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紀行エッセイ『海が苦手だった私が、人生初の一人旅で海を選んだ理由。』


2018年10月20日

秋の新潟は、冬の東京に匹敵する寒さだった。

田ノ浦海岸には私の他に誰もいない。壮大な日本海と水平線に浮かぶ佐渡島を横目に、私は浜辺を力なく歩いた。

正面を向いていないから尚更だろうか、右目の片隅に見える佐渡島は、空と日本海の境目を曖昧に演出している。黒々しいそれは、まるで浴槽と壁の間に蔓延(はびこ)るカビのように思えてならなかった。

私はそれを視界に入れないよう、砂浜に視線を向けて歩いた。

厚手のダウンコートのせいか、腕を振ることすら億劫に思えて、所在無げな両手を腰のあたりに結んでいる。側(はた)から見れば、二十三歳の若造とは思えない風采だった。しかしそこに「側」はいない。そのことに思わずため息を溢したものの、それが安堵によるものなのか、それとも憂心によるものなのか、その時の私には皆目検討もつかなかった。


初めて車の一人旅を計画したとき、目的地はすぐに決まった。

田ノ浦海岸には、小学生のころ、祖父母に会いに新潟へ行くたびに連れて行かれた。当時の私は、その海をあからさまに恐れ、早くその時間がすぎることをただただ願っていた。

海は、得体の知れない生き物みたいで嫌いだった。

よく喋るし、よく動く。当時の同級生のKくんとよく似ていた。

私は、Kくんのことが苦手だった。

急に席を立ち上がって授業を妨害したり、耳元で奇声をあげられて鼓膜が破れそうになったこともあった。些細なことで癇癪を起こし、それをなだめる先生の情けない表情が今も脳裏にこびりついている。当時の私は、彼のその数々の言動にただただ恐れ慄き、距離をとることに必死だった。

そうして一度も喋らないでいるうちに、彼は五年生の夏に転校した。

それからさき、どうやって生きてきたのか、どんな大人になっているのかは知らない。ただ、多少なりとも大人になった私は、海に行くたびに当時の記憶が蘇り、憂鬱な気分になった。


Kくんは、いわゆる発達障害のある子どもだった。

彼が転校した年の秋、担任の先生が授業を返上してまでそれについて詳しく教えてくれた。

「本当はKがいる時に、こういう悩みを人知れず抱える親子もいることを、みんなに伝えたかった。」

そうやって後悔を露呈する先生の傍、当時の私たちはそれを理解できないでいた。小学生という集団は、「自分と違いすぎる人」に対する免疫がとにかくなかった。

「変な話だったね。」
隣の席のSさんは、そう言って笑った。

「そうだね。」
私も笑った。

当時の私たちにとって、それは「変な話」だった。しかし、歳を重ねるにつれ、それは「人として生きるために大切な話」だったのだと気付いていく。


水平線に浮かぶ佐渡島を横目に、ゆるりゆるりと夕日が沈み始めた。

私は歩みを止め、日本海に体を向けた。橙のグラデーションがかかった空は、佐渡島を朧げに映し出している。

色彩の違いか、佐渡島は先程までと打って変わり、日没を演出する要(かなめ)であるかのような佇まいをしていた。私は、その光景をなんとも見るに堪えず、思わず浅瀬に視線を移した。


ふと、水平線に沈む夕日を独り占めしていることに悲しみを覚えた。誰かと海に来たかったわけではない。誰かと夕日を見たかったわけでもない。望んで一人できたはずだった。

私はまがりなりにも大人になり、海に抵抗はなくなってきていた。相変わらず海は生き物に見えるけれど、よく喋るしよく動いて見えるけれど、だからってそれは突き離す理由にはならなかった。

思えば、それこそが海に来た理由だった。

Kくんにはもう会えないだろうから、せめて海に謝ろうと思った。

あのとき距離をとってごめん。優しくしてやれなくてごめん。


そうやって私は、自己満足のために田ノ浦海岸に来たのだ。


多様性の尊重をうたう人々の中には、多様性を主張するあまり、多様とされる人々を論(あげつら)うことに抵抗のない人も少なくない。

「私は多様性を尊重する人間だ。だってこの人を尊重するし、あの人だって尊重するよ」

”この人”も”あの人”も、他人に尊重されたくて生きているわけじゃないはずなのに、誰かの自己満足のために、誰かの存在が利用されやすいのが今だ。

そして、私もその中の一人なのだと自覚していた。結局、自分を肯定するために誰かを肯定したいのだ。そんな自分を変えたくて、Kくんへの罪悪感と決別しに来たのが、その日だった。


水平線が夕日を完全に隠し、空と海の境目がわからなくなるまで、私は浜辺を離れなかった。

その間、海と浜辺の境目は、海と私の距離を近づけたり遠ざけたりした。

何度も、何度も。かじかむ手指と冷たい唇を無視して、私はその場から一歩も動かないように注力した。そうして暗闇が田ノ浦海岸を完全に支配する目前、その境目は、ついに私を跨いだ。


それが意味するものは、完全なるこじつけだった。でも、それでいい。

そこからでいい。

暗闇のなか車に戻る道中、風が背中を押してくれる感覚があった。

その日を境に、私は自己満足のために誰かを利用することはなくなった。




そう思っていたけれど、こうやってこの話にKくんを登場させていることだって私の自己満足だということに気づいた頃には、もうこの話は終わりを迎えてしまう。

そのことにとても悲しくなったけれど、そのことに気づけたことに希望はまだあるということを信じて、これから先も、生きていく。


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