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一陣

序章

‌ 金魚が死んだ夏を思い出した。夏祭りで貰って来た金魚は、あらかじめ弱らせてあったのか、数日中に鉢の水面へ横倒しに浮いてしまうようになった。時折、弱弱しくひれを動かして水中へ戻ろうとするが、それが叶うことはなかった。僕は早朝からそれを眺めていて、なんとか元気にならないか、また揺らめく綺麗なひれを、愛らしい紅いひれを見せてくれないかと期待していたが、段段と時間を気にし始めていた。学校へ行かないと。でも、どうしても金魚の最期を見届けたかった。そう、すでに僕は胸の内のどこかで、金魚の死を確信していた。言い訳めいた嘘くさい希望と死へのある種の期待と、醜い感情が渦巻いていて、全てに薄布がかかったような、遠い記憶を見つめるような、不思議な心地で鉢の前に座っていた。金魚はまもなく動かなくなった。
 今、金魚は曾祖父である。奇妙な光景だ。あの時と同じ心持だ。蝉のうるさいカンカン照りの夏、曾祖父が逝こうとしている。皆がそれを待ち構えているようなのだ。すすり泣く声が止まない。しかし、彼女が先ほど台所で通夜の話をしていたのを聞いている。皆が彼の死を確信している。皆がその瞬間を待っている。彼がせき込むたびに息を呑む。まだ井草がむっと香る替えたての畳の上、布団に寝かされた曾祖父の顔は青白く、頬がこけ、目は固く閉じて眉根が苦しげによっていた。その顔を皆が見つめている。僕も見つめている。涙は出ない。思い出すこともない。ただただすすり泣く声と蝉の声、開け放した窓から入る風を感じていた。人の最期とは、親族に囲まれて眠ろうとしている、常から思えば幸せな最期とは、このような虚しいものなのだろうか。誰も彼も死を信じている。曾祖父が明日には骨になっていることを確信している。誰も希望を持っていない。このように残酷なものなのか。僕は何を考えているのだろう。大好きなひいじいちゃん、苦しげなひいじいちゃんが、哀れで堪らない。こんなにも傲慢な憐憫はどこから湧いてくるのだろう。心が宙に溶けて体を無くしたような気分だ。僕はここにいるのだろうか。
 曾祖父が大きく咳き込んだ。母が水を含ませようとするが、それは口の周りを濡らすばかりでうまくいかない。
「裏山の…… 」
彼がいきなり声を発したので、皆は驚いた。
「裏山の、石、に、花を、…… 」
それが曾祖父の最期だった。昭和十六年の夏、おそらくその意味を知っているのは僕だけである。

風が吹いている。



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