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【掌編小説】昼下がりの洋館

高い塀で囲まれた立派な門の洋館。生まれてから二十年近く、この近所に住んでいるが、不思議と生活感というものを感じた事がない。この建物の周辺だけ、ゆったりとした時間が流れている。


珍しく洋館の門が開いていた。備え付けられているインターホンを鳴らす。室内にピンポーンと響いているのが微かに聞こえたが全く反応が無い。もう一度インターホンを押してみる。

空しく音が響いた。

辺りを窺いながら、ゆっくり玄関に向かっていた。玄関までそれ程遠くは無いが、石畳の道になっており、その両脇には丸い小さな植木が並んでいる。外壁を塗装中なのであろう。足場が組まれ、見上げると洋館全体を覆っている白い幕が、晩夏の心地よい風になびいていた。日曜日だからだろうか。塗装工もいない。

木製とはいえ重そうな玄関の扉。鉄製の輪を咥えたライオンのドアノッカーがこちらを睨み付けている。インターホンは無い。輪を持ち上げ、軽く二度ノックしてみた。

やはり反応が無い。ドアノブを握り、回そうとしたが、軍手をはめていたので滑ってしまった。僕はドアノブを握り直し、ゆっくり右に回した。

鍵はかけられていないようだ。中の様子を窺える程度に静かにドアを開け、顔だけを隙間から覗かせてみる。

塗料のシンナー臭に混じって、上品な香りが鼻孔を通り抜けた。壁には油絵だろうか。花瓶に生けられた花の絵が飾られ、別の壁には全身が映る程の大きな鏡が掛けられている。土足のまま中に入って行くタイプの家で、塗装用の幕のせいか、晴れているのに薄暗い。

「ごめんください」

扉をさらに開け、恐る恐る中に入る。ドアから手を放すと、ギィという小さな音とともに静かに扉が閉まった。

「ごめんください」

再び声を張った。左右に部屋があり、正面には二階に続く階段がある。その傍には扉があった。

「お邪魔します」

と言いながら左の部屋を覗くと、グランドピアノが置かれていた。怪しげに黒く光っている。窓の向こうでは、赤茶色のしぶきの付いた幕が、バサバサと音を立てて揺れている。特に異変が無いのを確認すると、ゆっくり右の部屋へ移動した。

十畳以上の広さだろうか。二人掛けのソファが二つ向かい合うように置かれ、その間にガラス製の低いテーブルがある。色褪せた薄緑に小さな花を散りばめた壁紙。洒落たアンティークキャビネットの上には、装飾の施されたグラスや良く分からない異国の置物がある。本棚には英語の本が並んでいるが、何冊か床に散らばっており、良く見るとソファも斜めにずれている。

「どなたかいませんか」

足場に擦れる幕の音が、胸の奥をざわつかせる。

隣接する別の部屋。いつもは庭が見えるのに、あいにく外壁の幕が景色を遮っている。部屋の真ん中には大きな丸いテーブル、壁にはテレビ。天井に取り付けられたエアコンから吹き出す風が、肌を伝う汗を蒸発させた。

足元に目をやると、絨毯の上に赤黒い染みが点々と連なっている。その染みを辿って台所へ入ると、急に眩暈に似た感覚を覚えた。


女がうつ伏せで床に倒れている。恐怖におのく彼女の顔が、一瞬だけれども強烈に僕の脳裏に映し出された。背中の赤い染みの真ん中には包丁が刺さっており、床には血だまりができている。僕は悪くなる気分に耐えながら近づいた。彼女の頭から爪先まで視線を動かすと、ぎゅっと握った右手にキラリと光る物が見えた。彼女の傍で跪き、親指、人差し指、中指と開いていく。握りしめられていたロケットペンダントをそっと引き抜いた。


あなたがいけないんだ。


ゆっくり立ち上がると、食器棚のガラス戸に映る自分の姿。ホッとした柔らかな表情とは裏腹に、どこか哀しげで、首にはミミズの様な赤く痛々しい痕が走っていた。

ペンダントトップを開く。小さな彼女の笑顔が現れた。

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