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東京恋物語 ⑨ふたりの計画

四月の中旬に奈々子と会い、これからのミッションともいえる行動計画を練った、甘美でもあり男としての覚悟を決めた日から、すでに二週間ほどが過ぎていた。そんな四月も末にさしかかった平日の午後、いつも通りの日常を過ごしていた祐太郎は、自分の乗務する車を回送表示にして、西早稲田にある本社パーキングビルの六階に停めた。そして、遅い昼食をとるために、休憩室へと入って行った。
休憩室の奥にあるテレビには、午後一時からはじまる番組を前に、お決まりのように多くのCMが流れている。
「すみません、ちょっとチャンネルを変えてもいいですか?」
祐太郎は、別のテーブルで同じように昼食をとっているドライバー達に、声をかけた。
「おう、いいよ。別に見たい番組もないし」
雑談をしていた年配ドライバーの一人が、祐太郎のほうを見て答えた。
「ありがとうございます」
そう言って、祐太郎は午後一時から始まる対談番組を見ようと、リモコンを操作した。
この対談番組は、芸能界の大御所といわれる女性が司会をして、巷で話題になっている時の人をスタジオに呼び、軽快でウィットに富んだトークで視聴者を楽しませている長寿番組である。
番組が始まると、テレビ画面には、照れたように微笑む、奈々子の姿があった。
祐太郎は、昼食のために買ったコンビニ弁当のふたを開きながら、テレビから聴こえる音声に耳を傾けた。
「今日は、多くの映画に出演されて、日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞など、有名な賞は、も~ォ、総ナメにされた女優、新藤奈々子さんをお招きしています。ずいぶんお久しぶりだけど、今日は、よろしくお願いしますね」
司会者の言葉を受けて、画面には、奈々子のはにかんだ笑みが映っている。
二週間ほど前の作戦会議で奈々子は、この対談番組への出演は二度目だと言っていたのを、祐太郎は思い出していた。それは、奈々子が女優デビュー後に、初めて主演を務めた映画が大ヒットしたことから、この番組への出演を依頼されたとのことだった。
「そういえばあなた、半年の休養期間って、来月、五月からでしょ?その間、どんなふうにしてお過ごしになる予定なの?」
司会者の話しに、祐太郎は思わず、テレビ画面を見つめた。
「若手の女優たちって、人に言えない、いろんな悩みを抱えていると思うんです。そんな時に本音で相談できる、NPO法人を作りたいと考えています。それと、プライベートでは、運転免許を取得したり、エッセイやリリックとか、書いていきたいですね」
そして司会者は、さらにプライベートなことへ話題を変えた。
「つい最近も、熱愛や破局やら、いろいろなお噂があったみたいだけど、奈々子さんご自身としては、いつまでに結婚したいとかって、おありになるのかしら?」
「そうですね。私ももう三十路を越えちゃいましたから~。いますぐにでもしたいです!」
この言葉を聞いた祐太郎は、思わず「ぶっ」と、口に入れていたご飯粒を、弁当の中に噴き出しそうになってしまった。
「じゃぁ、どなたか、いい人でもいらっしゃるのかしら?」
「ええ、そんな夢を見させてくれる人はいます」
奈々子がそう言った瞬間、司会者だけでなく、スタジオ内の撮影スタッフ達も驚いたのか、「オオ~」というどよめきの声が、スタジオの後方で湧き起こった。奈々子と司会者は、事前の打ち合わせで、結婚を話題にすることだけを取り決めていたのだが、司会者もここまでの話になるとは、思っていなかったようである。
「ちょっと、いきなりのサプライズでしたけど、差し支えなければ、どんなお方か教えていだだけません?」
「一般男性の方です」
「お仕事は、どこかにお勤めなさって?」
「ええ、タクシードライバーさんです」
「まあ、何て幸運なお方なんでしょうね。こんなに綺麗な方を奥様にできるなんて。でもね、世の男性方を全員敵に回してしまうから、逆にどうなのかしら?」
司会者と奈々子は、その後も、お互いに女性としての結婚観を語り合うかたちで、対談は進んでいった。そして、番組の最後に司会者は、「どうそ、お幸せになってね」という言葉で締めくくったのだった。
「第一フェーズ終了・・・、だな」
祐太郎は、そんな独り言を言いながら、食べ終わった弁当をビニール袋に入れ直して、休憩室を出ようとすると、背後では、タクシー仲間数人が、先ほど終わった奈々子の対談番組を話題に、盛り上がっている声が聞こえた。

昼食後、再び東京の街へとタクシー乗務に出た祐太郎は、数件のお客様を乗せた後、渋谷区役所周辺で車を停めて、トイレ休憩をとっていた。
「ん?五郎さんか?」
携帯電話のバイブレーションで、電話に気づいた祐太郎は、発信者名を見ながら「予定どおり来たな」とつぶやいて、応答ボタンを押した。
「坊っちゃん、さっきやなぁ、テレビを見てびっくりしてしもうたわ。新藤奈々子さん、タクシードライバーと付き合っとるって。もしかして、坊っちゃんやないかなぁと思うてな」
相変わらず、声の大きい五郎の電話に、祐太郎は携帯電話を遠ざけながら聞いていた。
「五郎さん、その件でちょっと相談があって・・・、今から会社で会えるかな」
祐太郎は、そう言って電話を切ると、車の空車表示を回送に変えて、新宿へと急いだ。
西早稲田の本社パーキングビル四階には、本社機能を集約させた、事務所エリアがある。
祐太郎は、四階の駐車スペースに車を停めると、あらかじめ五郎から指定された本社内の大会議室へと急いだ。
「失礼します」
祐太郎は、ゆっくり大会議室のドアを開けると、そこにはすでに父親である社長の小嶋正一郎、そして隣には長谷川が、楕円形の会議テーブルに並んで座っている。
「五郎さん、ちょっと、テレビのスイッチを入れてくれませんか」
正一郎が、会社の大先輩である長谷川に、丁寧語で言った。
「なんやら、マスコミは大騒ぎになっとるで」
長谷川は、そう言うと、手元のリモコンでチャンネルを変えながら、報道番組を探していた。
「おう、やっとる、やっとる」
会議室の隅に置かれたテレビ画面には、新藤奈々子、一般男性との電撃結婚まで秒読みか・・・、というテロップで、所属事務所からの正式なコメントと、奈々子直筆による交際宣言ともいえるファックスが映し出されている。
そして、ひと通り報道内容を見終わったところで、五郎はテレビの音量を下げた。
「祐太郎、このまま進めていいのか?」
正一郎はすでに、祐太郎がかつて東京駅八重洲口近くで乗せた乗客が、奈々子であったことを五郎から聞いており、それをきっかけにして親密になったと理解しているようだ。そして、先ほどの電話で祐太郎は、都心のカーチェイスや銀杏並木通りのスピンターンについて、正一郎には話していないことを、五郎から事前に聞いていた。
「はい。お察しのとおりですが、今後のことについては、新藤さんの事務所とも話しながら、進めたいと思っています」
「それで、新藤さんのご両親への挨拶は・・・」
正一郎が、そう言いかけたところで、祐太郎が話しはじめた。
「それが・・・、彼女の両親は、幼いころに離婚されていて、それ以降は母方の祖母に育てられたそうです。ただ、その祖母も数年前に他界されています」
「そうだったのか」
正一郎はそう言うと、何やら考え込むように、沈黙を続けた。
「分かった。まだ若造ではあるが、五郎さん、どうだろう・・・祐太郎を次のステップに進ませては」
正一郎の言葉に、祐太郎の教育係でもある五郎は黙って頷いた。
「あっ、あの・・・その前に、お願いがあります」
祐太郎が慌てて、テーブルから身を乗り出すように訴えた。
正一郎と五郎は黙ったままで、祐太郎を見つめている。
「言ってみなさい」
口を開いたのは、正一郎だった。
「来月から半年間、新藤さんのNPO法人設立や、彼女に関するいろんな事を手伝いたいと思っています。もちろん、その間にかかる僕の人件費は、彼女が払うと言っています」
「まあ、それもいい勉強には、なるんやないかな~、なあ、正一郎社長」
隣に座る正一郎へ顔を向けて、そう話した五郎を見ながら、祐太郎は思わずテーブルの下で小さくガッツポーズをした。
「では、一時的だが休職扱いにするが、いいか?」
正一郎は、今後当社にマスコミの取材が来ることを想定した場合、社員たちへの業務面や心理面での影響を考えて、祐太郎を休職させることが賢明であろうと判断したのである。
「ありがとうございます」
「じゃ、今月いっぱいで、坊っちゃんのドライバー登録は抹消するよう、事務員に伝えとくで」
五郎は、そう言って、正一郎に目配せすると、正一郎も頷きながら了解した。
「よろしくお願いします。では、失礼します」
祐太郎はそう言って立ち上がり、大会議室を出ると、天井を見上げながら大きく息を吐いた。そして、駐車していた車に戻ると、早速にも携帯電話の通信アプリを立ち上げて、奈々子へメッセージを打ち込み始めた。
(第二フェーズ、無事終了)
そして、ゆっくりと車を始動させた祐太郎は、空車表示を貸切表示に変えて、最後の第三フェーズとなるミッションへと向かった。

二番町にある奈々子の住むマンション周辺は、報道陣の取材もなく、閑静な住宅街にふさわしい気品を漂わせている。以前の失踪騒動とは違って、今回は、あらかじめ奈々子の事務所が用意したプレスリリースや、本人直筆で書き上げたファックスが奏功したようだ。
祐太郎は、奈々子の住むマンションの車寄せにむけてハンドルを切ると、エントランス前に車を停め、到着のメッセージを携帯電話で送信した。
すると、待ち構えていたかのように早速、奈々子がスーツケースをふたつ、両手でキャスターを転がしながら、玄関先に現れた。そして、それを無言で祐太郎に渡すと、まだ荷物はあるらしく、足早に再び中へと入って行った。どこにメディアのカメラマンたちが潜んでいるか分からない状況であり、親しく会話をした途端に、祐太郎の素性が暴かれてしまうからである。
そして、奈々子は大きなバッグと小さめのハンドバックを持って、玄関先に再び現れると、無言で祐太郎の車に乗り込んだ。
「もしかすると、後を追ってくる記者やカメラマンがいるかもしれないから、まずは適当に走って」
奈々子がそう言うと、祐太郎は無言のまま課金メーターをオンにして、ゆっくり車を日テレ通りへと走らせた。
「じゃあ、代官町の入口から首都高に乗って、新宿出口を経由して大久保まで行ったほうがいいと思うよ」
祐太郎は、追尾する車を捕捉しやすくするために、付近の走行車が少ない代官町で首都高に乗って行けば、安心であることを伝えた。
「さすがね。お願い」
奈々子はそう言うと、にっこり微笑んで、目を閉じた。
車は新宿通りを半蔵門で左に折れて、千鳥ヶ淵へと向かっている。
「一台、怪しいタクシーがいるな」
祐太郎はルームミラーで後続車を見ながら言った。後ろには、麹町から追尾してくる緑色のタクシーが見える。
「大丈夫?」
奈々子が閉じた目を開くと、後ろを振り向きながら言った。
「まあ、見てて。この先、面白いことが起こるから」
祐太郎はそう言って、助手席に置いていたドライビンググローブを、両手に装着した。
千鳥ヶ淵を右に曲がり、代官町へと向かったところで、ルームミラーには、依然、緑色のタクシーが追尾していた。
右折後、しばらくすると右手反対車線側に首都高の入口が現れる。代官町入口の場合における首都高への入り方は、竹橋の交差点手前にあるUターン専用レーンを使い、反対車線に進入した後で、首都高の入口へ進むかたちになっている。
竹橋からの反対車線には、近づいてくる黒のポルシェが遠くに見えた。さらにその背後には後続車が数台いるようだ。
「ラッキー・ゴッド・ブレス・ミー」
車の運転で興奮すると、いつもこのセリフが出る祐太郎は、黒のポルシェとの距離感や間合いを見ながら、一気にUターンした。
緑色のタクシーも、すぐ後を追うように、慌ててUターンをしている。
「うまくいった」
祐太郎は、速度を少し落として、自分の車と、緑色のタクシー、そして黒のポルシェが三台つながった団子状態になったことをルームミラーで確認すると、勢いよく一気にアクセルを踏み込んだ。
「じゃ、いきますよ。しっかり手すりにつかまって」
祐太郎は、奈々子へそう言うと、首都高入口にはいる手前ギリギリのところで、咄嗟にハンドルを右に切った。そして、すぐさま左へと切って、わずかにサイドブレーキをかけると、後輪は若干ドリフトして、車は真っ直ぐな状態となり、首都高入口脇の安全地帯に停止した。
左に見える緑のタクシードライバーは、祐太郎の車が正面から消えるように右に移動したことに驚いたのか、首都高入口の手前で軽くブレーキを踏んだ。その途端、後続の黒いポルシェが怒ったようにクラクションを鳴らしたのである。
もはや逃げ場のない緑色のタクシーは、まっすぐ首都高入口に入らざるをえなくなり、そのまま首都高へと消えていった。その車の後部座席には、記者とカメラマンらしき男たちが乗っていたが、ふたりは、首都高入口横で停車した祐太郎の車を、まじまじと悔しそうに見ながら、首都高入口へと入っていったのだった。
「ぷっ、はっはっはっ」
後ろから、奈々子が噴き出して笑いはじめた。
「まるでマンガだわ」
「確かに。じゃ、これから我々は、一般道でゆっくり参りましょうか」
祐太郎はそう言って、再び車を新宿方面へと走らせた。

<終> 第十話へ

https://note.com/miyauchiyasushi/n/n5b59d60e8853

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