃者二人はそれぞれ自分の目で、それを確認したのである。
 それが幽霊であったかどうかはわからないが、少なくとも、この世界にあるノーマルな現象目撃では無かった事は確か。つまりそれは、この世のモノではない、幽霊と称しても良いモノだったのだと思う。しかも昼間雑踏の中でのハッキリとした出来事。

 2番目は、聴いたと言う話。やはりこれも入院中の出来事で、病室6人部屋、天井中央には、患者呼び出し用のスピーカーがあるのだが、恐らく、この辺りから聞こえてきていたであろう、若い男性の声。
 
 当時の(約40年前)病院は、面会時間ともなれば、お見舞い客でごった返す日々の繰り返しだった。特に6人部屋ともなれば、毎日誰かが見舞われていたものだ。そんな中、既得な見舞い客は、部屋中の人に、持参したお見舞い品をふるまう。その日、振舞われたショートケーキは、中には食べない人もいたので、持参して来た見舞い客が気を遣い、他の5人の一人一人に、食べるか?食べないか?聞き取りをしていた。〇〇さんケーキ食べます?の繰り返し。
 3人目への問い合わせが終わった頃だろうか、その病室天上中央にあるスピーカー付近から「おれいらん」の一言。その音は、空気の振動ではなく、心に直接響いた様なことば。
 ハッとして目が合ったのは、やはり、前記の、あの頭部を同時目撃した、目の前のベッドで寝そべっている入院患者の男性。「聞こえました?」男性は身を起こし、私からの問いかけに頷く。何か別の音の聞き違い?しかし、その意味は、はっきりとしていて、状況に対する解答として合致している。「ケーキ食べます?」「おれいらん」
 男性に、声の印象を確認すると、若い男性。これも一致している。真昼間、私達が聞いてしまった天上からのはっきりとした意味合いの、あの声は、果たして何だったのか?まさか二人揃って同じ言葉、同じ幻聴を聞いた、とは考えられない。

 もっと言えば、キリがないくらい、このような経験をしている事に思い当たる。

 古い建物の宿泊先で、夜中勝手に電源が入ってしまうテレビ。もちろんリモコンの誤作動では起り得ない状況下で。
 本体の故障も考えられるが、故障等ではない。なぜなら、このテレビシステムは、宿と同じく古く、別々に設置されているデジタルチューナーとテレビ本体、両方の電源を入れ、特設チャンネルに切り替えなければ画像が出ない複雑な構造。だから、偶然や、故障で、テレビ画面が勝手に映る事は不可能。

 これも宿泊先だが、ホテルベッド下に脱いだはずのスリッパが、そのベッドから3mも離れた「合わせ鏡」前にまで、勝手に移動し、綺麗に、揃えられていた。そんな所にスリッパを脱いでベッドにまで裸足で移動する人はいない。もちろんそのスリッパをベッド下で無造作に脱ぎ置いたのはこの私。
 
 更に、そのホテル天上裏から私のベッドに向かって忍び寄って来るトントントン、と言うハッキリとした足音。さすがにこの時は、私の真上にその足音が来る前に部屋を飛び出した。
 
 完全静止画写真なのに、動画の様に不気味にユラユラと画面奥で何かが動いている神社を撮影したスマホ画像。その静止画像奥は、焚火の様に、赤い何かが左右に揺れ動き続けている。私の目の錯覚?友人にでも確認して欲しかったのだが、何か奇妙な感覚を覚え、画像はすぐその場で削除。

 残業をしている時、階下から誰かが登って来た派手な足音はしたものの、その人物を2階で見つける事が出来なかった事実。一体誰が、何が、上がって来たのだろうか。

 コンビニで買い物中、普通に見かけ、買い物している人だったはずなのに、突然、煙の様に消え、店内からいなくなった。見間違い、勘違いかも知れないが、その人物の残像が残ってしまっている不思議な感覚。それがそれであったのではないか?と言う疑念を、拭い去る事が出来ない。

 私しか事務所にいないにも関わらず、その勤務先店舗にある用具入れにつるしてあった掃除道具一式が、バラバラと突然音を立て一斉に落下。拾って元に戻すのに少し恐怖を感じた。2度目は無かったが、また落ちるのではないのか、と言う恐怖。

 一体、私達の廻りで何が起こるのか?何が起こっているのか?何が起こり得るのか?
 幽霊を見た、とはっきり確認、認識している人はそんなにも多くはないとは思うが、しかし、実は、私達は幽霊の真っただ中で生きているのかも知れない。肉眼で見えるモノは一部であって、しばし、なんらかの都合で、肉眼では見えない、空気の振動では聞こえないモノを、私達はある時、何かの拍子に見せられ、聞かされ、体感させられる。
 その理由は不明だが、それら現実を、幽霊と結びつけず、気づかずにいる人と、特別な違和感を感じる人の違いが、幽霊等見た事もないし、そんなものは信じられない、と言う人と、確かにあれは幽霊だった、と確信が持てる人との違いになるのではなかろうか。

 少なくとも私達は、物理的世界に生かされてはいるが、その物理的容器である人体に入っている「私達自身(本体)」について、何も知らないし知らされてもいない。外科医の所に行っても、内科医の所に行っても、精神科医の所に行っても、恐らく、その解答は無いだろう。
 しかし、私達の心は、頭蓋骨が守る、脳の中の電気信号だけでは無いはず。私達は物質では無く、エネルギーでも無い。ならば私達は一体どこにいるのだろうか?その部分が、幽霊と深く関わっているのかも知れない。
 人が、自分を単なる容器であって、モノだけだとして生きるか、モノではないものとして生きるかによって、幽霊に鈍感な人と、敏感な人とに分けられるのかも知れない。
 幽霊は怖いものではなく、私達が一体何者なのか?と言う、答え探しに活用できる、なんらかの現象であるのかも知れない。

 私達は、現実的には、物理的なものに支配され、制約を受け、生活し、生きてはいるが、実は、肉眼で見えているものは、ほんの一部であって、本当は、逆に、私達が今、見えてはいない世界によって、この世は支配されているではないだろうか。それとも、私が経験し、体験した事実は、すべて私の単なる思い違いであり、錯覚であり、幻覚であり、幻聴であり、勘違いだったのだろうか。しかし、幽霊現象と定義づけられるモノを感じている人、感じた人、経験した事のある人は、決して少なくはないと思う。
 
 私達は、物理的影響を及ぼす五感以上の何かによって支配されている存在に違いない。そして、それが何かの拍子に時折顔を出す。それを私達は不確かなモノとして「存在理由の定義が不明」と言う意味合いで、それを「幽霊」と言っているだけなのかも知れない。
 
 私達は、見えないそれらに、雲の様に取り巻かれながら、かろうじて肉眼で見えるモノに従って生活しているだけなのかも知れない。幽霊をどう定義出来るのか?どう定義するのか?は、個人の自由として、少なくとも、現実的に、見えているモノ、聞こえているモノが、私達のすべてでは無い事は確かである。

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