現代語訳「玉水物語」(その十一)

 十一月になると参内《さんだい》の準備も進み、人々の目を驚かすほどになった。
 姫君は内裏《だいり》に連れて行く女房・女童《めのわらわ》を三十人選んだ。その中には「中将の君」という名を与えられ、一の女房に定められた玉水も含まれていたが、あまり気乗りがしない様子で、いつもしおれた表情でいた。心配した姫君がどうしたのかと尋ねると、玉水は「何となく風邪気味のようです」と言ってごまかした。
「いったい何を悩んでいるのですか。わたしたちの間に心の隔てはないと思っています。胸の内に秘めて言い出せない悩み事があるのなら、気分を晴らすために話してみませんか」
 姫君の言葉に、玉水は泣きながら答えた。
「きっといつかお分かりになることですが、今はまだ申し上げられません。ただ、わたしが死んだ後に、気の毒だったと思い出してください」
 頑《かたく》なに事情を話そうとしないため、姫君は胸を痛めた。

 参内《さんだい》が近づくにつれて、玉水はさらにふさぎ込んだ。
「わたしは畜生《ちくしょう》の身でありながら、姫さまのおそばで仕えていられるのをありがたく思っている。しかし、このように手を伸ばせば触れられる距離から見守り、心を慰めることしかできないのは、何と甲斐《かい》のない前世の報《むく》いだろう。思い切って真実を話したいと思うものの、これまで何も知らなかったのに、いきなり人ではないことを告白したら気味悪がられるに違いない。やはり、参内《さんだい》の折にひっそりと姿を消そう。それにしても、人に化けた姿をこれまで誰にも見破られなかったのは本当に運がよかった」
 思案の末、「風邪をひいた心地がするので」と断って局《つぼね》に閉じ籠《こも》り、筆を執って姫君を見初《そ》めてからこれまでの経緯を巻物に書き綴《つづ》り、小さな箱に収めた。

 玉水は箱を持って姫君のもとを訪れた。
「このところ何となく世の中が味気なく、恨みがましいものだと思い知らされて、ひどく憂鬱《ゆううつ》に感じています。ひょっとしたら、夜の間に姿を消すことになるかもしれませんので、この箱を姫さまにお渡しします。もし、わたしの身に何かありましたら中をご覧ください」
 そう言ってさめざめと泣くので、姫君はいぶかしく思った。
「どうしてそのような不穏なことを口にするのです。このままわたしが死ぬまで見届けてくれるのではないのですか」
「もちろん、参内《さんだい》の際にお供致します。しかしながら、もし何かあったらと思うと心細く、しかも、儀式が始まると人目も多くてお渡しすることが難しいと思いますので、今、どうしても受け取っていただきたいのです。どうかこの箱を大切にしまって、月さえのような親しい方たちにも秘密にしてください。ごく個人的なものですので、むやみに人に見せるのはどうかお許しください。姫さまがお年を召し、この世を捨てようと思った時に開けてみてください」
 玉水が語り終えると姫君は涙を流した。
「ずっと一緒にいて欲しいと思っているのに、そのような先のことを語られるとひどく不安になります。もし、あなたがいなくなったらと考えるだけで、苦しくてなりません」
 そう言いながらも姫君は箱を受け取り、互いに涙にむせび泣いた。
 やがて月さえがやって来て、他の人々も忙しく立ち動き始めたので、玉水はそっとその場を立ち去り、姫君も箱をさりげなく隠した。
(続く)

【 原文 】 http://www.j-texts.com/chusei/tama.html


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