現代語訳『伽婢子』 原隼人佐鬼胎(1)

 甲斐《かい》国を治める武田信玄の家臣・原《はら》隼人佐《はやとのすけ》昌勝《まさかつ》(原昌胤《まさとし》)は、加賀守《かがのかみ》昌俊《まさとし》の子である。
 昌俊は同国高畠《たかばたけ》の生まれで、信玄の下で何度も武勲を立て、臨終に際して武士の心構えをしたため、息子の昌勝に遺言として残した。
「鳥や獣、地を這《は》う虫の類《たぐい》まで、生きとし生けるものにはそれぞれ一つは得意なことがあり、一芸もないものはこの世にいない。ましてや、人として生まれ、侍として志を立てる者は、武芸に関して一つの得手をよく鍛錬し、主君の役に立ってご恩を返さねばならぬ。いたずらに俸禄《ほうろく》を食《は》み、暖衣飽食《だんいほうしょく》し、邪《よこしま》な欲をかき、義理を知らず、一芸一能もない者は畜生にも劣る。いわば、天地の間に生きる大盗賊である。太陽や月、雲、霧、草木に至るまで、それぞれに益がある。無芸無能で人のために役に立たぬどころか、かえって害をなす者になってはならぬ。このことをしかと心得よ」
 父の死後、昌勝は信玄に仕えた。忠節の者でいささかも私心がなく、軍功の誉れも高かった。多くの家臣たちの中で、昌勝はいつも他に先立って敵国深くで戦った。時には陣取りの場を見立てて合戦の場を考え、山深い川や谷のような見知らぬ場所でも案内人を伴わずに把握し、小さな道を踏み分けて先陣を切った。その判断に間違いはなく、諸将は皆、昌勝を信用するようになった。他国であっても陣や戦場をよく見立て、抜け道や水の利まで考慮した内容に些細《ささい》な誤りもなかったため、人々は「隼人佐《はやとのすけ》は神にでも通じているのか」と噂《うわさ》し合った。
(続く)

 今回から新エピソード『原《はら》隼人佐《はやとのすけ》鬼胎《きたい》』をお届けします。
 タイトルの「鬼胎《きたい》」は「鬼から生まれた子」を意味する言葉です。この作品はあくまでフィクションですが、その昔、障害を持って生まれた子どもを「鬼胎」と呼んだことから、「鬼胎を抱く」(=不安を抱く)という言い回しがありました。ただ、かなりデリケートな言葉ですので、現代ではあまり見掛けません。

 続きは次回にお届けします。それではまた。


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