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まるで恋の様なの

人が「好きなもの」について熱心に語っている様を見るのが好き。私はどうにも他人の感情に影響されやすいらしく、苛々している人や悲しい気持ちを持っている人のそばに居ると引っ張られやすい。だが「好きなもの」を語っているときと言うのは往々にして楽し気で明るくて幸せそうで、愛おしいものを心から愛でている、と言える様な声を出す。勿論私はその感情にも引っ張られる。自分にとって大切なもの、大好きなものを「好きだ」と真っすぐな感情で話している様に引かれ惹かれ、それを語れる貴方が素敵だと思うのだ。

私も勿論自分の好きなものについて話すのは好きだし、私の話でそのもの自体に興味を持ってくれたりなんかしたら、最高の誉め言葉も同然で。その瞬間に私の中だけで燃え上がっていた恋の様な感情は伝染して「気になるもの」に姿を変えて誰かの中に落ちていく。詩的な表現だって?感情ってものはそういうものでしょう?言葉に出来ないから「感情」って言うのよ。心の言葉をストレートに吐き出すとどうしてもこうなるのよ。

それを好とするか悪とするかは人それぞれ。1つの事柄に対し誰かは「こんなの間違ってる」と声を上げたとしても、他の誰かは「あぁなんて素敵」と言うかもしれない。私は悪を否定するつもりは無いけど、感情論の悪は無かったことにしたい派だから、あまり耳を傾けてはあげないよ。感情論で述べていいのは好意と熱情だけだと思ってるからね。

感情で語られる言葉にならない好意ってどうしてこうも可愛くて美しいんだろう。今にも爆発しそうなのに正しい言葉が見つからなくて、吐き出し場所を彷徨っている。きっと心から愛するものがある人ならば一度は経験があるはず。「あぁ、この素晴らしさを表現するだけの適切な言葉が見つからない」って。私はよくあるよ。

脳裏にいっぱいに広がる素敵なものの話を、どうやったら目の前に居る人に正しく伝えられるんだろう。どうやったら「素敵だね」と思ってもらえる言葉になるんだろう。それをずっと考えている。好きなものを好きという言葉で片付けたくない。なんて難しい。愛おしい。難しい。

恋って別に人に対してだけじゃないよね。物でも、世界観でも、なんでも。心がときめいて、もっと近づきたい、触れたいって思ったらそれはもう恋だと思うの。少なくとも、私はいつでも恋してる。一番の恋のお相手は『音』かなぁ。音楽、僅かな生活音、環境音。雨音とか、不意になった金属音とか、何気なく聞こえてきたジャズの音色とか。そう言うものに恋してるかも。ずっと聞いていたい、出来ればもっと近くで、って思うから。

素敵なものを素敵だと言える貴方が素敵です。さぁ、聞かせてください、貴方の好きなものの話。

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