現代語訳『伽婢子』 幽霊諸将を評す(11)

「もはや遺恨を抱いてはなりません。すべてを水に流しましょう。終わってみれば一夜の夢のようなものです。ただ酒をのんで楽しみましょう」
 そう言って多田淡路守が酒と肴《さかな》を取り出し、座の者たちは互いに何度も杯を傾けた。
 やがて、長野信濃守業正《なりまさ》が詩を吟じた。

  義は重く命の軽きこと鴻毛《かうもう》の如し
 (義は重く、命は鴻《おおとり》の毛のように軽い)

  肌骨《きこつ》今銷《き》えて艾蒿《がいかう》に没す
 (今、肉体が消え、よもぎの中で一生を終える)

  山は平《たいら》ぐ宜《べ》く重淵《てうゑん》は塞ぐ宜《べ》し
 (山が平らになるまで、深淵が塞がれるまで)

  残魂《ざんこん》尚《なを》誓ひて節操高し
 (残った魂は、節操を高く保ち続けることを誓う)

 続いて、北条左衛門佐《さえもんのすけ》が詠んだ。

  泉路《せんろ》は茫々《ぼうぼう》として死生を隔つ
 (黄泉《よみじ》は広く、生者と死者の世を隔てている)

  落魂《らくこん》何を索《もと》めて武名を胎《のこ》す
 (死者の魂は、何を求めて武名を残そうとするのか)

  古往《こわう》今来《こんらい》凡《すべ》て是《これ》夢
 (昔から今日まで、すべてが夢である)

  黄泉《くはうせん》に耳を峙《そばだて》て風声を聞く
 (黄泉に湧く水に耳をそばだて、風の音を聞く)

 さらに直江《なおえ》山城守が続いた。

  物換《かは》り星移る幾度の秋ぞ
 (万物が変わって星が移り、いったい何度目の秋であろうか)

  鳥啼《な》き花落ちて水空しく流る
 (鳥が鳴き、花が落ち、水がむなしく流れる)

  人間何事ぞ惆悵《ちうちゃう》するに堪へたり
 (嘆きや恨みを堪えなければならないのはどうしてなのか)

  貴賤同じく土一丘《いつきう》に帰す
 (貴賤に関係なく、誰もが同じ丘の土へと帰る)

 山本勘助は、「わたしは文芸に通じていない。ただ軍道だけを鍛錬し、他のことは一切分からないが、この場に連なっている今、思っていることを言わずにいられようか」と前置きして吟じた。

  平生《へいぜい》知略胸中に満てり
 (普段から知略が胸の中に満ち溢《あふ》れ)

  剣は秋霜《しうさう》を払い気は虹を吐《は》く
 (剣は秋霜《しゅうそう》を払い、気は虹を吐いていた)

  身後《しんこう》何ぞ謾《みだり》に興廃《けううはい》を論ぜん
 (死後、どうしてみだりに国の興亡を論じようか)

  憐れむ可《べ》し怨魂《えんこん》深叢《しんそう》に嘯《うそぶ》くを
 (深い草むらで怨恨《えんこん》をうそぶくわたしを、どうか哀れんで欲しい)

 最後に多田《ただ》淡路守が詠《うた》った。

  魂《こん》は冥漠《めいばく》に帰し魄《はく》は泉に帰す
 (魂《こん》は天上に帰り、魄《はく》は黄泉《よみじ》に帰る)

  却《かへ》つて恨む人世《じんせい》名聞《みやうもん》の権
 (今となっては、人の世にいた頃の名声がかえって恨めしい)

  三尺の孤墳《こふん》苔《こけ》累々
 (誰も訪れない三尺の墓には苔《こけ》が生《む》している)

  暫《しばら》く幽客《ゆうかく》に会ふ恵林《ゑりん》の辺《ほとり》
 (恵林寺の辺《ほとり》で珍しい客人たちと出会い、しばらく語り合った)

(続く)

 座の人々は諍《いさか》いをやめ、酒を酌み交わしながら漢詩を吟じ合います。いずれも「死んでしまえば、すべてが夢のようなもの」という悟った境地の内容になっています。――もうお分かりと思いますが、この場にいる全員が幽霊です。

 続きは次回にお届けします。それではまた。


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