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ひとりと、同じ星の人


「ひとりと、」シリーズの概要は以下投稿の前書きにて



「人と話すのは好きだけど、それと同じくらい、人と話すのが苦手なんです」
気づけば、ずっと心にあったその葛藤を口にしている自分に驚いた。それはなんてことのない土曜の真昼間、陽の届かない喫茶店の端っこでこぼした本音だった。



いつも外に列ができるほどに人の気が多いその喫茶店のカウンターには、珍しく僕の他に客はいない。それなのに、一番端に座る僕のすぐ右隣に腰をおろした男を、思わず一瞥した。店員は僕の席からふたつ分空いた席に誘導していたからか、少し驚いた表情で僕を見てきたので、「問題ないです」の想いをのせて目配せを返した。店員はその意図を汲んでくれて、席を移動させることもなくその男にオーダーをとる。

「よく来るんですか?」

隣に座る男はブレンドを注文してすぐに、僕にそう話しかけてきた。

「はい、まあ」

「そう。俺は初めてなんだけど、いい雰囲気だね」

男はそう言いながら煙草を咥え、心地よい音と共に火をつける。

「驚きました」

僕のその言葉に男は声を抑えて笑った。

「俺も驚いた」



その男とは、前日ひとりで飲みに行った居酒屋で出会った。その日も男は右隣に座り、同じトーンで「よく来るんですか?」と僕に聞いてきた。ふたつ年上のその男とは、なんとなく話が合って意気投合し、居酒屋のあとにスナックに連れられて朝まで飲み明かした。その後別れて寝てからの昼だったので、早すぎる再会に僕も思わず笑ってしまった。

「顔むくんでるよ」

それはお互い様です。そう返しながら、男とどんな話をしていたかを思い返す。ほとんど他愛もない話だったけれど、スナックでの後半の会話はお互いに本心を語り合っていたと思う。あまりにも曝け出していたので、あえてお互い連絡先も聞かずにその場限りの関係として解散した。それなのに、そのすぐ昼にまた会ってしまったことに改めて少したじろいだ。

男も煙を吐きながら、思わず隣に座ってしまったことに少し後悔しているような表情を浮かべている。さてどうするか。お互いが静かに考える時間が少しの間流れる。

「昨日はありがとうございました」

昨日というか、今日ですかね。沈黙に耐えられずおどけてみせると、男は「こちらこそ」と返してきた。そしてまた少しの沈黙が訪れる。続かない会話の間を持たせてくれるかのように、店員が男の席にブレンドを置く。それを合図に、男は僕の核心をついてきた。

「安心した。君も“二度目に弱いタイプ”なんだね」

え?と返してはみたものの、男の言葉の意図にはすぐ気づいた。二度目に弱いタイプ。それを僕は個人的に“二度見知り”と呼んでいる。人見知りは初対面から緊張したり目を合わせられない人のことを言うけれど、二度見知りはその名の通り、初対面の時より二度目の方が緊張してしまうタイプ。要するに、「初めまして」より「二度目まして」に弱い。一期一会ではなく、この先も続いていきそうな関係だと判断した瞬間、急に心拍数が上がってしまうのだ。言い当てられた驚きを表情に出さないよう努める僕に、男は同じようなことを丁寧に説明してくれた。

「言われてみれば、そうかもしれないです」

前々から気づいていたことを、さも今気づかされたというような素振りで驚いてみせる。自分のこういうところが嫌いなんだよな。と思いながら、「確かに」と相槌してみたりもした。

「俺もなんだよね。つい隣座っちゃったけど、ちょっとミスったわ」

「そんなこと言わないでくださいよ」

思わず情けない声色になってしまい、慌てて「いろいろ話したばかりだし、それにここは喫茶店なんで」と付け加えた。何も言い訳になっていない気がするけれど、酒が入っているかいないかで変わるということも伝えたかったのだ。

「まあ、そうだね」

男はそう言って、静かに珈琲を啜った。



ふと、男が来てから一度閉じていた本を開きたい衝動に駆られた。開いたところで内容が頭に入らないことはわかっているはずなのに、隣に座る男の気配から一刻も早く離れたいという衝動は抑えられそうもない。たまらず片手で本の背表紙に触れると、男は「気にせず読んで」と僕を一瞥することもなく言った。「気にせず」も「読んで」もできそうにないけれど、「逃げていいよ」と言ってくれたような気がして少し気が楽になった。

「ありがとうございます」

軽く頭を下げて本を開く僕に、男は「そういえば」と語りかけてくる。その支離滅裂な言動も二度見知りに現れる症状だよなと少しほほえましく思い、また本を閉じて男に視線を送った。

「読みながらでいいよ」

「そんな器用じゃないので」

そっか。と男は笑い、

「スナックで俺がした話、あれ、ほとんど嘘だから」

と当たり前のように言った。

「マジですか?」

「うん、嘘がマジ」

まさかまた会うとは思わなかったからさ。男はそう言っておどけてみせる。

「君の話を聞いて、俺もなんかそういう、つらい話?みたいなのあったほうがいいかなって思って、適当につくった」

男は相変わらず僕を一瞥もせず、目前に陳列するコーヒーカップを見つめている。男がスナックで話した内容はなかなかに暗く、僕の話が霞むほどだった。「傷の舐め合いもたまには悪くないな」と儚げに笑う男の表情を、これを書いている今でも昨日のことのように思い出せる。

「怒った?」

黙る僕をやはり見ようともせず、相変わらず音をたてずに珈琲を啜りながら聞いてきた。

「いや、なんか気使わせちゃってたんですね、すみません。会うのも一度きりだと思って、酔いを言い訳に変な話をした僕が悪いです」

そう返すと、男は僕の方を向くこともなく切なそうに笑った。

「君、損するタイプだね」

いろんなタイプを押し付けてくるな。と少し嫌悪感を抱きつつ、僕という人間の後ろめたさがいくつも言語化されていることに気恥ずかしくなり、既に空になっているコーヒーカップを口に運んだ。

「君の話は本当だろ?」

「はい」

「そんな気がした。だから俺なりに誠意を持ってスナックでは嘘をつき通したけど、君とは今後もまた会いそうな気がするから」

だから打ち明けた。それもまた男なりの誠意なのだろう。一期一会の関係と、この先も続く関係では誠意の質が変わる。他人に対する優しさにはいろんな形があって、僕にとっては男のその優しさがありがたかった。


そうしてまた沈黙が訪れる。その頃にはすでに本を読むことは頭になく、僕は男ともっと話がしたいと思っていた。夜と酒と喧騒の力を借りた言葉ではなく、昼なのに薄暗い静かな喫茶店で、男の本心を聞いてみたい。そう思ってすぐに、何をどう聞くべきかわからなくなった。僕はいったい、男の何を知りたくて、それを知ってどうしたいというのだろう。




「僕、人と話すのは好きだけど、それと同じくらい、人と話すのが苦手なんです」

気付けば、僕はまた自分の話をしてしまっていた。人の話を聞きたいとき、どう聞いていいのかわからずに結局自分の話をしてしまうことがよくあって、話しているうちにそのことに気づいて自己嫌悪に襲われることが多かった。今回もまさにそれだったけれど、そんなことよりも、ずっと心にあったその葛藤を口にしている自分にまず驚いた。

「人が好きなのに、人に慣れたことがない、といいますか。人との接し方がいまだにわからなくて、だから二度目に弱いんだと思います」

あなたという人間を知りたいけれど、どうすれば知れるのかがわからない。勢いでそう言ってしまいそうになり、必死に言葉を飲み込んだ。一度話し出すと止まらない症状は、人見知りでも二度見知りでも同じなのだと思う。ふと男を見ると、変わらず陳列するコーヒーカップを見つめていて、けれど僕の言葉をちゃんと聞いてくれている安心感があった。

「人に慣れるなんて、誰もできないんじゃない?」

毎回まったく違う人なわけだし。男はそう言って煙草に火をつける。

「はい、まあ」

「でも、そういうことじゃないんだよな」

僕が言い淀んだことを男はすぐ口にした。

「得体が知れなすぎて怖いんだよな。一度きりの関係なら適当にやり過ごせるけど、この先も関係が続きそうだと思うと、途端にその人のことを知るのが怖くなるというか。知りたいんだけど、それと同じくらい知りたくない」

めっちゃわかるなー。そうやって淡々と話しながら真剣に合いの手をくれる男に、気付いたら目が離せなくなっていた。

「それなのに人が好きって、人と話したいって、ほんと傲慢だよな」

「そうですよね…」

「あ、今のは自分に対して言った。俺も同じだから」

男はそう言って、初めて僕の目を見た。

「俺らは同じ星の人なのかもな」

前日のスナックで話題に上がった『ちひろさん』(漫画原作の実写映画)のセリフから引用したのだろうとは思いつつ、そこにはふれずに「そうかもしれませんね」とだけ口にした。

「私たちはみんな、人間という箱に入った宇宙人なんだ」

『ちひろさん』で二度(漫画と実写映画で)感銘を受けたその価値観が、新しい記憶としてまた刻まれていく。全然違う星の人、ちょっと似てるけど違う星の人、間違いなく同じ星の人。いろんな星の人がこの地球上にはいるのだから、だいたい分かり合えないのが当然で、怖いのも当たり前なんだ。そんなメッセージたちが心を突き刺すフィクションの世界で使われていた「同じ星の人」という言葉が、リアルの世界でここまで違和感なく使われたことに感動すら覚えた。物語と現実は地続きなのだ。またすぐに陳列するコーヒーカップに視線を戻す男を見ながらそんなことを思った。

「同じ星の人がいると、それだけで安心する。だから俺は、君を知ろうとして良かったよ」

アルコールを含んでもいないのに、恥ずかしげもなくそう言える男を、僕は瞬間的に信頼した。この人となら、この先の関係も続けられそうな気がする。関わっているうちに、自然と知っていくことができる気がする。そんな確証のないことまで思った。

「なんか趣旨ずれちゃったな」

「いいんです。あの、聞いてもいいですか。連絡先」

「“連絡先”って。固いなー」

男はそう言って笑い、スマホを取り出す。僕がQRコードを読み取っている間、既に空になっているコーヒーカップを口に運ぶ男を見て、「同じ星の人」と呟いた。





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