変った人、なんだかよくわからない人、理解できない人、と言われるのはつらい、でもわかってくれる人を大切にする
変ってるとか、なんだかよくわからないとか、理解できないとか、子供時代、10代の時、20歳くらいまで、同年代の人や大人の人たちによく言われていました。
直接言われるのはもちろん、間接的に誰かから聞いたとしてもショックだったし、けっこう悲しかったです。
当時は自分を表現することが苦手だったと思います。それはきっと言語能力が発達していなかったからというのもあるし、心の抑圧が強かったというのもあるでしょう。
いつも言葉足らずで、自分の本当の考えや思いや感情を上手に言葉で伝える技術がなかったのです。
自分の意見を言うことそのものが苦手でした。
でも心を許せるごく少数の友人とか家族にはちゃんと言うことができたのに、典型的な内弁慶だったわけですね。
慣れない人のまえではすごく消極的で無口になるタイプでした。
誰かになんだかよくわからないと言われても、上手く返す言葉が出てきません。
そもそも頭の中で、自分の意見を上手くまとめることさえ出来ていなかったかもしれません。
人に理解してもらえないということは、自己肯定感も低くなるし、自信もなくなります。自分のことを恥ずかしい人間なんだと思うようにもなります。
心理的安全性も持てませんから、不安になりやすくなります。
しかし、考えや思いを言葉で口に出して伝えることが苦手な自分でしたが、その代わりにそれらを紙の上に書き出すことは出来ました。
なにか落ち込んだことや、悲しかったこと、悔しかったことがあった時、いつもノートに自分の感情を書き殴ったり、自分の考えなどを書き出してまとめたりすることが多かったです。
紙の上に自分の思いや考えを書き出すことで、様々な問題の解決の助けにもなりましたし、自分自身の表現方法も年齢を重ねるにつれて身につけることが出来ました。
あとどんなに自分がよくわからないとか、理解できないとか、ある人たちに言われていたとしても、そんな自分でも仲良くしてくれる人は必ずいます。
そのような人たちを大切にすることは大事だなと思いました。
たとえ少数でも自分のことをわかってくれる人が存在するだけで、なんとか前を向いて生きていけます。
あまりに多数派に好かれようと思うと、本当の自分を見失いやすくなるし、偽の自分を出し続けていると、なんとなく自分を恥じる気持ちが出てきてつらくなります。
理解しようとしてくれる人たちを大切にする、その人たちに感謝する、それだけでいいんだと思います。
わかってくれない人に媚びて無理にわかってもらう必要などないのです。
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