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人間教育としての陸上競技に気づけなかった時代の話〜高校生②〜

高校生と中学生の大きな違いは身体の 発育発達にあると思ってます。中学生であれば、発育の途中段階なので、身体が大きくなるにつれて記録は結構サクサク伸びてきます。一方で高校生の場合、発育はある程度落ち着いてくる子がほとんど。身体の成長による記録の向上というのはあまり期待できません。

ジュニアを指導していく際にはこういった知識をきちんと持っているかどうかはとても大切です。トレーニング内容によってはその子の将来的なタレントを潰してしまうことすらあります。その時、その瞬間は良くても、中学、高校、大学と進むにあわせて伸び悩みに直面したアスリートはたくさん知ってます。どんな指導を誰に受けるかは選手自身がよく考えなきゃいけないですし、指導者はそういった指導者像をきちんと示していく必要がありますね。

↑ふと思ったのでメモ的に・・・

■比べてしまうという宿命

話はいきなり暗い内容でスタートしてしまいましたが、高校生になってからもおかげさまで順調に走力はついてきました。重ね重ねながら、「かけっこ感覚での陸上競技」だった中学時代の指導には本当に感謝。ただ、どうしても比べてしまうのは”中学”の指導と”今”の指導。自分が教員時代にも中学校の時の練習はこうだった!という生徒はよくいましたが、これは仕方がないことなんでしょうね。

中学までは休みの日に自宅近くの山道を走ったり、部活の前にテニスボールでサッカーをしたり、結構好きなようにやっていました。重いシューズで練習したら速くなれるのではないか!?と思い、シューズのインソールの下にあぶら粘土を詰めてみたこともありました。お察しの通りですが、走っているうちに袋に包んでいた粘土が漏れてシューズが油まみれ。みなさん、くれぐれもシューズの中に粘土を入れちゃダメですよw

それに対して高校生の時はとにかく「管理」される窮屈さがありました。あれはダメ!これもダメ!!の連続。決して反抗するタイプではなかったので、素直に練習はこなしていました。でも、心のどこかで反発心はあって自由にさせてほしいという不満がちょっとずつ溜まっていった気がします。今思えばホント生意気ですね。

■順調な高校生活?!

高校のデビュー戦はインターハイにつながる大事な大会。5000mと3000m障害に出させてもらいました。3日間で予選決勝合わせてそれぞれ2本ずつ走るというハードな日程でしたが、どちらも準優勝。北信越大会に出る権利をもらい、学校対抗得点も10点稼ぎました。「中学記録を出したミヤカワ」の衝撃は小さくなかったと思います。いま振り返れば良くない環境ですね・・・

僕が高校生になるちょっと前、陸上の名門である西脇工業高校の渡辺監督が選手を2人連れて石川県の中高生に指導してくれる機会がありました。僕も参加させてくれたのですが、その時に「挨拶をしなさい、掃除をしなさい、感謝の気持ちを持ちなさい」など当たり前のことを当たり前にやることの大切さを徹底して言っていたことを強く覚えています。突き詰めれば「人間教育」。どんなに早くなっても、人間ができていなければダメということですね。順調に競技成績が残ると、大事なことを少しずつ忘れてしまうのかもしれません。もし過去に戻れるとすれば、この辺りから競技をやり直すと、スゴイ選手になれていた気がします。まぁ、たられば話ですね。

北信越大会では15分9秒の自己記録で10位。あと少しでインターハイに行ける記録と順位でしたし、一年生ながら良くやった!来年はインターハイは簡単に行けるよと言われ、自分もその気になっていました。秋には国体で7位入賞。全国に陸上仲間ができてレベルの高い上位大会でもどんどん自分を出せるようになっていました。

自分にとってベストレースと思えるレースが北信越高校駅伝での1区10km。心臓が飛び出るのではないかと思うくらいキツくて、タスキを渡してからしばらく立ち上がれず、目眩がするくらい追い込みました。下り基調だったとはいえ、タイムは30分09秒。当時の自分の力からすると出せるはずのない記録です。区間4位でしたが、前にいた3人は全て上級生でのちに箱根駅伝や実業団で大活躍した人たちばかり。タスキの力を感じたレースでした。この時点で某実業団の監督にすでに声をかけられたくらいで、このまま順調に伸びていけるという手応えはありました。

んが、やっぱり人生には落とし穴がありますね・・・

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