現代語訳『伽婢子』 原隼人佐鬼胎(2)

 その昔、原昌俊《まさとし》は逸見《へんみ》氏の娘を妻にしていた。昌俊は常に諸方を転戦し、一日中、陣中を駆け回りながら月日を重ね、ほとんど家にいなかったが、ある日、妻が急に産気づき、ひどく苦しんだ末に亡くなってしまった。昌俊は嘆き悲しんだものの、どうしようもなく、法成寺の裏に埋葬して塚を作った。
 後から聞いた話によると、妻は臨終の折に法成寺の地蔵堂に向かって手を合わせたという。
「長年、お祈り申し上げました。必ずや我が本願を成就してくださいませ」
 地蔵菩薩《ぼさつ》の名を唱え、静かに息を引き取った。昌俊も妻に倣ってこの菩薩に帰依し、「妻の後世《ごせ》をお導きください」と祈った。

 妻の死後、百日目の夜半過ぎ、屋敷の戸を叩《たた》く者がいた。戸を開けてみると、霜が垂れたような八の字の眉をした八十前後の老僧で、鳩杖《はとづえ》にすがりながら水晶の数珠をまさぐり、死んだはずの妻を伴っていた。
 昌俊は怪しみながらも中に入れて尋ねた。
「さて、老僧はいかなるお方で、この不可思議な状況はいったいどういうことでしょうか」
「儂《わし》は法成寺に住んでいる者である。今宵《こよい》、寺を出て歩いていると、目の前で急に塚が崩れ、中からこの女性が出てきた。何者かと問うたところ、加賀守《かがのかみ》の妻と答えたため、ここに連れてきた。大切にいたわるがよかろう」
 言い終わると、老僧の姿はかき消えた。
 不思議に思った昌俊が人を遣わして確認すると、確かに塚は崩れていた。さては本当に生き返ったのかと、妻に粥《かゆ》などを食べさせた。初めのうちは意識がはっきりせず、記憶も曖昧だったが、七日が過ぎると以前のように戻った。しかし、なぜか明るい場所を嫌った。
 翌年、妻は男子を産んだ。年月が流れ、子どもが三歳になったある日の夕暮れ、妻は涙ながらに語った。
「実を申しますと、わたしは人ではありません。あなたとの縁がまだ深かったため、上条の地蔵菩薩様が冥土《めいど》の役人に頼んでわたしの魂を赦《ゆる》し放ち、この三年間、あなたや我が子との契りを結んでおられました。しかし、既に縁が尽きてしまいましたので、暇《いとま》をもらって冥土に帰らなければなりません。どうか我が塚を捨てずに弔ってくれませんか」
 そう言って子を置くと、いずこともなく姿を消してしまった。妻の塚を見に行くと、崩れたと思ったのは幻で、草が生い茂っていた。
 これが地蔵菩薩の導きによるものだったのは言うまでもない。話を聞いた信玄は法成寺の地蔵堂を改築し、供養を執り行った。また、昌俊は再び妻を迎えなかった。
 この男子が原隼人佐《はやとのすけ》昌勝《まさかつ》で、十八歳で初陣に出てから、まるで神に通じているかのように不思議なことが多かったが、実はこうした事情があったのである。
(了)

 今回で『原《はら》隼人佐《はやとのすけ》鬼胎《きたい》』は終わりになります。
 戦国時代、武田家で活躍した原《はら》昌勝《まさかつ》(原昌胤《まさとし》)は、死後に蘇生した母から生まれた「鬼胎」だったという伝説を元にした話でした。
 なお、文中にある「本成寺」は現在は存在せず、本尊の上条地蔵は東光寺に移されています。

 次回から新エピソードをお届けします。それではまた。


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