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「歯車が狂う」話〜高校生③〜

あれは真冬の合宿中に起こりました。

物事がうまく進まなくなることを「歯車が噛み合わない」という表現をしますが、まさにそんな感じでした。うまくいっている時は力技でなんとかなったり、我慢しているうちに物事が前に進んでいったりするものかもしれません。でも、どうあがいても物事がチグハグでうまくすすんでくれないといった感覚が高校生になった年の年末ごろからありました。。。調子がいい時にしばしばある「落とし穴」ですね。

■高校生の秋

体育会であれビジネスの世界であれ、チームでの目標を設定してゴールを目指すというのは常ですが、ウチの高校の場合はそれが「リレーでインターハイ&駅伝で全国高校駅伝大会出場!」でした。これまで全国高校駅伝に出たことがなかったので、これは先輩方からの悲願。鳴り物入りで入ってきたイキのいい一年生がいる!ということで、この1〜2年の間にがチャンスが来るという機運はかなり高まっていたと思います。ヤマシタ先生からは入学前から熱心に誘いを受けてましたが、いかんせん推薦入学という制度がない高校だったので、勉強するしかなく、受験前は必死でした。受かってしまえばあとはひたすら競技と勉強に励むだけなので、気づいたら秋、冬になっていたような時間感でしたね。

僕が一年生の時はライバル校が強かったので、石川県大会では2位でした。ただ、負けはしたものの、かなりの善戦でチームの雰囲気もよかったです。

こちらは 1、2年生主体の若いチーム。それに対してその年優勝した尾山台高校は3年生の2枚看板が翌年抜けるという状況。「今年は負けたけれど、来年はきっといける!」という空気感がありました。今回は意味のある負けをしたというのがチームの総評で、”2年生は全国を経験する!”、”3年生は全国で勝負する!!”そういったイメージが自分の中での青写真でした。でも、こういう時にまさかの落とし穴があるんですよね。。。

■まさかの救急搬送!?

各学校対抗で行う駅伝が終わると、次に待っているのが都道府県対抗駅伝。各都道府県の代表選手が所属の垣根を越えてチームを組み戦います。箱根駅伝やニューイヤー駅伝で見るような選手もたくさん出るので、高校生のころの自分にとってはちょっと違う意味での憧れがありました。ミーハーですね(笑)

大会自体は毎年1月に開催されるので、冬休みにチーム石川で合宿を行っていました。雪深い石川県ではなかなか合宿を組むことが難しいので、僕の時は滋賀県で合宿が組まれたのですが、その場所が思い出深き希望が丘文化公園。中学駅伝が行われた思い出の地だったのですが、良くない思い出がこの地に重なるとは思っていませんでした。

この合宿は結構大事な意味合いがあり、実際に走るメンバーを絞っていくタイムトライアルやポイント練習が毎年行われていました。メンバーに選ばれた4人の中で実際に走れるのは3人。強い上級生が2人、同級生にライバルもいたので、少しでも気をぬくとメンバー漏れしそうな状況はけっこうメンタルに負担がかかります。練習中もやはり緊張感が出ますが、それが過剰だったのかもしれません。

練習でも負けちゃダメだいう思いが強かったのか、ある日のボイント練習で設定ペースを無視してガンガン飛ばしました。400mのインターバル走、設定は72秒。それを68秒くらいでガツガツ回りました。身体はフワフワとよく動き、キツイけど走れるという感覚がその日はありました。僕はこの感覚はすごく大切だと思っていて、きつくなった時に体を動かせないと、勝てないし、こういった「動く感覚」を作ることが練習の大きな意味だと思ってます。この日はなぜかかなり練習を欲張っちゃったんですよね。。

異変は練習が終わってから起きました。クーリングダウンでもしようかなと思った時に、なんだかよく分からない身体の倦怠感に襲われました。やたら身体が重く感じたのですが、それでもとりあえず走らなきゃと思ってグランドをゆっくり走り始めたのですが、

「・・・?」

ダウンのスピードにすらついていけません。みんなで走っていたはずが、気がつけばどんどん離されていました。

みかねた監督が僕のところに来てくれました。顔を覗き込まれて「大丈夫か!!!」と聞かれましたが、何となく「大丈夫です」と答えたような記憶しかありません。監督に抱きかかえられた瞬間に崩れ落ち、そのまま競技場の外まで連れられました。水を飲み、座ってぐったりしていたのですが、次に気づい時には救急車の中でした。


「脱水」だったようです。


真冬の12月末。真夏ならともかく、晴れていたものの、動いてなければ寒く感じるような天気でした。なぜ脱水になってしまったのかは分かりません。エアコンで不感性の発汗があったとか、冬で水分補給を軽視してたとかいろいろ言われましたが、結局は高校に入学してからの肉体的&精神的疲れがあったのではないかなと思ってます。

■冬の脱水

そもそも、冬に脱水で倒れるということはあまり想定されていない事態だと思います。震えるような寒さですからね。ただ、寒い寒いと言っていたのに、倒れた瞬間は恐ろしいほど汗をかいていました。

救急車で運ばれて病院に着いた頃にはすっかり身体も回復していましたが、大事をとって入院することになりました。本当は入院することは不本意で、早く宿舎に戻らなければと思っていたのですが、今回ばからはそういう無理は一切受け付けてもらえなかったです。こんな時にも宿舎に戻らなければというマインドになっていること自体異常ですよね。

病院で出された食事もちゃんと食べられましたし、監督が心配して買ってきてくれた親子丼大盛りもペロリと平らげて、自分としては回復したつもりでした。ただ、微熱が続き、夜は寝苦しかったです。余談ですが、その日の晩に気づいたら自分で点滴を抜くという悪さをしてしまいました。朝目覚めたらベッドサイドが血の海。。看護師さんに怒られたのはいうまでもありません・←本当は心配して欲しかったです(苦笑)

結局合宿は途中で帰ることになり、駅伝も出場辞退。当然の措置でしたが、このことがきっかけで、かなり心身のバランスが崩れた気がします。なんだかわからないけれど物事がうまくいかなくなってきた・・・言葉にはうまくできないけれど、形のない不調に悩まされました。


少しずつ、でも確実に歯車がズレていったと思います・・・

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