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古い温度計

船舶用の浮き輪をかたどった形に陽にあせたブラウン。数字に温度の目盛り、サーモメーターという文字だけのシンプルなデザイン。

小さい頃から目にしてきたこの古い温度計が今、私の自宅にあること。

この夏イチ、感傷的になった出来事だ。
若者の間でこういうのをエモいって言うのであれば正にドンピシャな気分。

ちょっと涙が出そうなくらいにエモい送り盆の昼下がり。

針はちょうど28度をさしていた。



温度計だけで大袈裟なと言われそうだ。

それは長い間、祖父母の家にあったもので今のマンションに引っ越してくる前の戸建ての頃からあり幼少期は遊びに行くたびに眺めるほど密かにお気に入りだった。

急な階段を登った2階の奥の和室。じいちゃんの趣味部屋の木造の柱に画鋲をギュッと押し付けてかけられていた。まあまあ重さがあるのでおそらく何回も落下するのか柱は穴だらけ。

ああ、あった。

いつもその部屋に来たら必ず確認する。
和室に馴染むようなそうでもないような不思議な雰囲気だと思いつつ、なぜか好きだった。


私が大学生の時2人は家を売って私たち家族が住む県へ引っ越してきた。

それまで住んでいた土地とは違い繁華街の中にあるマンションで夜は遅くまでそれは賑やかな場所で。近くに大好きな祖父母が来ることになって嬉しかったけれど外観はあまりにも立派なマンションだったためここにじいちゃんたちが本当に来るのかと実感が湧かなかった。

でも家の中はよく見覚えのある置き物や食器棚、掛け軸などがあり懐かしい空気に満ち溢れていた。

そしてテレビ横の壁にあの温度計を見つけてホッと胸を撫で下ろす。

ああ、あった。

2人が生きていた間にこのマンションに私は数回泊まったが全てがこじんまりとした以外は以前の家と変わらない時間だった。

おばあちゃんの手料理はとてもおいしかったし、じいちゃんの趣味の話しは相変わらず長くて途中で少し退屈する。20代前半だった私はそろそろ結婚しなさいと行くたびに言われたものだ。

そんなやりとりをもずっと見守ってきた温度
計。

おばあちゃんが先に亡くなり今年の春じいちゃんが旅立った。あれは処分される前に私が引き取ろう。決意と言えば大袈裟な、でも自分の中ではとても大事な思いは自然と湧き上がった。


ここ3年の世の中の情勢もあって今年の迎え盆で久しぶりにマンションを訪れた。
2年半ぶりかなと頭の片隅で考えながらエントランスから入りエレベーターで部屋へ向かう。

出迎えてくれたのは父と母。久しぶりに来ただろうなんて会話をしながら中へ入ってテレビの横には。

ああ、あった。

片付け中で物がごった返す部屋でお仏壇の2人にお線香をあげて手を合わせる。コレ欲しいなと言うとあっさり許可が下りて温度計を連れて帰ることになった。


じいちゃんとおばあちゃんはいつでも雄大な自然のように包み込んでくれた。その風光明媚とでも言うような寛容さは大人になった私にまだない。温度計を持って帰ったってそうなれるわけじゃないけれどいつも目につく場所にこれがあることは私にとってとても心揺さぶられることなのだ。


自宅で壁にかけた温度計はゴールドの文字盤がほんのり輝いて見える。2人の魂は今あんな風に温かな光に包まれているのかも。

ああ、きっと、そうだ。

センチメンタルになるのは今日で終わりにしてこれからは温度計と共にある日常を大切にしよう。

長く連れ添った祖父母が培った歴史は未だこんなにも輝いているのだから。



          ♢




じいちゃんの新盆が終わって、送り盆も無事すんだ今日。
今だからこそ書きたかったことをまとめました。

なぜ温度計なのかと思われるかもしれませんが私にもはっきりとした理由はなく強いて言うと思い入れがあるとでも言うのでしょうか。

まるで待ってくれていたかの様にそこにかかったままでした。

一緒に連れて帰ってこれた今、ここで気持ちも一区切りつけようと思います。


長くなりましたが最後まで読んで頂きありがとうございました✨

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