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漫画に「アート文脈」を導入する取り組みはなぜ増えているのか? その可能性と課題は?

麻布台ヒルズにオープンしたギャラリー「集英社マンガアートヘリテージ」、2019年に六本木で開催された「ドラえもん」のオマージュアート展など、近年、「アート文脈を取り入れた漫画の展開」が増加しているように感じます。

そうした取り組みに対して、私は可能性と価値を感じる一方で、
一部のプロジェクトに対しては、「既に複製物が大量に所有されているものを、無理やり一点ものっぽく作り直すことがアートなのか?」という印象も抱いています。


また、アート側においても、漫画をテーマとした作品も増えている印象を受けます。

漫画を読んで育った層がアート分野で活躍するケースが増え、アート業界にも漫画を受け入れる体制ができているためでしょう。

また、アート業界がかつてよりもはるかに、世界に開いていくことが重要となってきており、「日本発」をアドバンテージとするために漫画と接近するメリットが増えたためでもあると考えます。

そうした動向の一方で、相変わらずアートと漫画の間には大きな溝があります。

かつて、浮世絵が大衆文化であったように、100年後には日本美術史の重要要素として漫画が位置付けられていると私は予想しています。
もしそうであった場合、現在のアートと漫画における断絶は、双方のジャンルにおいても大いなる損失です。

そんな「アートと漫画の断絶」に架け橋を作れたらーー
そのような思いで2022年から東京藝術大学の大学院・国際芸術創造研究科に
研究生として所属しています。

丸2年を迎える2024年は、ひとまずの区切りがつけられるよう、なにがしかの研究のアウトプットを作りたいと考えています。
そこに向け、検討を深めていく一環として、現段階での考察を以下に記してみたいと思います。

※研究を進めていくにあたり、アウトプットしながら自身の考察を煮詰めていくことを目的に記しています。
したがって、最後まで読み終えても「結論」めいたことは書いていません。あらかじめご了承ください。


■漫画サイドがアート文脈を取り入れるケースが増えている理由

上述した麻布台ヒルズのギャラリー「集英社マンガアートヘリテージ」のように、近年、漫画サイドがアート文脈を取り入れるケースが増えているように見受けられます。
私なりに考察したその要因を以下に挙げていきます。

・既存の出版流通の行き詰まりと、新たな流通(主にウェブ上)の急速な発展により、さまざまな展開方法が模索されている状態のため。

・漫画は元々、薄利多売モデルだったが、ウェブ上での無料化の流れにより、価格の下落が止められなくなっている。その対抗措置として、高価格を成り立たせるため。

・漫画産業として規模は拡大する一方で、ヒット作品への一極化、中間層の苦難が際立ってきており、新たな収益源を求めているため。

・日本の漫画業界のトップランナー・集英社の収益が非常に膨らんでいるため、本流ではないが隣接分野ではある「アート」関連の企画が受け入れられやすくなっているため。
(※私の推測であり、集英社の方がそのように説明しているわけではありません)

・テクノロジー変化による影響がエンタメ界では近年特に激し過ぎるため、その避難先として選択されているため。


これらはまだ推測の域を出ていません。研究として成立させていくには、関係者への聞き取り調査などをおこなう必要がありますが、現場にいる人間の肌感覚として大きく外れていることはないと思っています。


■漫画を芸術という視座から研究することの意義

加治屋健司氏(東京大学 大学院総合文化研究科 教授)が論文「マンガと美術 ーー現代美術批評の観点から」で以下のように述べています。

映画に比べると、マンガと美術の比較研究は十分に行われているとは言い難い。

『マンガを「見る」という体験』(水声社、2014年)、159-182頁

これまでマンガは、鳥獣戯画など前近代の事例を含む美術一般と比較されることが多かった。しかし、三輪健太朗が指摘するように、マンガと映画がともに近代的な時間における動的な表現と して同時代文化を形成しているならば、マンガと美術の関係を考える場合も、マンガを同時代の現代美術と比較するほうがよいだろう。

『マンガを「見る」という体験』(水声社、2014年)、159-182頁

こちらの論文ではこの後、「絵」と「時間」という二つの問題に焦点を当てて展開されます。
私が目指したいアプローチ方法は異なりますが、非常に参考になります。

私なりの問題意識、研究意義を以下に記してみます。

現在、漫画を取り巻く環境が激変しています。
新たなプラットフォーム、フォーマットの環境が整い、グローバル化、新たな読者層、新たな作り手の登場、近接表現との融合などが進行しています。
おそらく2020年代は漫画史の分岐点として記憶されることになるでしょう。

漫画は商業として非常にうまくいってきたがゆえに、
版元の要請が表現を規定してしまい、表現の幅を狭めてきた側面もあります。

現在、スタンダードとなっている漫画形態は週刊漫画誌の誕生・発展と共に完成したものです。
まるで「正解」のように語られることもある形式も、
たかだか60年程度の歴史に過ぎないのです。

Webtoon、YouTube漫画といった新たな漫画表現形態も盛り上がりを見せています。
しかし、まだ序の口です。
所詮は、テクノロジーに合わせて改変したレベルに過ぎません。
作り手から受け手への一方通行、二次元に閉じ込められた状態であることに変わりはありません。

「ホワイトキューブに閉じ込められた芸術。そこからの解放」から学べることは限りなく多いはずです。
とりわけ、既存の展開場所にとらわれず、新たな展開場所へ自ら踏み出し、社会との接点を見出していくアートプロジェクトとつなげていくことは、紙、ウェブにとどまらない展開を漫画においても生み出していくことに繋がるのではないかとも考えています。


■「作品制作への他者の介入」という視点がもたらすものはあるか

また、アートと漫画の違いの一つとして「編集者の存在」があります。

芸術制作において、ギャラリストやコレクターの要望が作品に反映されることはあれど、細かく作品制作過程に介入することはまずありません。
一方で、日本の漫画制作においては、編集者の介入が大きな特性となっています。その仕組みが、日本の漫画の特異性を産んでいるという説もある。

制作過程における決定的な差異を持ち込むことで得られる視座があるようにも考えています。

美術におけるキュレーションやアートプロデュースの手法は、ある程度まで基礎的な方法論があり、共有されています。
一方で、漫画は表現として比較的新しく、研究対象として歴史が浅いせいもあり、漫画編集に関しても有効な方法論が極めて限られています。

近年、漫画研究は文化研究のジャンルとして確立しつつありますが、
多くは作家・作品研究や評論、内容分析や産業研究です。あるいは、社会を読解するためのツールとしての分析です。

漫画をプロデュースするための実践的な知は、明らかにされてこなかったように感じます。
創り手と受け手をつなぎ、クリエイターや作品を社会と接続する役割を担う存在が、十分に研究されていない点は重要な欠落だと考えています。
逆に言えば、そこにこそ、研究を発展させ、漫画をさらに進化・飛躍させる鍵があるのかもしれません。

作品や作家の価値を、社会に広め、いかに評価を高めていくか、アートマネジメントから学べることも少なくないと思われます。


●結論はなく、楽しい三角形を立体にしていく

まだまだ整理ができていない考察を、無理にまとめることもなく書き連ねてみました。
冒頭にも書いてもきましたが、何かしらの結論を記すための記事ではありません。
「長文読まされて、結局何が言いたかったのかわからん!」とか苦情言われても知ったこっちゃありません。

研究成果として世に出せる日が来たら、明確な結論めいたものを打ち出せるのかもしれません。でも、そういうわかりやすい結論を出すことが研究の目的ではありません。
そもそもの研究テーマが変わってしまうことも十二分にありえます。

一般的な仕事で目指すべきところと、研究で目指すところとでは時間軸が全く異なるんですよね。
以前から頭ではわかっているつもりだったことながら、いざ自分が研究に正面から向き合おうとすると、ついつい「明快なゴール」を目指してしまう。
そんな揺れ動きも含めて、仕事と研究の往還は面白いものだなあと感じます。

仕事一本でも研究一本でもない、
両方を行ったり来たりしながら、
さらにはそこに、「仕事でも研究でもない」自発的な取り組みも
組み合わせながら、
楽しい三角形を立体にしていく
そんな2024年にしていけたらと考えています。

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