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黄金期を作った“寝業師”の面倒見の良さとは:髙橋安幸『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』



 所沢の僕の実家の近くに根本陸夫邸があった。根本は99年に亡くなっているし、他の家族が住んでいる気配も無かったので大した接点とは言えないが、それでもずっと掛かっていた「根本陸夫」の表札を見ると背筋がシャンとした。西武ファンとして、野球ファンとしては、名前を見るだけで凄みが伝わる人物であった。  

 本著は旧制中学から近鉄まで長らくバッテリーを組んだ関根潤三はもちろんのこと、工藤公康、大久保博元、森繁和、王貞治に至るまで豪華な野球人(監督を経験した人物が多いのも一つの特徴といえる)を中心に、22章からなる証言が「球界の寝技師」と呼ばれた根本との思い出を振り返る。捕手出身かつ、日本球界の「人事」に多大な影響を与えた点では野村克也ともオーバーラップするが、むしろ共通点といえばそれくらいで、文庫のリード文にもあるように根本は〈選手としては三流、監督としても二流>である。3球団11年指揮を執っているが、目立った功績は68年に広島を球団初のAクラスに導いたくらいである。
 だが、根本はグラウンドに姿を現さずに、ある意味「フィクサー」的な役割を徹することで、球界の覇権を巨人から奪っていく。長嶋茂雄が93年に巨人の監督に復帰したのを見て、「長嶋が長男なら、王は次男。巨人という家を継げないのでは」という発想の元、「東京の人間だから」、「パリーグは知らないから」と断ってきた王を口説き、監督に招き入れ、現在のソフトバンクにつながる「王国」の基礎基盤を固めた。「日本シリーズでのON対決」を目指すことで、Jリーグや若貴ブームに押されていた球界の復権を目論んだという。「生卵」「脱税」など苦難の歴史を経て、実現した前年に世を去ったのは、瀬戸山隆三の言う通り<ちょっとかっこよ過ぎ>だろう。  

 旧制法政大学時代には硬派学生として、安藤組の安藤昇からも一目置かれていたというのも納得の、眼光の鋭い写真が表紙となっている。だが読み進めていくと、案外「人間」というか、根本マジックにも細部には失敗もあることがわかる。前日に登板させ、「上がり」だったはずの森繁和をうっかりリリーフに上げてしまうケアレスミスから、プロアマ間規定の解釈を間違えてドラフト外で小島弘務を西武に入団させてしまうなど、選手の人生を左右しかねないミスも証言されている。
 しかし根本は単にミスだけで終わるような人間ではない。小島に対しては<球団じゃなくて、オレ個人で面倒見ればいいんだろ?>とコミッショナーに<殴り込みをかける勢い>で直訴し、マンツーマンでトレーニングして、翌年の90年に中日にドラフト1位で入団させている。この面倒見の良さこそ、根本マジックのタネなのではないだろうか。プリンスホテル硬式野球部監督だった石山建一ら複数名が証言するように、西武が日本シリーズに駒を進めると「自腹」で全国津々浦々、様々な面でお世話になった人に何百枚と招待券を渡したという。そうしてコネクションを強固なものにし、スカウト情報を得ていたというから「流石」と言わざるを得ない。 

 読後の感想として、なんだかスポーツの世界の偉業を描いた本ではあるが、田中角栄などの「昭和の政治家」の逸話を聞いているような気分になった。大久保は西武の渡辺久信シニアディレクターは根本のような<本当のGM>になるのでは、と話しているが、コンプライアンスや球界のルールがかなり明文化された令和のいま、根本のような怪傑はそうそう現れないだろう。しかし日本国内に3軍制度や独立リーグも増え、アジアや欧州も野球が盛んなった今、ますますグラウンド外で多角的に人材を動かせる「フィクサー」は重要性を増すことだろう。

#書評  #野球 #ノンフィクション #根本陸夫

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