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ふわふわとしてあたたかくて、だけど苦しかった記憶のこと


今日(1月13日)、noteをパソコンで開いた時に右の方の”トレンドハッシュタグ”で表示された記事をついクリックしてしまった。


ひよこクラブの柏原さんが書かれた記事だ。
ひよこクラブというのは、赤ちゃんの育児雑誌なのだが、私も子供達が小さな頃毎号読んでいた。
妊娠中を含めて子供の成長に合わせ、たまごクラブ→ひよこクラブ→こっこクラブという流れで進んでいく。次女が2~3歳になる頃くらいまでは読んでいたように思う。
今はこっこクラブは休刊しているようで、少し残念だ。

記事では、コロナ禍での雑誌の撮影の様子が書かれていた。

このご時勢、感染を防ぎつつ、素人のパパやママや赤ちゃんの撮影を行うのは大変なご苦労だろうと思う。だけど、紙面を飾る事はモデルを務めるご家族にはとても嬉しい事だと思う。

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実は、私や長女もこっこクラブに小さく載った事がある。

当時、雑誌では紙面に載せるための子供の写真を募集していて、長女の写真を送った事がある。すると、ある時長女の写真が紙面を飾った。それは、中央に大きく載ったモデルさんの周りに配置された子供達の写真として。
1.5㎝から3㎝くらいの大きさで載っていたが、うちの娘は嬉しい事に3㎝の大きさで載った。だから、私はそれがとても嬉しかったし「長女たん、かわいい~」と親バカ全開な脳内お花畑でいた。

と、これが1回目。
実は、もう1回載った事があり、その時は私も一緒に撮影してもらった。
といっても、大した大きさのものではない。

ファッション誌で、都市別おしゃれスナップ的な記事があるが、あのような企画の記事に載ったのだ。

ある時、うちに電話が掛かってきた。それは、こっこクラブの編集部からだった。

「今度、福岡市内で撮影会があるんですけどいかがですか?」

たしか撮影会の参加募集があり、希望のハガキを送っていたような気がする。どうやらそれで電話が掛かってきたらしい。撮影は平日なので、一応夫や義母に確認すると許可が出たので、撮影を受ける事にした。

当日、私は長女(当時3歳になったばかり)におしゃれな服を着せた。
黒地にリーフ柄(白ベースでこげ茶とモスグリーンが入っている)の麻のシャツとパンツのセットアップにこげ茶の麦わら帽子を被せた。BEBEというブランドの服だった。それに、雑貨屋さんで買ったクマのぬいぐるみのリュックを背負わせた。靴はたしかBEBEのサンダルだったと思う。
自分で言うのはなんだけど、なかなか可愛いコーデだったと思っている。

電車に乗って、撮影場所の天神岩田屋に行く。
久しぶりの天神の街を長女と手をつなぎながら、私はウキウキで歩いた。途中、ランチだって食べた。それはマクドナルドだったが、それでも束の間の開放感に浸って、いつものマクドナルドよりも何倍も美味しく感じた。

岩田屋の前で撮影隊の方に挨拶をした。
さっそく撮影に入るはずだったのだが、そうは問屋が卸さない。長女の人見知りが始まったのだ。本当は子供だけでの撮影だったのに、急遽私も一緒に撮影してもらう事になったのだった。

私はうろ覚えだが、こげ茶かモスグリーンのシャツに黒いパンツみたいな服を着ていたと思う。長女とはリンクコーデみたいな感じになっていたはずだ。
まさか自分まで一緒に写るとは思ってはいなかったものの、これはこれでいい思い出になっている。
その時の雑誌も、今も手元にあるはずだ(どこかにしまい込んでいるはず)

そんな長女も、お留守番をしていた赤ちゃんだった次女も二人とも二十代後半だ。あの頃の私は今の長女と次女の中間の年齢だった。まだまだうんと若かった時代。

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あの頃の私は、毎日が黒っぽい灰色の重苦しい空気の中で暮らしているようだった。その空気はどんよりと私にまとわりつき、息苦しくて息苦しくて窒息しそうだった。私は、新鮮な空気を求めてもがいていた。

夫の祖母と両親との同居に加えて、近くに住んでおり仕事に出掛ける義姉の子供達を1日中預かり、家業で仕事をして2歳違いの娘達の育児をする日々。

私は、毎日きつくて苦しくて、次女に母乳を飲ませながら知らないうちに涙をこぼしている事もあった。だけど当時の感覚としては、苦しいけどそう思っていない節もあった。「私なんて、まだまだ。これくらいならまだ大丈夫。もっとキツイ人は一杯いるもん」そう思い込んで、心のバランスを取っていたのかもしれない。

その頃の私の楽しみは、本を読む事と子供服を買う事だった。

本は色々なジャンルの本を読んだ。小説もたくさん読んだし、別冊宝島系のノンフィクション本もたくさん読んだ。その頃は今みたいに積読なんてしなかった。寝る間を惜しんで読んでいた。本を読む事で、私は本の世界へ現実逃避していたのかもしれない。

子供服は、本当にハマって可愛い服をたくさん買った。私はBEBEというブランドの子供服が特に好きでよく着せた。また、ジャマールという雑誌で個人間のやり取りをして、中古のブランドの子供服や自分の服もよく買った。当時、個人での海外輸入も流行っており、それも利用していた。
※まだパソコンも普及していない頃の話。

あの頃、私は買い物依存だったかもしれない。それに、おそらく精神的に病んでいたんだと思う。私は、精神的に危うくなると買い物に走る節があるような気がしている。
あの頃、子供服や他の買い物につぎ込んだお金を貯金していればよかったと今は思うが、それすらもなければ今の私はここにはいなかったかもしれないとも思う。

それからしばらくは何年も病む日々が続いていたように思う。ただ、その渦中にいた時は、自分が病んでいるとは思っていなかった。

買い物依存の次はネットにどっぷりとハマり、その後はお菓子作り、その後はソーイングにハマった。
おかげでというか、怪我の功名とでもいうか、どっぷりとハマった物はどれもそこそこの腕前になった。

今でこそ、こうやって文章に書けるようになったが、実は結婚してから子供達が小さい頃の記憶は曖昧な部分もあったりする。覚えている事を脳が拒否している感じもする。
でも、子供達が小さな頃のふわふわであたたかな記憶はちゃんとある。元気に産まれてきてくれて、可愛い姿を見せてくれた事は忘れていない。もし、この先私が年を取って記憶が曖昧になったとしても、絶対に忘れない。

今もやっぱり灰色の空気の中で暮らしている。

だけど、その灰色は黒っぽいものからライトグレーくらいにはなったかもしれないと思う。それは、noteを始めたからというのもあるだろう。
もともと私は文章を書く事が好きだから。その文章を読んで下さる方がいるから、私は今日も明日も明後日もずっと文章を書いていく。




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