現代語訳『伽婢子』 伊勢兵庫仙境に到る(5)

 周囲は広い平原で、金色の茎に紺青《こんじょう》の葉の草が多く生えている。葉の形は菊に似て、牡丹《ぼたん》のような花が咲いている。花びらは黄色で中心部が赤く、白い糸のような蕊《しべ》が糸を束ねた房のようになっている。そよ風が吹くと花が揺れて、まるで蝶《ちょう》が飛んでいるようである。国中の女たちはこの花を摘んで髪飾りにするが、十日経《た》っても萎《しお》れないという。この国の男女はいずれも二十前後で老人は一人もおらず、日本では滅多《めった》に目にしないほどの麗しい容貌をしている。
「できることならばこの地に住みたいものの、主君の仰せで船を出し、風に流されてここにやって来た。世にも稀《まれ》なものを見ながら帰ることなく、人々から不忠不義の名で呼ばれ、後世まで恥を残すのも口惜しい。何としても故郷に帰ろう」
 伊勢が事情を話すと、主《あるじ》は大いに感じ入った。
「それでしたら、凌波《りょうは》の風を起こして日本までお送り致しましょう」
 滄浪《そうろう》国まで来た証《しるし》として、一頭の馬と一羽の鸚鵡《おうむ》を餞別《せんべつ》として譲り受け、暇乞《いとまご》いをして船に乗り込んだ。さらに栗や棗《なつめ》のようなものを大盛りにした青磁の鉢をもらい、艫綱《ともづな》を解いて船を押し出すと、徐々に順風が吹き始め、すぐに帆を引き上げると一日あまりで伊豆の浦に到着した。
 上陸後、すぐに城に向かったが、主君の氏康《うじやす》は既に病で他界し、子の氏政《うじまさ》が家督を継いで国を治めていた。伊勢は嘆き悲しみ、目にした島の様子を涙ながら語った。
「その昔、垂仁《すいにん》天皇は田道間守《たじまもり》に命じて常世《とこよ》国に使わし、非時香菓《ときじくのかくのこのみ》を求めたが、これは今の橘《たちばな》である。田道間守は手に入れてすぐに帰国したが、帝は既に崩御していたため、大いに嘆き悲しみ、『我が志が至らなかったためだ』と愁いながら死んだという。氏康殿が病死された後で帰ってきたこのわたしも、志が至らなかったのだ」
 そう言って、伊勢は腹を切って自害した。
 伊勢が語った話は書き記され、その後、世に広まったという。
(了)

 今回で『伊勢兵庫仙境に到る』は終わりになります。ここまでのお付き合い、ありがとうございました。
 作品の題材になったのは中国の『処士元蔵幾云云』という作品で、こちらは南海の島が舞台ですが、作者・浅井了意は『古事記』や『日本書紀』に書かれた田道間守《たじまもり》の常世《とこよ》国のエピソードを混ぜました。

 次回から新エピソードをお届けします。それではまた。


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