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【シロクマ文芸部】朧月が照らす未来


 朧月が周囲をぼんやりと照らしている。境目のない曖昧な感じが現在過去未来をも朧気にしている様に思えてくる。

 休日出勤の帰り道、朧月がきれいでふらりと入ったカフェのオープンテラスでコーヒーを飲んでいる。仕事帰りにカフェに寄るなんていつ振りだろう。いつもは息子のお迎えを急ぐためにバタバタとこの通りを後にしているというのに。

 今日は夫と息子は義実家に遊びに行っている。夕飯は夫が何か用意してくれるらしかった。

 この頃夫は何か様子が違う様に思う。心ここにあらずの様な所も見受けられる。何かあるなと私は思う。だからと言って、それを詮索したり問い詰めたりなどはしない。そんな事をしても何の得にもならないからだ。もう少し様子を見てみようと思う。

 けれど、そういう夫に対して嫉妬の気持ちや怒りを感じない私もどうかしているのかもしれない。どうしたものかと空を見上げると、ぼんやりした月が変わらずに私を見ている。そのぼんやりとした月の光が私の記憶を少しずつ引き出していく。

+ + +

 「圭介、これからどこへ行くの?」
 「秘密。着いてからのお楽しみ」

 まだ薄紫の空には星がひとつ強い光を放っている。春の夕暮れのぬるい風が開けた車の窓を潜り抜けていく。柔らかく通る風は私の髪をそっと揺らした。車からは松任谷由実のアルバムが低い音で流れていて、自然と曲に合わせて鼻歌が出てしまう。

 圭介はそんな私を優しい眼差しで見つめている。

 車は軽快に走り続け、いつしか薄紫の空は黒く塗りつぶされて朧月のぼんやりした光が辺りを照らす様になった。星もたくさん光り輝いていて何とも言えないロマンティックな気持ちになる。

 「着いたよ」
 車から出ると、ここは圭介が好きな岬だった。昼には何回も来た事があるけど、晩に来るのは初めてだった。春とはいえまだまだ晩は寒くて、私は圭介にピタッとくっついた。

 「ここに晩に来るのは初めてよ。なんだか、月の灯りでぼんやり光って幻想的ね」
 「春の夜の岬は曖昧な感じがいいんだよな」
 「ほんとね。星もいっぱい見えてステキ」
 二人はこれ以上言葉を交わす事なく朧月夜の海を眺めた。周りには誰もいない二人きりの世界の中で圭介にぎゅっと抱きしめられた。圭介のウールのニットが少しだけ頬をチクンと刺して痛かった。

+ + +

 「さ、もう帰らなきゃね」
 束の間の一人の時間はあっという間に過ぎていき、私は伝票を片手に席を立った。朧月は相変わらず私を優しい光で照らしている。はっと気づくと下を向いて歩いていて、慌てて顔を上げると胸を張ってみた。息を大きく吸い込むと、まだ少しひんやりとする晩の空気が胸を満たした。

 「ただいま」
 「おかえり」
 「お母さん、おかえり!今日のご飯、ぼくもお手伝いしたんだよ」
 「そう、竣お利口だったね。お母さん、ケーキを買ってきたから後で食べよう」

 服を着替えてテーブルに座ると、ハンバーグができあがっている。
 「としくん。ハンバーグ美味しそう!ありがとうね、大変だったでしょう」
 「そんな事ないさ。早くご飯食べよう」
 食事をしながら、竣の義実家での楽しかった話を聞く。私は義両親の事は好きでも嫌いでもないけど、ありがたい存在だと思う。まだ竣が小さい頃に仕事を続けるためにたくさん手助けをして下さったから。竣が祖父母を慕っているのもいい事だと思う。

 食後にケーキを食べ、後片付けをしていると夫がそばに来てぼそりと私に言う。

 「後で話があるんだ。大事な話」
 「大事な話?いったい何?」
 「うん。後で話すから」

+ + +

 竣が眠ったのを確かめると、ビールを片手にリビングへ向かい夫と向かい合ってペタンと床に座った。夫は私を見つめると、目を閉じて息を大きく吸った。
 「美佳子。ごめん、離婚してくれないか?」
 夫は緊張した時の癖でやや早口で一気にそう言うと、ビールを一気にグイっと飲んだ。

 え?離婚?いきなり?
 私はいきなりの告白に頭が付いていかなかった。ついたままのテレビからはバラエティの大げさな笑い声がして、それが私の気持ちを逆なでした。リモコンを乱暴に握ってスイッチを切った。このままリモコンを投げ捨てたかったけど、それはしないように両手をグーにしてギュッと力を入れた。伸ばした爪が手のひらに当たって痛い。手を開くと、手のひらには爪の跡が深く付いていた。

 「それは、いったいどういう事?分かる様に説明してよ」
 「ごめん。俺、好きな人ができたんだ」
 「そう。でも、もう少し考えさせて。即答なんてできる訳ないでしょう?」
 「美佳子、ごめん」
 「謝らなくていいから」
 「美佳子、俺の事好きだった?いつも俺を見ていても、俺を見ていない様に感じてた。俺、お前の事がよく分からない」

 夫にそう言われて、私は何も言い返せなかった。それを言われたら、私にはもう何も言う資格が無いと思った。

+ + +

 ベランダに出ると、朧月は角度を変えて優しい光を纏っている。私は月に語りかけた。
 「お月様。私、どうしたらいいのかな?としくんの願いを聞いてあげたらいいのかな?」
 朧月は何も答えてはくれないけれど、優しい眼差しで微笑んでくれている様に感じた。右手を朧月にかざすと、薬指の赤い石がきらりと月の光を受けて輝きを増している。

 そんな月を見ていたら自然と涙がこぼれてきた。これは何の涙なんだろう。夫に対する贖罪なのかもしれないと思った。ごめんねと私は小声でつぶやいた。夫の言う通り、私は夫の先に違う誰かを見ていたようだ。私は夫を愛していなかったのかもしれない。

 朧月が照らす未来はどうなっているのだろう。その答えは神様だけが知っている。願うならば、竣も夫も私もみんな幸せになればいいと思う。そして、圭介も。

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シロクマ文芸部に参加します💛
今週のお題は「朧月」です。


今回は、なぜかシリーズ化してしまった美佳子さんのお話です。

今まで影の薄かった美佳子さんの夫さんが離婚を切り出してきました。
美佳子さん、どういう決断をするのでしょうね。

回想シーンで出かけた夜の岬は「さよなら、二人の初夏の音」で初夏の音を聴きに行った岬です。車の中で聴いていたユーミンのアルバムは「LOVE WARS」という設定です。景色の描写は、このアルバムに入っている「WANDERERS」を下敷きにしました。

そして、ベランダで月明かりに光らせた指輪は「二人の冬の色」で圭介に買ってもらったルビーの指輪です。


この曲は、この時期になると聴きたくなります。



朧月のショートショートならこちらもどうぞ⭐️



今日も最後まで読んで下さってありがとうございます♪



#シロクマ文芸部
#朧月

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