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「師弟関係」について考えた話〜高校生⑨〜

負けてから、どういう時間を過ごしたかはあまりはっきりと覚えていません。

ただ、練習しなきゃと躍起になっていたのは確かでした。負けたことへのショックは結構大きくて、何だかんズルズルと引きずってしまいましたが、このままじゃダメだという自浄作用もそれなりに働いていたと思います。

全国駅伝の日はチームのみんなで30km走をやりました。全国の強いチームはこの駅伝に出てるから、自分たちはこの日に日本一きつい練習をやろう!といってみんなで盛り上がっていました。練習のための練習になっちゃダメだとはよく言われますが、こうして練習をガツガツやることもある意味では悪くないと思っています。あれはあれで達成感があって楽しい!きつかったけどねぇ。。

冬季練習はいろんなことをやったけど、一生懸命やれることはやった!そう信じて過ごした冬でした。季節はあっという間に過ぎ、春になったら高校三年生。いよいよ最後の年です。


■最終学年の憂鬱

高校3年生といえば大学受験を控えた大事な時期です。進学校だったことも相まって、受験に対するプレッシャーは本当に大きかったです。授業もとにかくしんどい、課題もたくさん出たし、勉強しなきゃという思いをずっと抱えながら過ごしていました。当時は走るか勉強するか寝るか・・・の生活。どれも気を抜けない生活というのがジリジリと自分にのしかかってきたのは自分でもわかっていました。

ただ、ずっとそういう張り詰め感を持ち続けるのはダメですね。急に堰を切ったように感情が溢れてしまったのは春のインターハイ予選の前でした。


「燃え尽き症候群」


当時の状況をあえてことばするとすれば、そんな感じでした。僕はスポーツ選手の「心の風邪」とも言ってます。

何が引き金になったのかはわからないけど、完全に気持ちの糸が切れたのが自分でもわかりました。何もやりたくなくなり。走ることも何をすることも放棄して楽になりたい。一体自分は何のために走っているんだろう・・・振り返ったら自分の高校生活って何にもしてないじゃん・・・楽しい高校生活を夢見て進学したのにアレもダメこれもダメの生活ばかりでなんでこんなことしなきゃいけないの・・・全てが嫌になってしまいました。

だんだん体にも症状が出てきて走っていて膝が崩れる症状が出ました。学校にもいけなくなり、走る意味もわからなくなり、病院をたらい回しにされました。でも、どこかでずっと張り詰めていた気持ちがプツンと切れてホッとしたところもあったのかもしれません。

今となれば当時の自分を若いなぁといって苦笑いしながら軽くあしらいそうですけど、当時は必死でした。


■師の言葉

何かに逃げ道を求めていたのかもしれません。何か答えを出さなきゃいけないと思っていたのかもしれません。あんなに大好きだったはずの「かけっこ」がいつの間にか苦しい「競技」に変わっていました。練習は「したいもの」ではなく「しなきゃいけないもの」に変わっていました。

自分が出した結論は「陸上を辞める」ということ。もうこれ以上やっても仕方ない。そんな風に思っていたのかもしれません。恐る恐る先生にそのことを伝えにいきました。

いつも練習する陸上競技場の第2コーナー。芝生に2人並んで座りながら話をしたことは覚えています。泣きながら自分の想いを伝えました。「辞めたいです」その一言を言うのが本当に怖くて、どんなに怒られるか・・・

先生はじっくり話を聞いてくれました。反論することもなく、僕の話を遮ることもなく、ただ静かにじっと聞いてくれました。そして一言

「こうた。お前はそんな風に思ってたんだな。わかった、辞めてもいいんじゃないか」

いつも厳しくて怖かったヤマシタ先生。目の前にいると常に緊張しちゃうし、心を許せるような人ではなかったです。そんな先生からの一言は意外でした。否定せずにちゃんと受け止めてくれたことが自分の中で突っかかっていた物をすっととってくれて、自分の心の中の想いをまた再認識させてくれました。

きっとヤマシタ先生も僕の言葉に悩んだだろうなと思います。自分が逆の立場になってみるとそれがよく分かります。


■積極的師弟関係「考」

「師弟関係」にはいろんなものがあると思っています。がっちりと強い絆で結ばれた師弟関係もあれば、自然発生的にそういう関係になっていったものなど様々。

ただ、高校生だった自分は本当に未熟でした。師匠の想いに気づけず、自分の中の狭い価値観だけで物事を解決しようとしていたんでしょうね。

3年という限られた時間の中でなかなか指導者とソリが合わないと悩む人も少なくないかもしれません。僕もそのうちの1人でした。ただ、本気で想いをぶつけた瞬間、もしかしたらそのわだかまりが一気に溶けるようなことがあるんじゃないかなと思います。

今改めて大人になって思うのは、ヤマシタ先生が自分にとっての「師」だなということ。陸上競技をやってきておそらく今までで一番しんどい時期を過ごしていた時の指導者だったし、この時のヤマシタ先生の言葉がなければきっと今頃走ることからドロップアウトしていたでしょう。

今でもやっぱり会うとドキッとします。反射的なものでしょうね。ただ、怖いとか話しにくいとかそういったものではありません。むしろ何かあればちゃんと報告したいという師匠です。これに気づけずに卒業しなくてよかったなと思います。

まあ、もっと早く気づけていたらよかったんですけどね。。。

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