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携帯電話がない時代、僕らには糸電話があった

高校生だったころ(もう30年以上も前の話だ)用事があって友だちの家に電話をした。文化祭の代休とかで平日の昼間……たしか月曜日だったと思う。夜に文化祭の打ち上げをどうする?とか、そんな他愛のない話だったような、うろ覚えな記憶ではあるけれど。
電話はおじさんが出て、

「注文じゃないなら後にしてくれるか!」

と、こっ酷く叱られた。そう、友だちの家はラーメン屋で、店の裏にある高校の先生方から昼の休憩時間によく出前の注文が入るのだ。想像力の働かなかった僕は一瞬ムッとしたけれど、よくよく考えればそういうことだったんだなぁと、少し恥ずかしくなった。
もちろん普段のおじさんは優しい人で、ちょっと江戸っ子が入った気風のいい人だった。あとで電話すると「さっきは悪かったねえ」などと謝ってくれた。自分だけではない……相手の視点に立って想像するという大切さを、このとき初めて気づかされた気がする。些細な出来事だったけど、僕はそのときそう思ったんだ。


1980年代の電話といえば、ダイヤル式が廃れてプッシュホンが普及してきたという時代。コードレスホンとかあったのかなぁ?例えばあったとしても、ちょっと裕福な家庭にしかなかっただろう。電話を持ちながら、わざと長いコードを引っ張って会話するシーンがTVドラマでよく使われていた。トレンディドラマの始まりである。

昭和あるあるで言えば、夜に彼女へ電話する(今では考えられないが、当時家に電話は一台しかなかったのだ)ということは、その家の家長であるお父さんが電話に出る可能性があって、それはもうひどく緊張したものだった。頭のいいやつ(たかが知れているが)が考えた

「1コールで切って、再度かけ直すルール」

を、僕らはすぐに採用した。その誰にも気づかれることのないミラクルな方法を得た僕らは安心して夜に長電話をしたものだった。お母さんに怒られるまで。ただ、親になってみればそんなの全部お見通しなわけで、あぁ全部知ってて黙ってたんだな……と恥ずかしくなったり。

不便な時代である。
不便だからみんな無い知恵を絞って面白いことを考える。
当時カメラは高価なもので家に一台しかない代物だった。修学旅行とやらで親にお願いして借りるのが関の山である。もはや彼女と記念写真を撮るためにカメラを持ち出すなんてことはハードルが高すぎた。
万が一カメラがあったとしても、それを現像に出して写真屋さんに見られるのもなんとなく恥ずかしかった。あぁなんたる純粋な高校生……。
そして僕ら高校生は証明写真BOXを利用することを思いついた。いや、たかが頭のいいやつが編み出したのだ。彼女とふたり、あの狭い空間に入ってボタンを押す。お金はないからケチって白黒のやつだ。チューする強者もいた。僕だった。あぁなんたる不純な高校生。

他人の目を気にしながら証明写真BOXの外で写真ができるのを待つ時間。これ以上幸せな青春という時間があっただろうか。出来あがった4枚綴りの細長い写真を手でちぎって、そうしてふたりでにっこりした。

プリクラの原型である。

携帯のない時代の待ち合わせは奇蹟である。

僕が当時の彼女と初めてちゃんとしたデートをしたのは……そう、クリスマスである。その大切なクリスマスのために、僕はアルバイトで貯めたお金で珊瑚のネックレスとイアリングを用意した。その日一日を何度も何度もシュミレーションしていた僕は、いざデート当日、待ち合わせの駅へ13時に到着した。もちろん約束は14時である。
駅のホームの一番端っこで、僕は再びデートコースを復習していた。いや、復習するほどでもないけれど、落ち着かないのだ。デートとはいえ、駅から歩いて公園へ行き、散策して、デパートのレストランへ行くだけの恥ずかしい計画である。30年前の16歳なんてそんなものである。言っておくが当時ディズニーランドはまだ建設中であった。「笑っていいとも」の放送が始まる1年前の出来事である。

14時過ぎ。なかなか来ない電車がようやく到着した。遅れていた電車から人がぽろぽろとホームへと零れだした。

目を凝らして彼女を探す僕はがっかりする。約束の電車に乗っていなかったのだ。次の電車は20分後。僕は気を取り直して待つことにした。遅刻魔だった彼女が電車1本遅れるくらい想定内だったと自分に言い聞かせて。(過去に彼女は一度も約束の時間に遅れたことなどなかった)

次の電車にも彼女の姿はなかった。

真っ直ぐなホームである。乗客がひととおり降りたあとは、見渡す限り車掌さんしかホームに残っていない。

「見逃したか!」と思い、改札まで急いで走って行き確認する僕。けれどやっぱり彼女はいない。

慌ててホームに舞い戻る僕……時間はすでに16時を回っている。21世紀の今、こんなに待っていたら馬鹿の極みである。それでも、そのときはただ待つしかなかったのだ。

駅のホームからみえる街並みに、ぽつりぽつりと明かりが灯り始めた。冬なので陽が落ちるのが早い。ラッシュが近くなり電車の本数が多くなる。それでも、それでも彼女は来ない。

──17時。計画は台無しである。ただそれ以上に彼女が心配なのだ。

「きっと何かあったに違いない」

僕は彼女を心配するしかなく、ただひたすら彼女の事を考えていた。

次の電車に乗っていなかったら帰ろうと、僕は心に決めていた。
そして──

電車から降りる人込みのなか、とうとう僕は彼女を見つけることができなかった。

……あろうことか僕は次の電車も待っていた。往生際が悪い事この上ないのである。

次の電車から、彼女は降りてきた。忘れもしない、時計の針は18:40を回っていた。

彼女はいつもの笑顔で「ごめんね」と言った。
僕は嬉しくて嬉しくて、「まずトイレに行ってもいいかな」と彼女に言った。

膀胱が破裂寸前だった僕はなんとか一命をとりとめ、そんな僕に彼女は事の顛末を話してくれた。彼女は約束の電車に乗っていたのだ。
遅れた原因は彼女のせいではなかった(もちろん遅刻した?などと僕は微塵も思ってはいない)
聞けば、彼女の隣にいた乗客が急に具合悪くなって倒れてしまったという。彼女は周りにいた乗客の助けを借りて具合悪くなった人を一旦ホームへ降ろし介抱したのだ。そして、そこへ駆け付けた職員さんに「あなたも一緒に病院までお願いします」と言われ、お人好しな彼女は結局病院まで付き合わされる羽目になったそうだ。
具合悪くなった人は、元々持病を患っていたそうなのだが、特に大事になることもなく小一時間ほどで回復したそうだ。そしてその間、見知らぬ人だというのに彼女は処置室の廊下でずっと待っていたという。お人好しにもほどがある。(だから惚れたとも言う)

その後急いで電車に乗って彼女はやってきた。およそ4時間半(彼女は知らないが僕は1時間前に待っていたので5時間半)

彼女は、僕が必ず待っていると信じて疑わなかったのだ。当たり前田は大リーガーである。

僕だって、
僕だって彼女が来ることしか考えていなかった。糸は繋がっていたのだ。

慮る大切さ。
信じる勇気。
不便だった時代、僕らはいろんな思いを巡らして毎日を過ごしていた。今は待ち合わせなどしなくたって大体の場所でLINEすればいいし、そもそも「ゴメン!人が倒れたから、ちょっと病院付き添うから」とかLINEすれば、夕暮れの空が黄昏てゆくのをぼんやり見つめなくてもいいのである。いい時代だ。

それでも、あの数時間の間に僕はいろんなことを考えたし、きっと自分には大切な時間だったと、今はそう思えてならないのだ。

その彼女とは高校卒業とともに疎遠になり、ラーメン屋のおじさんは数年前に亡くなってしまった。
それでも、
それでも、もし、まだ繋がっているのなら、

ピンと張った糸に繋がれた紙コップに向かって、そっと冗談を言ってみたい。


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