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直接支援者と予防的支援者が対立する訳_子ども食堂の流れに対する違和感

私は、直接支援に関してはあまりSNS上で発信することはしていないのですが、仕事や活動柄、年間100件以上のケースは頻繁に訪れます。

特に宅配弁当では、料金の安さもあり生活保護家庭からの注文が多く、見守りや相談も兼ねてお届けする事が多い。

現在、私の主宰する勉強会では検討事例の紹介を兼ねて今の施策の問題を浮き彫りにしながら解決の手立てを考えるという作業を行っているのですが、参加者が福祉関係者、行政、教育、医療と様々な分たくさんのヒントが見えます。

とにかく、出会うたびに心が重くなるような事例も多く、この辺りは皆で一丸となって取り組んでいくことが大切だなあと思っているところです。

最近、ファミリーマートの子ども食堂の議論を含めて、様々な議論が膨れ上がっているので、自分の考えを書いてみたいと思います。

【ファミリーマートの子ども食堂は可か否か】
大まかな全体像として言えば、私は「可」という考えです。SNS上では「否」だという発言をさせていただいていますが、これはもう少し別の理由があります。この辺りは話し出すと長くなるので割愛するとして、色々な人が支援をするという流れはとてもいいことだし、寧ろ応援をしていかないといけない。国全体がそういう雰囲気になるのはとてもいいことだと思っています。

【何が問題か】
支援者の考えや価値観の違いによる様々なぶつかり合いについて、私は結局のところ無意味だと思っています。最終的に対象者は誰で、私達は何をすべきかを考えたときに恐らく皆同じ理論に行き着くのだと思います。なのに、なぜ意見の相違が出てくるか。それは支援者とは別のところで、行政や施策、中間支援者の存在が絡んでくるからだと思います。

実際は同じ事を訴え、支援をしているはずなのに、そこに支援者ではなく別の仕組が入り込んでしまうことが問題をややこしくしているのではないかと思うのです。

【直接支援者と予防的支援者の価値観の相違】
一つ、事例を書いて見ます。実際に支援に入った事例です。
Aさんが低栄養状態なので、弁当を届けて欲しい。という依頼でお伺いした訳ですが、行って見て驚きました。床には腐敗した食べ物やカビだらけの湯のみ。包丁や便にまみれたオムツが転がっていてその中に寝たきりの状態でした。弁当事業者の立場としては玄関口でお弁当を置いて帰ることしかできないのですが、そういう訳にもいかず、最終的に本人と第3者の了承を得て家に入らせて頂くことになりました。事例が複雑で難しい案件だったので、こちらには書きませんが、介護関係の人と話すと「そんなもの日常茶飯事よね」と言います。デイサービスの送迎時にそういう場面に出くわすことは多く、そこは日常の業務として真摯に支援に当たっているという訳です。入所施設になるともっと深刻ですね。関わり方やケースは違うとはいえ、福祉現場は常にそういった状況と向き合いながら支援に当たっているわけです。

昔、こういうことがありました。県内各地から児童養護施設関係者、児相の方々が参加した児童虐待シンポジウムに私を含む市民活動団体がパネリストとして参加したのですが、その時にシンポジストがずっと予防的支援について語っていました。

そして、帰る間際に児童養護施設時代の園長にお会いしたのでご挨拶をしたら、
「君達がやっているような支援の子達はうちには来ないから」と苦笑いして帰られました。私はこのときとても複雑な思いになりました。

直接支援者というのは、常に、予防的な支援が行き届かずにやってきたかなり重度な事例に向き合っているという事を意識して欲しい。

直接支援をしている人が、色々な場で発言をする機会というのはあまりありません。

支援をするのは、特別な人しかしてはいけない風潮が嫌だ。専門的じゃないと関われないような排除感があるという意見が出ていて、今、その辺りと「子ども食堂」が一色単になって議論のネタになっていますが、実は、直接支援に関わっている人たちはこのような土俵にすら乗っていない。

実際に、常に大変な状況の子ども達に関わっている支援者は、SNSの場で発信したりすることはあまりないのです。当たり前ですが守秘義務がありますから、仕事に携わっているケースを世に出すわけにはいきませんので。

今の様々な流れを見ながら常に思うのが、予防では間に合わない子達やその支援者の声は反映しなくてもいいのか。

どこか、子ども食堂が支援の一つとして動き始めているように見えますが、長く運営に関わっている人たちは気付いているかと思います。「本当に大変な状況の子達は子ども食堂には訪れていない」ということを。

長年、地域福祉に視点を当てながら活動をしてきたので、予防的な支援がどれだけ大事かはよく分かっています。しかし、予防支援の人の論調が当たり前になってしまうと、結果として福祉政策の方向性が変わってくるという現象を見ている自分からすると、とても不安を抱いてしまうのです。

本来であれば、直接支援をしている介護職や支援者が直接行政へ声を届ける仕組があるのが一番だと思うのですが、こういった政策提言の場で重宝されるのはなぜか市民活動団体だったりします。

実際、そういった福祉活動をやっている支援団体の中には、直接支援の現場に入ったことのない支援者も多く、その本質的な問題点はあまり見えないまま議論が進むことも比較的多くあります。

世論というのは、空気みたいなものなので、色々な論調が起きはじめるとそこから政策へと流れが変わり始めます。

一番いいのは、直接支援者がしっかりと声を上げていくことなんだと思いますが、それが難しい今の現状、どうやって彼らの声を届けるかが課題になってきます。

【結局は皆同じ事を言っている】
結局は、皆同じ話をしているが、価値観の相違だけでなく、今の与えられたポジションによって見え方が違うだけで、その辺りがしっかりと議論できれば皆同じ方向へ向き合うことができるのではないかと思っています。

SNSというのは、炎上したりして議論が益々過熱しているものだと思いますが、支援についての議論に意識をしすぎると本来の「子ども達を支援する」という論点からずれることにもなるかもしれませんね。

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