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「気付き」の強要

人には「気付き」という考え方がある。これは何かひとつの事柄が発生した際に「そういう視点もあるか」「そういうやり方もあるか」「こういう考え方か」と「気付く」事に由来している。それは人それぞれの持前の視点や考え方に大きく左右されるものであり、方や「あぁそうか…」と気付く人も居れば、方や何事もなかったかのようにスルーする人も居る。それは前述の通り人それぞれの持前の視点や考え方、そして受け取り方の違いによるものである。

私は正直言って文脈を読むのが物凄く苦手だ。「察してくれ」と言われても「何をや」と返しかねない勢いで理解が及ばない。私は「分かり辛い表現」をされると一切「気付き」を得ない人間なのである。逆に一から十まで言われれば「あぁそうですね」と返せる。むしろそこまでハッキリ言ってもらわないと理解が出来ない。

声に出す会話であれば、その「気付き」のレベルは一気に上がる。声色、表情、仕草のひとつひとつで何を考え、何を伝えようとしてくれているのかという事への理解速度がかなり向上する。まぁそれでもすごく中途半端な物言いをされると「だから何だ」と言いたくなるのだが。

世の中には他人に「気付き」を強要する人が一定数居る。「このくらい気付いて」「言わなくても理解しろ」「直ぐ動くくらいのことをやってくれ」…等々、まぁ正直無理ゲーですかと言いたくなるレベルである。そしてこう言う事を言うのは大体長年勤めている人だったり上司という立場だったりする。完全にパワハラじゃねぇかよ、と思う訳だ。

ここで勘違いしてはならないのは、「気付き」を促す(ヒントを与える)というのとは全く違うということだ。会話の中や「こういう考えもあるよ」と一言書き添えてくれれば、そこに注目し理解に努めることが出来る。そしてそれは、伝えた相手に「失敗した」と思わせることなく「なんてタメになる話だ!」と感動を与えることでもある。これが出来る人はかなり頭が良い。

「気付き」を強制するというのは、言わば相手を責めているのと同じだ。自分の考えを汲み取って貰えないことに腹を立てて頭ごなしに怒鳴る。スーパーでお菓子買ってと泣き叫ぶ子供と同じで、ただの我儘である、お菓子を買ってほしい子供と言うのは本当にそのお菓子が食べたい訳ではなく、「これが欲しいと思った」という思考を理解してほしいだけなのだ。

子供であれば「そうかー、お菓子買ってほしいかー。また今度買ってあげるからね」と理解と歩み寄りと打診でどうにかなる。そしてまだこんな文章さえ読めない様な子供であれば、記憶する力が圧倒的に低いのでよほどの子でない限りは「また今度」なんて覚えていないのである。

しかし大人が相手じゃそうはいかない。理解と歩み寄りと打診をしようもんなら良いようにこき使われるのが関の山である。その場しのぎにはなるかもしれないが、大体本人の機嫌に左右されている事が少なからずあるので、機嫌が治るまで「自分のやるべきことに打ち込む姿」と言うのを見せている方が良い。集中して作業していればぎゃーぎゃー喚かれようが気にする話ではない。

ちなみに少々話はズレるが、人は、他人を怒鳴りつける声というのを聴いただけで生産性が60%まで落ちるのだそうだ。叱られた本人は20%まで落ちるという。つまり、大声でぎゃぁぎゃぁと喚きたてる上司はチームやそのフロアにとって「生産性を下げる原因」…つまり「コスト増の原因」である。コスト削減なり効率化を我先に考えるのがマネージャーたる管理職の務めでありながら、自分の罵声で生産性が下がっているとは笑い者である。そんな上司は早めに見切りをつけて、さっさと場を離れるなり職を変えるなりされることをお勧めする。

話を戻そう。「気付き」と言うのは、実際のところ「経験をより多く積んでいる」人の方が得やすい。何故ならばその発生した出来事というものに対して、経験値が無いと「なんか起こったな」くらいにしか受け取ることが出来ず、そこから新しい視点を得るという事が難しい。何故ならそもそも「そういう可能性がある」という事まで理解が及ばないからなのである。

経験値の積み方は沢山ある。漫画やゲームでも経験値を得ることは出来る。何故なら漫画やゲームと言うのは「疑似世界の追体験」というものであり、主人公の立場に立って読んだときに見えるもの、後々好きになったキャラクターの視点に立った時の考え方など、様々な人物の視点をキャッチすることが出来るのだ。レベルを上げて小説や映画なども良いだろう。映画は時間が長いので、それが難しい様であれば短編のドラマでも良いかもしれない。インプットが増えれば増えた分だけ、「こういう視点があるんだ」という理解が出来る。

ただし、偏ったインプットをしていると「こういう視点・考え方があるんだ」が「こうなんだ」になってしまうのでそれは注意した方が良い。恋愛ドラマを見すぎてイケメンがやってた仕草をすればモテるだろうとか、サスペンスばかり読みすぎて人の一言一言の言動が気になってしまったりだとか…正直そう言うのは「二次元と三次元の区別がついて無い」ってやつなので、のめりこみ注意、である。

昔ほどではないにしても、未だに漫画やゲームを禁止されている家庭もあるという。有害だ、などと言うが、将来こうした「気付き」が出来ない大人にならない為にも、様々な視点の取り入れとして導入することはオススメ出来ると思っている。ご検討の程、宜しくお願い致します。

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