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新卒2年目のベンチャーOL、適応障害になる。

はじめに。
突然このnoteを目にした我が知人の皆様には、驚き桃の木なニュースになってしまったかもしれません。診断が降りた今「大丈夫やで〜」とは言えない現状ではあるのですが、「大丈夫」に向かうために、ある意味めっちゃ前向きには過ごしてますので、「そうなんやな〜」という程度で受け取ってもらえるととっても安心します!


なんか久しぶりに文字を書こう〜と思い立ったは良いものの、何から書いたらええのやら!頭の中はビッタビタに感情で埋め尽くされていて、小田和正級に「言葉にできない」状態であります。

ここ2ヶ月の自身のメンタル不調は経験したことがあるものではなく「あれれ、もしかしてやべぇのでは」という、曖昧だけどはっきりとした感情がありました。何があったかは後述するとして、とにかく、「やべぇやべぇ、どうしよう」となった先に辿り着いたのが、心療内科でした。

まだ、どうするかは何も決まってないので、一旦とりとめなく徒然なるままに書く感じになります!記録フォーザブライトフューチャーって感じです!

会社を1ヶ月休むなんてできないの巻

「あなたは仕事のストレスによる適応障害で、うつ病に片足突っ込んでる状態です。精神科医としては、1ヶ月お休みをとってほしいのですが、どうでしょうか?」

ど、どうでしょうかと言われても、先生…(焦)

診断を受けた率直な正直な感想としては、「…先生は私の気持ちが全然わかってない!」という激病み彼女的な感想でした。1ヶ月休むって、本当に、めっちゃ休んでる。

私の会社は8年目のベンチャー企業で、新卒2年目と言えど、私はすでに営業マンとして結構しっかりとした数字を追っている。なんだかんだ今月からは、部署内で一番予算比率の高い営業部のいちチームリーダーを担当することにもなり、メンバーの業務の把握と進行も行うことになったところでした(それがストレス原因でもあるのですが・・)。

今の営業部の状態で私が1ヶ月間席を外したいと言ったら、先輩はなんて言うだろう。メンバーはどうすることになるんだろう。というか、そもそも私は1ヶ月休んだら前みたいに働けるのだろうか。働けなかったらどうするんだよ。どうするんだよぅ、先生!!

口にはもちろん出してない。けど、精神科の先生からの話だけでは、到底「そうですね、休みます」とは答えられないと思いました。会社の状況、部署の状況、自分が担っている領域、先輩達・後輩の状況等々、もちろん、私がいなくなったって代わりはいるのです。いるのですよ、当たり前に。だけど、突然いなくなったらいなかったで、結構カオスが巻き起こりそうだなという想像はついたわけで。

そして私は23歳。キャリアの階段をたった今登り始めたばかりで、社会的な信用もあるはずもなく!今休んだら、へばったZ世代の端くれだと思われる!!(大号泣)

あゝ、会社を1ヶ月休むなんて、できない。

自分の実力vs会社からの期待値

1年ちょい前の入社式で、会社から「3年でマネージャーに就く人材になれ」という目標が与えられ、研修期間は4日間程度に、すぐに実務に入った。

6月まで先輩の商談同席をして勉強しつつ、その月に辞めるトップセールスマンの先輩のクライアントを同時並行でまるまる引き継ぐことになり、気が付いたら、7月にはクライアント20社くらいをドーンと任されていた。

とんでもないポテンシャル配属すぎる。

人生最初の商談は、見事に緊張しすぎて日本語自体が上手く話せなくなった。先輩に「30点だった」と言われて、あほみたいに、泣いた。今でもトラウマすぎて草すぎる。まじで、人生終わったと思った。

その後もしばらく商談は上手くならなかった。

本当、上手くはならなかったのだけど、それなりに悩んで色々頑張ったりしてたら(ざっくり)、10月くらいに、初めて上手く行ったな〜と思う商談を経験した。

そこから大量残業の波の中で奇跡のラッキーパンチをいくつかぶちかますことができ、とにかくとにかく時を駆けてたところ、12月の総会時点で、全社売上2位になり、ニッコニコで会社から表彰されたりした。

これはこれでとんでもなく泣いた。

人生終わったと思った時のため息貯金で買った、哀愁漂うチョコミントアイス。


その後もドベンチャーの荒波を必死こいてサーフィンしつつ、今年の4月からは新入社員として営業部に配属された後輩のメンターになった。去年の自分を思い返しながら80ページある商品メニューを教えていき、ロープレの壁打ちをしたり、提案資料を確認して一緒に考えたり。

そんな中。

後輩は優秀で明るくて本当にキラッキラだったけれど、シンプルに業務量が増えた体力的なストレスと、まだ未熟な自分が教える難しさや伝え方の難しさといった精神的なストレスは日々蓄積し、私は体調を崩した。

ゴールデンウィークを目前に、乾いた咳が止まらなくなった。PCRも陰性でレントゲン写真でも肺は綺麗で原因が不明。なんやなんやと、あちこちの病院を転々としてる間に、咳の威力で肋骨が2本ヒビ割れた。辛すぎだし、痛すぎ。なんなん!

結局原因は分からず、咳が徐々に治まってきた頃を皮切りに仕事復帰したものの、何故か、その辺りから、前まで出来ていたことが途端に出来なくなった。

例えば、クライアントが言ったことが理解できないとか、聞かれたことと違うことを話してしまったりとか、過度に緊張して商談中噛みまくってしまったり、日本語が出てこなくなったり。

商談がうまくいかない度に「なんとか持ち堪えないと…」と焦り、先輩にアドバイスをもらったり、営業の本を買って読んでみたものの、インプットが増えたら増えたで、今度は、商談中、聞かれたことに対して何を言うのが最適か分からなくなり、頭が真っ白になるようになった。

商談中の沈黙ってね、本当にめちゃくちゃ怖いのよね。
ほんとね、人生終わったと思うのよね。(デジャヴ)

焦ってポチった本の1ページ目。泣ける。

そんな時だった。

上司から「6月から売上予算比率が1番高い部署のチームのリーダーをやってもらいたい」と、話があった。

自信を完全に失っていた私にとって、この打診は非常にタイミングが悪く、辛いだけのものだった。

プレッシャーと、責任が重くのしかかった。
できない、到底、できない。
何で私が。
焦る、涙が出る、辛くなる。

会社の期待値と私の実力が、釣り合ってない。
応えられない。だめだ、ああ、だめだ…。

ああ、もう、ついていけないかも(大号泣)

人生はクソみたいに長いのだから。

6月に入ってからは週末も頭痛がひどかった。朝起きるのがやっとで、メールを打っているだけでも涙が出たりした。あまりにも涙が出るので電車に乗れず、残業後でも線路沿いを歩いて帰ったりした。思考力や記憶力も格段に落ちた感じがあり、最終的には右と左がパッと出てこなかったり、簡単な計算にすごく時間がかかったり。本当、色々あった。

とてもではないが、商談に出たり資料を作ったり後輩のメンターができる状況ではないと思った。休むなんて、、、そんな、、、ねえ?と思っていた以前とは違い、一回休まないと、もう、会社にも自分にもいいことがないんだと理解し、ようやくここで、上長に打ち明けた。

正直、どこまで自分の状況をうまく伝えられたかは分からない。上長としては「ホント?商談も別に上手く行ってたと思うで?」という感じだったらしいのだが、私の話を聞いて、「仕事にそんなに人生賭ける必要なんかない、休みなさい」と、今後の私の仕事を全て巻き取ってくれることになり、

私はしばらく休養することになった。

このnoteを書いている今日は、お休み1日目。
休んだとて上手くいく保証などない。そう考えると、復帰が本当に怖い。
どうしたもんかな、どうしようかな。未定の極みだな。

だけど、休んで心のストレスを少し下げていく中で、もう少し楽に考えられるようになればいいなと思っている。責任感持つことは大事だけど、自分の性格的にもそんな気張って考えていたっていいことはないらしい。

地味に、同期に言われた言葉が面白くて刺さっているのだが、「俺らはまだ若いし、人生はクソみたいに長いのだから」。
休んだって…大丈夫。大丈夫!

今は、それだけを考えてみている。
そういう、記録!


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