奥行きの在る’’美しい’’という感覚
美しいものがすきだ。
美しいという響きを聞いて私の中に描かれるのは白い空間に透けたカーテンがあって、そこに風が通って、やさしい光にシースルーの長い布が鋭くなびいている画だ。
吹き抜けていく感覚、澄み渡る感覚、繊細なものが放つオーラ。
日本らしさとは何か。
繊細さか。
何かが貫かれていく瞬間、
何かを超越していく瞬間、
美しい_____と思う。
>「全体から部分へ」ではなく、
<「部分から全体へ」。_____そんな感覚だ。
部分を見つめ、そこに発見を迎え、
感動し、そこに奥行きを感じ、広がりを覚える。
そういう見方であり、入り口のあり方、そのような佇まいに出会ったり、
そのような瞬間に美しさを覚えている。それが私のひとつの感性だ。
「部分をみつめること、によって、広がりを魅せる。」
それが、そのような感覚が、日本には、日本文化にはある。宿っている。
’’おもてなし’’そんな所作はこの感覚の現れのように思う。
部分に気を配り、その気配りを感じることで、
その主人の心ゆき、奥広い心に触れることができる。
繊細さとも呼ばれる感覚だ。
’’繊細さ’’それが奥行きへの入り口なのかもしれない。
私の’’美しい’’という感覚には奥行きがある、風が吹き抜けていくような鮮烈さを持ち合わせる、そこにはやわらかい光、やさしい陽の光のようなものも在る。そして、一瞬___時がとまる.そんな感覚だ。ふわぁああああっと鋭く風が吹き、ひかりがすっとやわらかく差している。それを感じるとき。
鋭い風、どこか懐かしく感じるような感覚。
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