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名前も知らない/【妄想会話劇】

―キモ。と思ったらすぐこの話はやめるので言ってほしいのですが、僕、この喫茶店のことが好きなんです。

―ありがとうございます。え、全然そんなこと思いませんよ。

―いや、続きがあって、なんで好きなんだろうって思ったんです。老舗の純喫茶で煙草も吸えて、ジャズが心地よくて、騒がしいお客さんもいなくて、珈琲やケーキにもこだわっている。どれももちろん好きな理由としてあるのですが、それだけだったら探せば他にもあると思うんです。だからひとつにこだわる必要もないといいますか。でも、あ、僕は行ったことのない店の扉を開けるのが趣味でもあるのですが、今はもう他の喫茶店を開拓しようとは思わなくて、今は基本、喫茶店に行くとしたら第一にここに来ている。この心の変化ってなんだろうって思ったんですね。

―はい。嬉しいです。はい。

―でね、最近気付いたんです。この喫茶店が好きな一番の理由は、この店に来ればあなたがいるということなんです。

―はい、え?

―僕ね、あなたの所作を美しいとずっと思っていて、あ、キモって思ったらそのタイミングで言ってください。客にそんなこと言いにくいと思いますが、気にせず言ってください。そしたらこの話やめて、天気の話でもしようと思うので。

―大丈夫です。続けてください。

―ありがとうございます。続けますね。で、そう、あなたの所作を美しいとずっと思っていたんです。でも自分がそう思っていたことに気付いたのはほんと最近で、この喫茶店の雰囲気を好きな理由を最近まで考えもしなかったことと同じように、無意識にあなたの所作に見惚れていたんです。あ、でもこれはずっと見ていたのではなくて、例えば今日みたいにカウンターの目の前に名前も知らないあなたがいて、僕は本を読んでいたとして、見ているわけではないんです。視界に入っている、というより、伝え方が難しいのですが、僕視点の物語があったとしたら、その舞台のひとつとしてここがあって、製作陣が創り出した喫茶店という舞台に、あなたの所作が演出として溶け込んでいるんです。伝わるかな。

―はい。なんだか照れくさいですが、おっしゃりたいことは伝わっていると思います。

―ありがとうございます。そのまま恥じらいで留めてもらえるとありがたい。でね、あなたがこの店にいない日は、いつもより1,2杯はおかわりせずに帰っているんです。全然意識的にじゃなくて、これも最近気づきました。

―いつもたくさんおかわりしてくださいますもんね。軽食もはさみながら。

―はい。カフェイン過多な週末が続いています。珈琲おいしいし、おかわりが安いのでありがたくて。

―いつも嬉しいです。でもお身体には気を付けてくださいね。

―ありがとうございます。この流れですみません、同じものおかわりお願いできますか。

―かしこまりました。おつくりします。

―そのBGM代わりに続き話してもいいですか。

―もちろんです。なんだか恐縮な話ばかりですが、少し興味深いとも思い始めてきました。

―そうですか、驚きました。引かれていたらと思うと気が気ではなかったのですが。カウンターに僕だけしかいないのが珍しくて引かれるなら今だと思いまして。

―今日は落ち着いていますね。むしろ話に惹きこまれています。

―嬉しいです、嬉しいです。では続きを、というか別にこの話に構成なんてものはないのですが。なんならずっと語れるくらいのことなので。要は、お礼を伝えたいんです。この店にあなたが存在してくれていることに。

―そんな、恐縮です。

―そのことに気づいて、僕はあなたをデートに誘うか何度か考えました。でもそしたら、外の世界のあなたと出会うことになる。ひとりに二回以上出会うのは、リスクがあると思うんです。

―リスク、ですか。

―ええ。お互いの名前も知らない店員と客。カウンターという一枚の隔たり。それが僕たちの今の心と身体の距離です。その中で、これまでほとんど会話をしたことのなかったあなたに僕はそれこそ惹かれていた。それが、ふたりで歩くとしたら僕とあなたがとなり合わせで同じ方向に進むことになる。お店で向かい合わせで目を合わせる回数が増える。今みたいな僕の一方的な話ではなく、対話が増える。その時の、僕にとってのあなたと、あなたにとって客でしかなかった僕は、これまでとはまったく違う生き物として新しく出会うことになると思うんです。同じ人でも、違う人と出会うことになる。

―お客さまは外だと違いますか。

―といいますと。

―お待たせしました。ブレンドです。

―ありがとうございます。

―確かに私は、店員としての振る舞いを心掛けているので、プライベートだと違う一面ばかりかもしれません。でもお客さまは、ここでの時間はプライベートの中のひとつだと思います。ここにいらっしゃる時と、この店の外にいる時に大きな違いはあるのでしょうか。

―そうですね。質問を質問で返すようで申し訳ないですが、今こうやって話している僕は、これまでのあなたにとっての僕の印象と違いはありましたか。

―そうですね、勝手ながらクールな印象を持っていましたが、口調がやわらかい印象を抱きました。今まで注文くらいでしか聞けていなかったので意識していませんでしたが、思い返すとその一言だけでもやわらかさはあったかもしれないなと、聞いていて思いました。

―口調について応えてくださるとは思いませんでした。ありがとうございます。多分みんなそうだとは思いますが、ひとりでいる時の僕と、友人といる時の僕、会社の同僚や上司といる時の僕、初めて話す人といる時の僕は、それぞれ少なからず違いはあります。それは当たり前のことだと思います。根っこは違わないことも含めて。

―それは確かにそうですね。

―例えば、先ほどまで僕のひとつあけた隣の席にいかにも恋人同士と思われるふたりが座っていましたよね。

―いらっしゃいましたね。ご友人同士の可能性も否定はできませんが。

―僕もどちらだろうと思いましたが、いかにもだなと思ったのは、盗み聞きしていたわけではないのですが、ふたりの語り口に愛し合っている人たち特有の雰囲気を感じ取ったんです。それも、まだ交際して日が浅いくらいの。

―そういうの、わかるものですか。

―確証はありませんが、なんとなく。で、そのふたりは終始互いを見つめ合っていて、けれど男性の方は話すたび言葉を選んでいるような、常に間を含んだ語り口だったんです。

―結構しっかり聞いていらしたんですね。

―そうですね。盗み聞きを否定しましたが、普通に聞いてしまっていたし、チラチラ見てもいました。まずい、ちょっとキモいですかね。

―いえ、職業柄大きい声では言えませんが、私もやむをえず聞こえてしまうことを免罪符によく聞いてしまうので。これ、ここだけの話でお願いします。

―よかった。もちろんです。でね、女性の方はどうだか判断付かなかったのですが、男性の方は明らかに本性を出していないように見えました。だからあの女性はまだ、男性の本心に出会っていないんです。同じ人に何回も出会ったうえで愛し合えると思えたはずなのに、あのふたりはきっと今後、また出会わなければならない。その過程が恋愛の面白い部分と思える人はそれだけで美しいと思いますが、私は全然そうは思えず、それを億劫に感じてしまうんです。面倒くさいですよね。わかっているのですが。

―面倒くさいとは思いませんが、随分と赤裸々に話してくださっていることに驚いています。

―そうですね。結構今、他ではあまり見せない僕の本心を話しています。あなたには面倒くさい僕と先に出会ってほしいと思ったんです。初対面の顔の印象がマスクでわかりにくい今の時代に、出会いがしらあえてマスクをはずして挨拶する人と同じ心象だと思ってください。先に僕の恥部を知っておいてほしいんです。その上で、この店の外でも会っていただけるのかを知りたいんです。いろいろ講釈を垂れましたが、結局諸々の葛藤は無視して、僕はあなたとデートがしたいんです。

―いらっしゃいませ。何名様でしょうか。

―ふたりです。

―奥のテーブル席へどうぞ。メニューをご覧になってお待ちください。

―はーい。

―すみません、僕、少し話しすぎましたね。ここまでお客さんが来なかったことが奇跡に思えます。

―わかります。明日のご都合いかがですか。私ちょうどお休みなんです。

―はい。え?

―デート、と言ってしまうと照れくさいですが、私なんかでよければご一緒したいです。こんなにもお客さまのことを知れたのに、私は店員の一面だけしか見せないのは、失礼にあたると思ったんです。

―そんなことないですが、そんなことある程で、ぜひ明日お願いします。

―すみませーん。

―ただ今お伺いします。

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