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アンガーマネジメントの前に -私が長女が靴を履く30分を待てた理由-


昨日、一昨日のアンガーマネジメント①②の続き
育児でもそれ以外でも
同じ状況で「怒る人」と「怒らない人」がいるのはなぜか
失敗に関して、心から「恥ずかしい」と思う人と心から「成功の元」と思う人がいるのはなぜか
「好きな人」「結婚するならこんな人」がそれぞれ違う、または、系統だっているのはなぜか?
それは単純に
根本の「信じているもの」に因るところが大きい

例えば
長女が2-3歳の頃
周りの子はさっさと靴を履き、子によっては脱いだらきちんと揃えて置けるような発達段階にあった時
成長がとてもゆっくりだった長女は靴を履くのにはじめは30分かかっていた
私はその様子を観察したり、時には近くで違うことをしながら待った

人は成功体験の積み重ねで自信が育まれるに違いないと思っていたので
長女にもどんなに小さなことでもいいから日々成功体験の機会を設けたいと思っていたし
興味をもった時にそれをさせるのが1番集中力もやる気も育つに違いないと信じて疑わなかったので
周りを見て「もう教えないと!」「できるようにさせないと!」と焦ったり
「まだ早いでしょ」とやらせなかったりということがなかった

このあたりまでは
うん、そうだよね、分かる、やってる
という人はいると思う

では、靴履くの30分待てるか?というと
うん、待てるよと言う人に会ったことがなく、私自身もなぜイライラもせずに待てたのかずっと不思議であった

元々自分が幼少期にのんびりで、かけっこも最後の方、ご飯を食べるのも遅くて居残り、喋るのもトロくて赤ちゃんぽかったので
自分のことを考えたら我が子にとやかく言えないからかな?とは思っていた

確かにそれも一理あるのだが

脳科学を知るうちに
それは私が
「物事を捉える前段階の根本的な部分で何を良しとしているか」
に起因しているのだと分かりようやく腑に落ちた

幼少期、のんびりな私を周りの大人たち、親をはじめ親類一同、保育園の先生に至っても、私を急かすこともなく、いつも「みずきはのんびりで可愛いねぇ」と目を細めていた
それに加え
父は離れて暮らしていた幼少期から65歳で死ぬまでずっと私に
「うちの元気丸」「マイペースでな」と言い続けてくれていた

おかげで私の心の奥底には
・のんびりは可愛いこと
・マイペースが大事
・元気が1番
これが当然のこと、絶対的な信念として
目の前の出来事を捉える指針として君臨しているのである
しかもこれは潜在意識の部分にあるので
普段は意識しないため自覚がなく気づかないで生きてきていた

このあたり興味ある方は
NLP ビリーフ
と検索すると詳細が出てきます

だから
長女に対して
・のんびりを可愛がる
・彼女のペースを尊重するのが大事なこと
・元気ならそれで良し

ということを無意識のうちに目指していたゆえ
私の長女に対する捉え方は意識せず努力せずともそれに沿ったものになり、言動もそれに沿ったものになっていた
というわけである

さらに
途中から自らの経験と思考により確信を得た人生楽しむのが1番
という信念もあったために

育児をどうすれば楽しめるか創意工夫をしてきたしそうすること自体を楽しんできた

ではなぜそんな信念がありながら
娘達にイライラして怒鳴ったことがあったのか?

それは
・人間完璧でないし常に一定であるはずがない
・完璧なはずのロボットだって誤作動することもある
・あんなに優しかった父でさえ姉に怒り茶碗を投げたことがある 
と思っていること
そして
もし私の信念に「子供はうるさければうるさいほど情熱的で素晴らしい」というものがあったならば
娘達がどんなに騒いでも
「うちの子たちったら素晴らしいわ」と寧ろ喜びイライラしてなさそうだ

だから
育児に限らず自分とは異なる他者の価値観に対して

信じられない!理解できない!
と思うのは自然なことだし
他者にそう思われるのも自然なこと

批判や異なる考え方、意見の相違はあって当然、ない方がおかしいと思う

だから他者の言動に対して
「なるほどね、あなたはそう思うのね。私はこう思うわ」
と物事を物事として捉えられることができれば
被害者意識に陥り落ち込んだり
自分こそが正しいと怒鳴るということもなくなるのではないだろうか


何事も捉え方次第

生きやすい人が増えますように

写真は2年前の親子歌舞伎鑑賞

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