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共感できないと思えたから結婚した。

友人関係、夫婦関係、仕事関係、家族関係、・・・

僕たちは日常様々な”関係”に囲まれています。

目に見えない”絆”と言われるようなものや、愛情や友情によりお互いが繋がれている感覚になります。

しかし、一方でつまらないことで揉めたり、気持ちがすれ違ったり、感情的になったりします。

赤の他人ではないし、”特別な関係”であるはずなのに、どうして揉めるのでしょうか。

ここ最近、相次いで友人関係・夫婦関係に関する相談を受けたので、「”特別な関係”における共感」について考えてみました。

共通点は?

なるべく個人的な情報を変えて書きますが、こんな相談が来ました。

①彼女が自分以外の男とボディタッチなどのコミュニケーションが過度に見えてムカつく。
②自分は安定志向で仕事を選んだんだが、友人は全く逆で、民間で必死こいて仕事をしている。生き方を変えるようにアドバイスしても聞き入れてくれません。

よくある悩みですよね。

それ以外で言うと、”家族が自分の将来に反対している”とか、いわゆる”嫁ブロック”とか、大切なはずの関係である人から自分の主張だけでなく、人格そのものも否定されているように思ったり、理解してくれていないように思ったりしますよね。

これら全ての共通点は何かというと、

【誰もが共感しあえると信じている】

という大義名分です。

共感しあえるはずなのに、し合えていない、あるいは、し合えていないように感じてしまう。
そんな理由から、”大切な関係”を結んでいるはずなのに「苦しくなる」んです。


前提の置き方(共感できるorできない)

大切な関係を結んでいる人なはずなのに苦しいと感じてしまうのは何故なのかというと、関係性の大前提として、前段でも言った通り「共感できる」と思っているからです。
少しドライに聞こえるかもしれませんが、「共感できる」と信じてしまっているから、共感できていないと感じた時に苦しくなるんです。

少しだけ僕と妻の話をします。

僕と妻は、お互いの考え方や今まで生きてきた人生に起因する思想に関して、共感することを極力やめています。
別に仮面夫婦ってわけでもなし、仲は良いです。

何故そうなったかというと、結婚前に遡ります。
まだ付き合って2ヶ月くらいから少しずつ「お互いの幸せについて」や「お互いの考え方について」の話を頻繁にしていました。
その中で、”ここはお互い同じだよね”だったり”ここはお互い違うところがあるよね”という部分について確認し合いました。

なので、共感できない部分が多少あっても、「そんなもん」と思っています。

僕たちはお互いの夫婦関係の中で「そもそも共感できない部分が多い」と思っているから些細なことで感情的になったり喧嘩になったりしないのです。(たまにはあります。人間なんで。)

僕たち夫婦の例はほんの一例にすぎませんが、これをどれだけ周りにいる”大切な関係の人たち”とできているかが、関係性を継続させていく中で重要になっていきます。

多様性の生存戦略

ここで湧いてくる疑問があります。

「共感できなくて、違っていて、そのままで大切な関係で居られるのか?」

特に若い夫婦や関係の継続時間がまだ短いと、「違い」が不安を煽ってきます。

正直こんな偉そうに言っている僕も不安に襲われることがありました。
今でもたまにあります。

そんな不安を助けるために2つの考え方と事実をお伝えしたいと思います。

①そんなに共感できる人に過去に出会ったことがあるのか?

過去に自分と同じ人間かというくらいに共感できた人はいますか?

「いた」という方。
ダブルスのペアや学生時代の友人、会社の同僚などの名前が挙がりますよね。

そんな「共感できた」と思うことを否定はしませんが、

本当に共感できていましたか?

”あんなに共感できていた友人と、最近は疎遠になっている”
”昔は共感できていたのに、あいつは変わった”

共感ではなく、その時の自分の感覚にたまたま合っていたり、ハマっていたものが同じなだけだったりしませんか?

②ホモ・サピエンスが生き残った理由

我々人類が生き残った理由はいくつかあると言われていますが、その一つに「遺伝子の多様性」が有力説の一つとして注目されています。

つまり、お互いの遺伝子に違いが多いからこそ生き残ったと言われているのです。

違うからこそどうにか生き残ろうとするし、分かり合えているもの同士だと感情や煩悩に溺れて堕落していきます。
多様性の少ない種族が絶滅した理由にもあげられています。

また、ホモ・サピエンスが生き残ったもう一つの理由に、「噂話」「信じること」ができたからだと言われています。

「噂話」は、多様性がなければできません。
”あの人って〇〇らしいよ〜”
”え〜うそ〜!変だね〜”
ここに多様性が含まれています。

不倫しているかもしれない男と不倫なんかするわけない男がいることで、多様性を確認し合い、噂話につながります。

まあ、このご時世のポリコレポピュリズムを見ていると、多様性を認めない人が増えているようなので、”ああ、絶滅に向かっているんだなあ”と思ったりします。

特別な関係の中で、「愛する」ためには、「共感できないこと」も愛せると、些細な環境変化や状況変化なんかでは、その関係は簡単に揺らぐことはないんだろうと思います。

「私たちがもし、もし、共感できないことがあるとしたなんだろう?」

一度その大切な人に話してみてもいいかもしれません。



<終わり>




シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。