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東京恋物語 ③突然のキス

爽やかな風とともに、桜の花びらが路面に舞う午後の青山通り。
赤坂郵便局を右折し、六本木交差点へ向かう白いベンツは、ゆっくりとスピードを落とし、左に見えるオフィスビルの玄関口で停まった。そこには、宮野浩介が経営するIT会社、エムケーフォースが入居している。
専属運転手の坂本憲次は、車を降りると手なれた動きで、後部座席のドアを開けた。そして間もなく、待っていたかのように、白いピンストライプが印象的な濃紺のスーツを着こなした細身の男性が、携帯電話を耳にあてながら現れた。宮野である。
「はい、今からそちらへ向かいます」
宮野はそう言いながら、車に乗り込むと電話を切り、坂本に経済産業省へ向かうように指示した。
「今朝の件は、大変失礼しました」
運転席から坂本が、後ろに座る宮野を意識して、肩を斜めに傾けながら詫びた。
「それより、奈々子の行方は分からずじまい、なんですね?」
今年で三十五歳になる宮野は、五歳ほど年上の坂本に対して、できるだけ丁寧語を使って会話をしている。というのも、宮野はポリシーとして、いつどこにチャンスが転がっているかわからないビジネスシーンでは、誰に対しても古風なしきたりを重視しているからであった。
「はい。実は・・・、新藤さんの乗っていたタクシー、私か昔いた古巣の会社だったものですから、つい感情的な運転になってしまいまして・・・」
「もともと、東京駅から乃木坂まで乗せて来てもらうだけの話が・・・、あらぬ方向に行ってしまいましたね」
「あっ、はい。大変すみませんでした」
「いや、坂本さんは悪くない。ただ、ベテランの坂本さんをスピンターンで振り切るなんて、たいしたタクシードライバーじゃないですか」
「そこも気になるところで、先ほど電話でお伝えしたとおり、そのドライバー、新藤さんが最近、新たに指名で使い始めた可能性もあるかと」
さらに坂本は、奈々子の乗ったタクシーが、都内でも数少ない富国自動車の最高級クラスであったことも付け加えた。
「確か、そのドライバーって、二十代半ばくらいの男性でしたよね」
「ええ、マスク姿ではありましたが、イケメン風の若い男性で・・・」
宮野は、坂本の言葉に軽くため息をついて、傍らに置いたブリフケースから書類を取り出したが、その視線は車窓の外に鋭く向けられていた。

宮野が経営するエムケーフォースは、ビジネス関連アプリを開発する新興IT企業である。その代表取締役である宮野は、埼玉県の公立高校を卒業後、コンピュータ専門学校に進んだ。その後、ゲーム制作会社へ就職したが、その間、独学で開発した女性専用アルバイト紹介アプリが大ヒット。そして独立後は、一躍、マスメディアから取材を受けるほどのIT起業家として、世間に注目される存在になった。
以来、さまざまなアプリをヒットさせてきたが、現在は、異なる特許技術を持つ中小企業同士をアントレプレナーとトリプルマッチングさせ、新商品をプロデュースする多機能型アプリを、経済産業省の支援を受けて開発している。
「経産省の打ち合わせは、おそらく一時間で終わります。その後は衆議院の議員会館へ行って秘書の方と面会、といっても面会はほんの十分間くらいですから、その後は二番町へ向かいます」
車はすでに、経済産業省の正門前に到着していた。
「はい、かしこまりました。では、いつも通り、赤坂オフィスの駐車場で待機しております」
坂本は、宮野の呼び出しまで時間がある場合、会社が所有する赤坂の自社ビルにある敷地内に車を停めているのだった。
「では、後ほどまた、お迎えにまいります」
坂本が後部座席のドアを開けながら、そう言うと宮野は、意味ありげな笑みを浮かべて、ゆっくりと車を降りた。

奈々子を乗せた車は、国道二四六号線を世田谷通りに入り、狛江市へ向かっていた。これは、祐太郎が何気なく世田谷通りに向けて車を走らせていた際に、突然、奈々子が狛江市に行くように指示を出したからである。というのも、明日土曜日には、狛江市役所の二階フロアと一階ロビーを貸し切って、奈々子が主役を務めるドラマロケが行われることから、その下見を兼ねて、そこまで足を延ばそうと考えたからである。そして、明日のロケは、収録最終日のクランクアップにあたる。ロケ地の下見など、したこともなかった奈々子だが、明日の最終ロケでは、何かが起こりそうな胸騒ぎとともに、自分を狛江市へと向かわせる、見えない意思を感じたからである。しかし、今の奈々子としては、そんな胸に湧き起こる不安感を、仕事に集中することで払拭したい・・・、そういった気持ちのほうが強かった。
祐太郎の運転する車は、都心を離れるにつれて、周囲の風景が、のどかな田園地帯や住宅地へと変わってゆく。車内の後部座席に座り、台本を読み込んだ奈々子は、セリフを口にしながら、それを覚える作業を繰り返していた。
「ブルルル、ブルルル」
奈々子の傍らに置いていた携帯電話が、着信のバイブレーション音を発している。
「もしもし、奈々ちゃん?いまどこ?ちょっと大変なんだけど。今朝、東京駅からまっすぐ自宅に戻ったんじゃなかったの?」
畳みかけるように話す声は、奈々子の所属する芸能事務所、グランステージの専属マネージャー、浅井由紀子だった。
「あっ、ちょっと予定を変更して・・・」
そう言う奈々子の返事を聞き終わらないうちに、浅井はさらに話し始めた。
「とにかく、奈々ちゃんの自宅、二番町だっけ。そこにマスコミの取材が押し掛けてるのよ。奈々ちゃんが失踪して行方不明だって・・・。どっからそんなバカげた情報が流れたのかなあ~もう。とにかく、私が今から現場に行って、デマだって説明するから。また落ち着いたら連絡するわね」
電話を切った奈々子は、何かしらの違和感を感じていた。通常、マスコミであっても個人宅前まで押し掛けるのは、それなりの信用できる情報源があってこその行動だ。
「たぶん、あの人の仕業ね・・・」
「えっ、どうかされましたか?いま、狛江市役所に着きましたが・・・」
祐太郎は、市役所の玄関前で車を停めると、後ろに座る奈々子へ振り向いて言った。
「ねえ、小嶋くん、この車、テレビ見ることって、できる?」
世田谷公園を出発してから、奈々子は祐太郎のことを、小嶋くんと呼んでいる。
「ええ、できますよ。スイッチいれましょうか」
祐太郎の車は、特別に富国自動車の最高級クラスを使用しているため、個人タクシー並みの装備がある。そして、その画面に現れたのは、午後のバラエティ番組で、そこには緊急速報のテロップが入ったうえ、新藤奈々子失踪という情報を伝えていた。
「これって・・・」
祐太郎は、次の言葉が出てこないほど驚いた。
そして、チェンネルを切り替えた別のバラエティ番組では、車内の小さなテレビ画面に、二番町の奈々子が住むマンション付近でレポーターからの質問に答える宮野の姿が、大きく映し出されていた。
「宮野の復讐が始まったってことね」
「えっ」
ふたたび後ろを振り向く祐太郎に、奈々子は続けた。
「小嶋くん・・・、今から、あなたの質問に答えてあげるわ」
奈々子はそう言って、深く息を吐いた。そして祐太郎は、前を向いたまま黙って次の言葉を待った。
「私が宮野と破局になった理由。それは、宮野という男の、裏の顔を知ってしまったからなの」
「裏の顔?」
祐太郎の反応をよそに、奈々子はさらに話し始めた。
「ごめんなさい、今は詳しい話をする時間がないわ。それより、宮野がこの騒動を起こした目的よ。恐らくこれって、私が別の男と恋仲になって、自分を破局の被害者に仕立て上げることだと思うの。もしかすると、今晩、小嶋くんが私を自宅に送り届けたところで、あなたが私の新しい恋人になるってことかもね。恋多き女っていう、レッテルを張るために・・・」
その話しに、祐太郎が慌てて後ろを振り向くと、奈々子は微笑みながら続けた。
「まあ・・・、それも、悪くないかな」
そんな奈々子を見ながら、祐太郎は、自分の頬が紅くなるのを感じていたが、頭の中は、冷静に別のことを考えていた。
「奈々子さん、今晩、どうしてもご自宅に帰りたいですか?」
「えっ」
奈々子も、いまの祐太郎の言葉に、ほんのり頬が紅く染まった。それは、祐太郎が自分のことを初めて、「奈々子さん」と呼んだことで、無意識に芽生え始めた恋心が、くすぐられたからであった。
「いや、変な意味じゃなくて・・・、明日の衣装道具とかの準備で・・・」
「それは・・・、まあ・・・」
そんな奈々子の、ぼんやりした返事にも、祐太郎は真顔で続けた。
「この先、世田谷通りを川崎方面に行くと、登戸という町があるんですが、そこで奈々子さんを見えなくして、ご自宅にお送りしますよ」
祐太郎は、奈々子を見つめて頷くと、前に向き直ってウインカーを点滅させたが、その後、急に何かを思いついたように、奈々子のほうへ振り向いた。
「あっと、その前に、この車の貸切料金、ここで精算していいですか」
「イ~ッ」
せっかくのムードが台無しと言わんばかりに、奈々子は冗談っぽく歯をくいしばって、しかめ面をしたが、その後すぐに頬をふくらませながらも、バッグへと手を伸ばし、素早く財布を取り出した。

一時間後・・・。
一台の黒いワゴン型寝台車が、世田谷通りを都心に向けて走っていた。車内のデジタル時計は、すでに午後五時をまわっている。          春の空に霞んで浮かぶおぼろ雲が、淡い紅色に染まっていたが、それもゆっくり濃紺色へと変化していた。
寝台車の運転席には、喪服のブラックスーツに着替えた祐太郎がいる。そして、その後ろには、木製の棺と並ぶ形で、同じくブラックスーツの男性が座り、奈々子は前の助手席に座っている。
「それにしても祐ちゃん、久しぶりだな。急な電話でビックリしたけど・・・、もっとビックリしたのは、超美人の有名女優さんが一緒だったとはね~」
後ろから話しかけるこの男性は、祐太郎が大学時代にアルバイトをしていた、金沢企画という葬儀専門の派遣会社で部長をしている江籐である。部長といっても、まだ三十代と若く、祐太郎が在籍していた時には、東京都内を出発し、最終の遺体引取り先まで長距離搬送をする業務を専門としていた。そして、その時、いつも江籐とペアを組んでいたのが祐太郎だったのである。かつて数回、大阪市内まで搬送するという、ロングドライブをしたこともあった。
「奈々子さん、マネージャーの浅井さんからは、何か連絡はありました?」
「えっ、ああ・・・そういえば、さっきメールが来てたわ」
ブラックスーツ姿で、イケメンの魅力を増した祐太郎を、助手席からじっと見つめていた奈々子は、ハッとした口調で答えた。
「まだマンション前には、報道スタッフが何人も残ってるらしいわ。たぶん、明日の朝まで見張る徹夜組ね」
奈々子はそう言うと、突然の出来事による気疲れからか、ゆっくりと目を閉じて、車の振動に身をまかせた。
祐太郎は時折、隣に座る奈々子の美しい横顔をちらっと見ながら、今朝からの偶然にして奇妙な、ふたりの出会いを思い返していた。そして、そのとき初めて、自分が奈々子のことを、いつの間にか、「奈々子さん」と呼んでいたことに気がついた。

車はすでに、国道二四六号線に入り、渋谷駅を通り過ぎて、青山一丁目へと向かっている。
出発前の打ち合わせ通り、この後は、青山一丁目から権田原交差点を右に折れて、赤坂迎賓館から四谷見附へと向かう予定である。そして、四谷駅前にあるロータリーで一時停車し、奈々子が助手席から棺の中に入り、そのまま二番町のマンションへ向かう段取りであった。申し訳ないが、奈々子にはしばらくのあいだ、成仏してもらうことになる。
車内のデジタル時計は午後六時を指していた。
「奈々子さん、四谷に着きましたよ。いまから、棺に移動しましょうか」
祐太郎の言葉に奈々子は、なぜか静かに黙ったままで、その指示に従った。また、江籐は後部座席から運転席に乗り込むと、何やら携帯電話で会社と話しを始めている。
「奈々子さん、頭に気をつけて、そう、大丈夫ですよ。ここに座って、それじゃあ、横になって・・・」
祐太郎は棺の横で、奈々子の背中に腕をまわし、ゆっくりその体を棺の中に寝かせようとしていた。そして、それは奈々子の上半身が棺の中に収まった瞬間だった。奈々子は突然、祐太郎の襟元に両手を回し、祐太郎の顔をじっと見つめながら、ゆっくり自分のほうへと引き寄せたのである。
「んっ・・・」
それはつまり、奈々子と祐太郎の唇が触れ合う瞬間だった。すると、ふたりは、まるで火が点いたように、お互いの唇を求め始めた。いま、ふたりの意識の中には、この時間や場所が存在していないかのように、より一層激しさを増しながら、お互いを求め合っていたのだった。

<終>第4話へ

https://note.com/miyauchiyasushi/n/nc1591d0e8c97

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