見出し画像

龍神さまの言うとおり。第20話(最終話)

九月の宇和海。その日は、湿気のない爽やかな風が吹いていた。

遅い夏休みを取り、恭子とともに愛媛県、八幡浜沖の大島行き高速フェリーに乗船した洋介は、外に広がる大海原を眺めながら、この二か月間の出来事を思い返していた。

二人は、まだ結婚はしていないものの、ともにパートナーとの離婚手続きは完了し、今は東京都内でも人気の高い代々木上原に、広めのワンルームマンションを借りて、慎ましやかに同居している。

そして洋介は、勤務する会社が社内公募した新規事業、フェニックス計画に個人で応募し見事採用されたのだった。その事業内容は、個人向け動画投稿支援サービスである。

これは、動画投稿サイトが、さまざまな情報取得のメインストリームとなっている昨今、全国の自社店舗内に動画作成スタジオを新設して、シニア世代の旅行リピーターを中心に会員を募り、初心者向けスタートアップ講習や、動画の企画、構成、撮影、そしてアップロードまでの全工程が、月間累計十時間のスタジオ利用を上限に、定額料金で利用可能となるサービスとなっていた。

特に、動画とは無縁という中高年層へ訴求するため、スタートアップ講習では、これまでの人生経験を語ったり、特技の披露や、各地名所や有名店紹介など、動画サンプルを紹介する予定である。また、三十分以内の独自コンテンツの作成であれば、基本的に追加料金なしで、一回あたり二時間を上限にスタジオ利用ができ、追加のオプションとしては、撮影前の化粧メイクや、ヘアメイク、衣装レンタル、オリジナル画像や音響エフェクトの有償提供、そして、出張撮影サービスが、提携業者への委託で用意されている。

コンセプトは、安価な動画製作費でもハイ・クオリティの作品が作れるということ。さらに、ご近所感覚でスタジオを利用して、自分の動画アカウントにアップロードすることができることを訴求していた。

また、この新規事業は、自社と旅行リピーターとのグッドウィルを確立させて、さらなる消費行動への喚起が可能となることから、今後の経営における事業の柱となる可能性が高いと認められたのだった。

そこで洋介は、この夏休みを利用して、龍王池をはじめとする大島、そして八幡浜の魅力を撮影し、動画投稿のサンプルとするべく、恭子とこの地を訪れていたのである。それは単に、名所旧跡を紹介する観光案内でなく、恭子の歌う姿を織り交ぜて、クオリティの高いサンプルを作る意図があった。

「じゃ、いまから歌ってくれるかな?」

つい最近購入したプロ仕様のカメラを手にしながら、洋介が恭子に言った。

頷いた恭子は、すでに、コンサート用のマリンブルーを基調としたドレスを身につけて、防波堤の上に立っている。その背後には、残暑の太陽が空と海の青い世界を眩しいくらいに照らしていた。

持参したスピーカーから、事前に収録した曲のイントロが流れた後で、洋介は、カメラのディスプレイに突然映った物体に目を奪われた。

「これって・・・」

恭子が歌い始めると同時に、そのディスプレイには半透明な藍色をした物体が映っていたのである。それは、まるで意思を持っているかのように、歌う恭子の周りを旋回している。

「もしかして、龍神さま?」

洋介は、そうつぶやきながら、アメイジング・グレイスの後に続けて、ザ・ローズという英語の曲を歌っている恭子の姿を、ディスプレイ越しに見ていた。そして、歌い終えると同時に、半透明の物体は姿を消したのだった。

「恭子ちゃん、いい感じだね。ちょっと休憩した後、もうワン・テイクするから、よろしく」

まるで何もなかったかのように、映像監督のような口ぶりで洋介は言うと、先ほどのカメラ位置とは別の場所へカメラを移動させた。

洋介は、なぜかディスプレイに映っていた先ほどの物体のことを、恭子に話そうとはしなかった。今はただ、自然の流れに任せて、この美しい風景に溶け込むような恭子の歌を、ベストなアングルと精度でカメラに収めたいと思っていた。

そして恭子は、持参した折りたたみ椅子に座って、ミネラルウォーターを口に含むと、瞑想をするかのように目を閉じている。

しばらく休憩した後、洋介は二回目の撮影を開始した。

その際も同様に、半透明の物体は恭子の歌にあわせて、そのまわりを旋回するように現れ、終了と同時に消えたのだった。

それから半年後・・・。

代々木上原駅からほど近いイタリアンレストラン。ここは、二人が住むワンルームマンションから徒歩数分の場所にある。

「よかったね。フェニックス計画、うまくいって」

週末土曜日の午後、商店街に面したテラス席に座って寛ぐ恭子は、ワイングラスを持ちながら、そう言った。

「ありがとう。恭子ちゃんのおかげだよ。動画ステーションというアイデアを提案してくれなかったら、今頃まだ苦戦していたと思う」

そう言って洋介は、隣に座る恭子のグラスに自分のグラスを軽く当てた。

動画ステーション。

それは、洋介の勤務する旅行会社が持つ全国の支店を、それぞれに動画ステーションと位置づけて、独自のオフィシャル動画サイトを立ち上げ、ライブ放送をするアイデアであった。具体的には、日本各地の支店内に設けたスタジオが、予約で埋まっていない時間帯を使って、支店社員がMC役となり、地元ならではの名所や名物、さらには有名人といった、少々ニッチな情報をライブで紹介する番組を作成して公開することで、地元経済の振興に貢献するといった内容である。

今から三ヶ月ほど前に、この取り組みが全国版の経済紙面で取り上げられると、一気に知名度がアップし、一般のスタジオ利用者が増えると同時に、各地の動画ステーションへのチャンネル登録者数が増えたことで、取材をして欲しいという依頼が多く寄せられるようになったのである。

「CMの広告収入もかなり増えて、予想外に右肩上がりの展開になったよ。それと、番組のエンディングで使っている、恭子ちゃんの歌う映像も評判いいしね」

洋介は、各地のライブ情報番組のエンディング曲として、半年前に大島の龍王池で撮影した映像と音楽を採用していた。そこには、当時のディスプレイに映っていたとおりの薄い藍色で半透明をした物体が、歌う恭子のまわりを旋回する様子が映っていたのだった。

「今だから言うけど、もしかして、あの時・・・、龍神さまから何かお告げを聞いた?」

動画ステーションは、龍神さまが恭子に教えてくれたアイデアである可能性を考えていた洋介は、少し真顔になって聞いた。

「さあ、忘れたわ」

含み笑いをしながら、そう話す恭子の眼には、何か言いたげな余韻が漂っている。

「それでいいよ。何事も、謙虚に歓び、潔く諦めることが大事だからね」

洋介は、以前に自分が話した言葉を、噛みしめるように言った。

「じゃ、もう一回、乾杯しようか」

洋介の言葉に恭子が頷くと、二人の持ったワイングラスは、午後の日差しの中で、輝きながら重なり合った。その瞬間、心地よい音にあわせて、グラスの間を縫うように、薄い藍色をした半透明の光が、ゆっくりと流れていたのだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?