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龍神さまの言うとおり。(第19話)

高校時代の同級生である北山恭子と偶然にも出逢い、そして熱い夜を過ごした翌日の午後一時。

洋介は、中野坂上交差点に面した大型商業ビルの一階にあるハンバーガーショップにいた。ここは、中野と新宿のほぼ中間にある。

店内のカウンター席に座り、ガラス越しに、眩しい日差しの中で行き交う人や車の様子を何気なく見ていた洋介は、ふと気配を感じて振り返った。その視線の先には、昨日とは違ったカジュアルな雰囲気で、ピンク色のポロシャツと白のデニムパンツを着た恭子がいる。

「カウンター席にいたのね。待った?」

約束の午後一時から少し遅れてやって来た恭子は、そう言いながら、洋介の隣に座った。

「いや、全然。こっちこそ、急に呼び出してゴメン。ちょっと話したいことがあってね」

真剣な眼差しで話す洋介に、恭子は怪訝そうな顔をした。

「もしかして・・・、昨日の夜、家に帰ってから何かあったの?」

「よく分かったね、その通り」

「奥さんと、ケンカでもしたんじゃない?」

「いや、実は・・・、僕も、離婚することになった」

「えっ?」

驚く恭子の顔を横に見ながら、洋介は、昨晩の出来事を話し始めた。

昨晩遅く、洋介が自宅マンションに帰ると、二人の子供たちは既に就寝していた。しかし、リビングのソファーには、妻である恵子の隣に一人の男性が座っていたのである。その男性は、洋介と恭子がヒルトンホテルから新宿三丁目を経由して歌舞伎町のラブホテル街へ移動する際に使ったタクシードライバーだったのである。

「どうして、運転手さんが?」

恭子は、さらに驚いたためか、若干大きな声を出して聞いた。

「その運転手って、家内の元夫だったんだ。数年前に、上海から帰国していたらしい」

洋介はそう言うと、上海での再婚相手である中国人の若妻が、第一子となる子供を流産したことから、その後、身体と精神面での不調が続き、結局のところ子宝に恵まれることもなく、若妻との二人暮らしをしていたことを話した。そして、その後の顛末は次のとおりであった。

元夫は、再婚後の五年間、子宝に恵まれなかった反動もあったせいか、若妻と分不相応な生活をしていたようである。勤務先が日本企業の上海支店長とはいえ、そんな暮らしを可能にしたカラクリは、元夫が支店長という立場を利用し、社内で不正に捻出した現金だった。

やがて、元夫の運も尽きたのか、内部告発で不正会計が発覚すると、日本の本社から通達が来て、すぐに懲戒解雇となったのである。すでに手元金が底をついていた元夫は、会社から不正に得た現金を返還する能力がなかったことから、ほどなく中国人の若妻からも見放された結果、離婚したのだった。

その後、日本に帰国した元夫は万策尽きた結果、弁護士を通じて自己破産の手続きをしたのだった。ただ、その弁護士費用を負担したのは、他でもない恵子だったのである。というのも、恵子は、天然石ジュエリーの販売向けにホームページやSNSを開設しており、だれでもアクセスできる状況であったことから、元夫は簡単に恵子へコンタクトして、金銭面での支援依頼をすることができたのであった。

それ以降も元夫は、恵子から金銭面での支援を受けながら、現在のタクシー会社に就職したのだった。今では、心を入れ替えて真面目に勤務しているようである。そして、タクシー会社の用意した独身寮に住みながら、恵子が百貨店の催事で搬入移動が必要な時には自分のタクシーで送迎したり、ジュエリーの原石を仕入れする際には、上海支店長時代に築いたコネクションを使って安価に買い付ける支援をするなど、恵子との関係は密かに続けていたのだった。

「昨晩、タクシー車内で僕の顔を見た瞬間、ドライバーの元夫も驚いたらしい。以前、家内から僕の顔写真はスマートフォンで見せてもらっていたそうだから・・・」

そして洋介は、自分たち二人がタクシーを降りた後、歌舞伎町のラブホテルに入って行くまでを、元夫はタクシーを停めた状態で目撃し、すぐに元妻である恵子へ電話した・・・、ということを恭子に説明した。

「じゃあ、三河夫婦に、それぞれ別の相手が出現したってこと?」

「まっ、まぁ、その通りなんだけど・・・」

洋介は、そう濁しながら、昨晩の話し合いの中で、高校時代の同級生である恭子と保護者会で偶然に出逢ったこと、そして歌舞伎町のラブホテルへ行ったことを正直に妻へ打ち明けたのだと話した。そして、恵子も同様に洋介の了解のないまま、元夫との逢瀬を繰り返していたことを打ち明け、お互いに金銭的な問題は、今後生じさせないことを確認した。その上で今後、弁護士を介した協議離婚に入ることに同意したのだと話した。

「金銭的なことって?」

「まあ、お互い様だから、慰謝料なしということなんだけどね。今後、話し合いが必要なことは、いま住んでいるマンションと、子供の養育費かな」

そして洋介は、いま住んでいるマンションは自分の名義で購入しているものの、当面の間は格安の料金で恵子と元夫に貸し出すことや、養育費については、結婚当初から贈与課税のかからない範囲で、子供の口座に毎年決まった金額を振り込んでおり、すでに十分な預金額があることから、今後の追加費用は必要ないことで話し合いを進めていると、恭子に説明した。

「それで、肝心の子供たちは、二人の離婚のこと、知ってるの?」

「うん。今朝になって話したよ。二人とも、『そうなんだ~』だって。もともと、僕は二人の子供から『洋介おじさん』って呼ばれていたからね」

「ん~、なんだかドライな関係だったのね」

「まっ、まぁ、そう見えるかな。結婚後も、仕事人間だったしね」

「それで、今のマンションは出るんでしょ?引越しはいつするの?」

「一ケ月以内。ただ・・・、今日から僕は、ビジネスホテル暮らし」

洋介はそう言って、足元に置いてあるボストンバッグに視線を向けた。

「そんな急に・・・、どうして?」

「子供たちが、本当の父親と、すぐにでも一緒に暮らしたいんだって。僕が家にいない時間帯に、これまで何度も元夫は子供と会う目的で訪ねて来ていたらしい。だから早速、今晩から僕の代わりに住み始めることになってね」

洋介は、そう言うと、呆れたような笑いを口元に浮かべた。

「ぷっ。なんだか、マンガみたいな展開ね」

恭子も、笑いながらそう言った。

「まあ、こんな形で終わるのは、ちょっと淋しい気もするけど・・・。それより、恭子ちゃんの離婚は大丈夫なの?」

「うん。私のほうは、今朝早い時間に仲介している弁護士事務所へ、サインした離婚届を持って行ったわ。でも今日は日曜日で休みだったから、事務所の郵便受けに投函しただけなんだけどね」

「それで、新中野のマンションはどうするの?」

「夫の名義だから、まぁ、近いうちに出ていくと思うわ。でもね、その代わりに、まとまった金額の慰謝料がもらえるから、当面の生活は大丈夫よ」

そして恭子は、何かを思いついたように、続けて話し始めた。

「そうだ、今から私たち、一緒に住む場所、探しに行かない?」

「まぁ、いいけど。でもさぁ、何だか昨日の一日で、あっという間に予想もしなかった展開になったね」

「龍神さまの言うとおりになった・・・、ってことかも」

「やっぱり、恭子ちゃんは瀬織津姫と龍神さまに守られているのかな」

そんな洋介の言葉を聞きながら、恭子は隣に座る洋介の手を、そっと握りしめた。

二ヶ月後の、九月吉日。

洋介は、勤務する会社の内規で九月末まで申請できる三日間の夏休みを取ると、週末の土日とからめて恭子とともに五日間の旅に出た。行き先は、愛媛県、八幡浜沖にある大島の龍王池である。

第20話(最終話)へ続く。


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