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【纏う】文化

土曜日のショッピングモール。
時計の電池交換を頼んで、受け取りまで少し時間が空いたので、下の階のコーヒーショップにやってきた。おそろいのエプロンをつけた定員さんが忙しそうに動いている。
ぼーっと彼らをみて「外資系のレストランが流行ってきたけど、店員さんの制服が、どんどんカジュアルで私服っぽくなっていくよね」ふと思いがよぎる。

土曜日の午後、コーヒー順番待ちの列がなかなかすまない。私の妄想はどんどん派生してゆく。

外国ではレストランやカフェでも、日本に比べると、働く格好にこだわる国は少ないのだろうか。
そういえば、SNSを開くと否応なしに“おすすめ”リールが表示されるようなったが、いくつかの羅列の中に、外国で菓子職人がケーキや焼き菓子を市場で作っている動画があった。
スラックスとシャツだけの男性。
エプロンもなく、髪もそのまま。
それを見た瞬間に、すこし驚いた自分がいる。
日本では、食べ物を扱う職人は調理服を着ていることがほとんどだ。和食の職人といえば真っ白の割烹着と帽子を身に纏う。
だから、外国の職人さんは、調理専用の服を“着ない”ことに違和感がないのだと思って驚いた。

そういえば、物を買う時にも。
買った物を「包む」という文化が、日本には根付いている。贈り物をするときは“のし”をつけたり、綺麗な包装紙で包み、さらに袋に入れたりする。
 わたしは、この「包む」という文化はとても素敵だと思う。お店で贈り物用に品を買い、それが綺麗に包まれていく様を見ると、自分が贈りたい気持ちも、だんだん一緒につつまれていくようで、見ていて嬉しくなるからだ。
包む、という工程によって、そこには贈りたい人の気持ちが纏われていくのだと思う。

和食の職人さんも、割烹着を身に纏うときに、同じような気持ちになるのかもしれない。
この白い服に身を通すことで、気持ちが高まり、集中して旬の食材と向き合あう想いが熱く沸き立つんではないだろうか。
「形から入る」という言葉があるが、形から整えることで、気持ちが入る、身が入るというのは、あながち日本人には合っているのかもしれない。

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最近では、地球環境問題として「エコ」が推進されているが、簡易包装が推奨されている。
実用的に、自分用に、ただ買った物を仰々しく包むことで、資源を無球にするというのならそれは控えた方がいいとは思うけれど、
わたしは日本人として、綺麗に包む、想いを包むということまで削減されてほしくはないなぁと思う。

外側から形を纏うことで、自分に取り入れたいエネルギーや、感情を得るということを、古くから私たちはやってきたのかもしれない。

探せば、
日常の中に、「纏う」シーンはまだまだありそうだ。

#MIUのつぶやき
#奇策士のメモ帳

読んでくれてありがとうございます。 ふと思った時に、心のままに書いています。 よかったらまた読んでください。