現代語訳『伽婢子』 伊勢兵庫仙境に到る(2)

 一方、伊勢の乗る船は風に吹き流されて南に向かった。昼夜十日ほど進むと少し風が弱まり、ある島に流れ着いた。
 岸に上がって辺りを見回すと、岩石が切り立った場所だった。青い岩は碧瑠璃《へきるり》、白い岩は白瑪瑙《めのう》や雪のようで、黄色のものは蒸した粟《あわ》に似て、赤い石はまるで紅藍花《べにばな》で、その他にも日本では見たことのない様々な珍しい石ばかりだった。また、草木も見慣れぬ花や実を付けていた。
 やがて、変わった風貌の男が磯の近くにやって来た。羅《うすもの》の帽子を頭に被《かぶ》り、様々な草木で織った直垂《ひたたれ》を身に着け、花形《はながた》を模した飾りの付いた靴を履いている。年の頃は二十歳くらいで肌の色が非常に白く、目もとに気品があり、お歯黒をしている。唐土《もろこし》の者に似ているが、話す言葉は日本語に近い。男は一行を見て驚き怪しみ、何者かと誰何《すいか》した。
 伊勢が一部始終を話すと男は説明した。
「ここは『滄浪《そうろう》』という名の国です。日本から南に三千里離れており、観音の浄土・補陀洛《ふだらく》世界に近い場所になります。かの地に渡ったことがあるのは、かつて淳和《じゅんな》天皇の御代《みよ》に、橘《たちばな》皇后の命を受けた恵萼《えがく》僧都《そうづ》がたった一人での旅の途中、この島に立ち寄って話をしたと伝え聞いています。それにしても、遙々《はるばる》と海を渡ってよくここまでいらっしゃいました。さぞかしお疲れでしょう。わたしの屋敷に来てお休みください」
 男は伊勢たちを連れて帰り、九節の菖蒲《しょうぶ》酒と碧桃花《へきとうか》の蕊酒《ずいしゅ》(蕊《しべ》で作った酒)を出し、宝石の杯で勧めた。何度も杯を傾けると、伊勢たちの心の中が爽やかになったように感じた。また、家の主《あるじ》は保元《ほうげん》・平治《へいじ》年間のことを、まるで自分の目で見たかのように語った。
(続く)

 戦国時代、北条氏康の命で八丈島探索に向かった二名のうち、伊勢兵庫頭《ひょうごのかみ》は日本から三千里離れたとある島にたどり着きましたが、どうやら時空がねじ曲がった場所――仙境のようです。仏教では「三千」という数字を「とても大きな数字」として扱いますので(例:三千世界)、この島はほぼ「この世の果て」と同義で、日本神話に出て来る「常世《とこよ》の国」ともイメージが重なります。
 また、この島の近くにあるという「補陀洛《ふだらく》」は観音菩薩が住むという伝説の山で、日本の遥か南(インドの南端)にあると考えられていました。かつて、補陀洛(浄土)を求めて南に出帆する者たちがいましたが、この島の住人はそういった人々をルーツにしているのかもしれません。
 ちなみに、日本から南に三千里(1万2千キロメートル)離れた場所が地球上のどこになるかというと、ちょうど南極大陸に当たります。

 続きは次回にお届けします。それではまた。


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