不安とやら。

産まれた瞬間から死が決まる。

今世に産まれた、地球上にいるみんな共通のこと。

人は何のために産まれ死んでいくのだろうか?

赤ちゃんの頃は、感情や直感に素直に生きていた。
いつから笑うことや怒ること、泣くことなどを状況を見て抑えてしまったんだろう。

環境がそうさせている。

親や親戚、家族。
保育園や幼稚園、小学校から大学まで。
社会という中にて。

個性とはなんだろうか。
教育って?

ただただ、企業に求められる働きアリ製造機ではないだろうか?

集団生活に慣れされ、みんなと一緒が良い。
みんなと違うことがダメ。

と散々言われる。
校則では、身なりまで文句言われる。
制服の着方、化粧や髪型。

特に化粧は学校でするな!と言われるのに会社に入った途端に求められる。

おかしなことの連続。

【?】

疑問が小さな頃はあっても周りが良いと言えば従ってしまう。

おかしな世の中なもんだ。


私は保育園の時
「なぜこの人(先生)の言うことを聞かなきゃいけないんだろうか?」
と思っていた。

小学校行っても違和感しかなかった。
周りと同じ行動するのが嫌だった。

中学校入って1年。
初めてバレー部に行った日、壁に向かってトスの練習を2年、3年にされた時。
後ろで笑い出した先輩たちに腹が立った。

やれと言われてやったら、笑い物にさせられ次の日から部活には行かなかった。

まぁ平日は来いと言われて渋々行くことは何度かあったが、土日と夏休みや冬休みは一度も行ってない。

同級生の部長に
「ゆうき、部活来なきゃダメだよ!」
と言われた時
「なんで?」
「部活だからだよ、そういう決まりなの」

顧問の先生も同じ事言ってた。

は?なわけですよ。

もしあの時
「部活ってのは人生で10代のほんの数年しかできないスポーツを通して仲間意識や練習、試合での喜びとかみんなで分かち合うことなんだよ、やってみたら?」

と言われたら
「おう、そうか、ちょっとやってみっか」

となったかもしれない。

なんで?

と聞いた時、ほとんどが納得のいく説明などない。

その頃から、不安や疑問、生きづらさというモノを感じてた。

おかしいのに、みんなおかしいと感じないのかよ!ってな具合に。

物心ついたころには坊主にしていた。
ばあちゃん家にあった手動のバリカンで切ってもらってた。

坊主なのは大人になっても。
20歳越えたころからは
「坊主はロン毛だ!」なんて思ってカミソリで剃ってスキンヘッドに(笑)

社会に対する反発だったんだな。

人と同じは安心?
はて、私はその感覚があまりない。

命に関わるルールは守るよ、それはね。
車の左側通行とか、みんな自由に走ったら事故るでしょ。

コロナ始まってみんながマスクしてる姿がおかしくてしょうがなかった。

お店の入り口で銃のような体温計頭に向けられて、少しでも体温高いと入店できないとか。

子供のおままごとでもやらんわ(笑)

しかもどこ行くのも、薄っぺらいマスクしてなきゃ警備員でも追いかけてくる始末。

「お客さん!マスク!」

「私の名前はマスクじゃありません」

ってなやり取り何回したんだろ(笑)

世の中おかしいことなのに、周りがやっていれば安心するって心理が私にはわからんのよ。

感染源が髪の毛だ!ってなったら、素直に髪の毛剃るの?

おかしいって思おうよ。
言われることに慣れすぎた教育で育ってきた中で1番大切な【感性】を失っちゃった感があるのよ。

人に言われたらどうしょう。
みんなに見られるどうしょう。

はい

人に言われたからどうなんですか?
みんなにみられたからどうなんですか?

言われるくらいにみんな注目しちゃってんだなぁ〜!

って私なら思っちゃうほどポジティブ思考なわけ♪

物事の判断してるのは己自身。
そこに氣づこう!

ニュースにしろ新聞や噂話にしろ
どんなことがあっても
良い
悪い
なんて勝手に判断してるだけなんだから。

人は生きる上で大事なことは、感性に素直になること。
直感に従うこと。なのだと思うんだよ。



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