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2-7.「書く力とはなにか」目指すところをどこに位置付けるか。

いよいよ本番初日1週間前というくらいの時に、小学校から「望ましい作文」が送られてきた。大きな賞を取ったものらしい。
それらを読んだ時に、とても違和感があった。
それですぐにT先生と連絡を取り、その作文を共有した。

以下は、その時のT先生のブログ。
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水曜日の講習会で私が強調したことであり、小学校側から送られてきた「望ましい作文」をみて憤慨すると同時に合点したことだが、私たちは、文章を書くことにおいて、もしかしたら何か勘違いをしているのかもしれないと思った。

つまり、小説、古いところでいうと志賀直哉や夏目漱石的な文章を書こうと、知らず知らずのうちに、感化されてきたのではないかと(小学校から送られてきた指導すべき文章は、小説家の大家が書くような文章を小学生に書かせることを目指しているようにみえた)。

驚くほど巧い文章を書く学生がいる。総じて女性がそうだ。だけど、その学生が言いたいことを伝える文章が書けるかというと、そうじゃない。それなりの文が書ける分、ロジカルに文章を組み立てることができないのだ(だから就職活動においてエントリーシートが書けないと悩む学生が多い)。

要素が不足し組み立てがなってないが、相手が舌を巻く文章を書ける人は100人に一人くらいはいるだろう。だけど、そういう文章は、教わったからといって書けるものではない。

ならば、美文ではないかもしれないが、伝えたいことを漏れなく伝える文章こそを教育の現場では教えるべきではないか?そのことをパートナーのmiwwさんとも確認した。私たちが目指す「書く力」はどの方向を目指すべきかを。

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念のために書いておくが、
私は小学校での教育が間違ってるとかそういうことは言うつもりはない。
指導要綱は、子どもたちに必要な力をつけられるよう、とても考えられて作ってある。それは間違いない事実だと思っている。
現場の先生方は、子どものことを本当に考え、たくさんの責務を担ってある。
それは親としても見ていてわかるし、感謝しているのだ。それは本当。

でも、だからこそ今の子どもたち(実際私は当時6年生の娘持ち)の現状をみていて、
考える力・書く力が落ちているのは事実。
これは全国的にもそうだし、先日校長先生教頭先生とも合意した。
多くの人が感じていることだと思う。

生きていくのに必要なものは何か。
それは、美文を書くのではなく、
自分の思いをいかに伝えるか、
そこを考え、工夫する力なのではないかと思うのだ。

社会で生きるには、そんな力をつけていくことが必要。
どこでその力をつけるのか。
どうすればその力がつくのか。
そんなことを、子どもたちに関わる社会全体で考えていく必要があるのではないだろうか。

そういう部分では、
今回、T先生とこのプログラム・プロジェクトを進めるにあたって、どんな思いの共有ができるということは、とてもありがたくステキなことなわけだ。
組織でも、仕事の内容ややっていることに意義やほこりを感じていても、
思いの共有ができないことで行き詰まることって結構多いので。

そういうわけで、学生との事前講習では、
先出の我々の目指すところを、学生とも共有した。
そして、事前にサンプルとして小学生に書いてもらったシートの数枚を
ベースに、シミュレ―ションワーク。
大学生には、小学生役と大学生役を振り分け、ペアでその役になりきってシートを書き進める。

このなりきりシミュレーションワークは、この後のプロジェクトでは欠かせないものになっている。
どっちの役もやることで、対象者の小学生の気持ちもわかるし、大学生としてどんな風に進めるべきかがわかる。「こんな風に促せばスムーズだ」とか「こんなケースの時は戸惑う」とかいう、共有すべき点もたくさん出てくる。そのうちに「この順番よりもこっちの順番の方がよい」なんていう意見も出てきて、全体シナリオを変更する場合もある。
そんな風に、情報共有しながら、学生とわたしたちは、for小学生プロジェクトに向けて、気持ちをあわせて進んでいった。


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