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#202 ヤモード・アッサカイ・トンニ・コザンセー【前編】


なんの暗号?と思われたでしょうか。プリン・ア・ラ・モードを中東で食べたら、こんな名前だった‥‥
って、そんなわけあるか~い!

日本を離れて23年経っても、時々マシンガンのように母のおしゃべりが脳内に流れてくることがある。母がかつて使ったフレーズ、おしゃべりした時の内容までが、こてこての方言のあの声のままで私の脳内で再生されるのです。
まるで、私の細胞内に滲みているものが時々表出するかのように‥‥

「やもーど(たくさん)あっさかい(あるから)とんに(取りに)こざんせー(いらっしゃい)」

タイトルのフレーズもまた、母がかつてよく使ったものです。なぜか今日、洗い物をしていた私の脳内に出現しました。
最後の「こざんせー」は、人によっては「こさんし」とか「こさんしま」と流動的だったりします。

洗い物を続けながら私は考えていました。
「たくさんあるから取りにおいで」と複数の人に言える状況って、なんて豊かなんだろう、と。

私の育った家は裕福とは程遠かったけれど、祖父がぶどう農家だったこと、その傍らたくさんの野菜も育てていた恩恵を受けて育ちました。
夏のぶどう収穫期に入ると、祖父、祖母、普段はほかの仕事に就いている母がまず主力メンバーに。そして近所のおばあちゃんやおばさん達に助っ人に入っていただきます。
ビニールハウス内、頭上に実るぶどうの下、敷いた茣蓙ござ胡座あぐらの祖父、正座の女性たち、そして立膝で作業する自分。今でもあの時の匂い、暑さや時折そよいだ風の心地よさまで思い出せるのです。

ぶどうを箱詰めにする際、虫食いの粒や青い粒などをハサミで除いていきます。農協さんに出荷する規定の容量に詰めるためには一房の重さを調整する必要が出てきます。
そうした修正作業後の細々こまごました房のぶどうが一日の終わりにはかなりの量になります。大袋に入った「割れ煎」のようなものです。

祖父の畑には夏の同じ時期、西瓜、きゅうり、茄子、トマト、カボチャ、菜ものなどもどんどん出来ていました。

そこで出てくるのが、知り合いに電話する母の一声。
ヤモード・アッサカイ・トンニ・コザンセー」


若い頃の自分は、365日の苦労すら知らず農繁期の家族へのしわ寄せに対して、農家なんて嫌だなと思っていました。
祖父母も逝き、畑の作物とは縁のなくなった実家ですが、なぜか周りの皆さんからのおすそ分けは絶えることがないのは、なんてありがたいことでしょう。

今の私は、なにかを「産み出す」ことのできる人に憧れを持っています。
旬のエネルギーに満ちた食材を家族に与えられる充足感。その上に、「たくさんあるから取りにおいで」と言える豊かさって、根源的に素晴らしい。
自然が相手である以上「無い」または「足りない」時があることでしょう。第一次産業に携わる人が減少傾向にあるという理由もよくわかります。
でも、だからこそ、分け合える時の喜びがあり、それは人間が本質的に持っている魂の歓びのような気がします。

第一次産業といえば、「農」の次には「魚」。
私の子ども時代に豊かにあったもう一つのもの、その様子を通して考えたことを後編で書いていこうと思います。





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