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映画を愛する私たちへ

ゴールデンウィークも残りあと2日ほど。来る仕事がやや憂鬱になりながらも、購入したての新しいテレビで映画を貪る日々を過ごしている。

冷えたビールと軽いおつまみ。半分酔っ払い気分で見る映画はここが現実なのか夢なのかその境目をどこか曖昧にしているような気がする。見たい映画と読みたい本。日々に忙殺されて忘れかけていたけれど、私って意外と好奇心旺盛なのかも、なんて思ったり。

今日は映画好きにはあまりにも有名すぎるジュゼッペ・トルナーレの『ニューシネマ・パラダイス』の感想をぽつりと書いてみる。

映画監督の主人公サルヴァトーレは昔親しくしていた映画技師のアルフレッドの訃報を聞いて、30年帰っていなかった故郷に帰る。映画は大半がトトと呼ばれていた頃のサルヴァトーレの回想記とも言える。ネタバレになる詳細は省くが、アルフレッドの説得によって青年になったサルヴァトーレは故郷を捨てて旅立つ。アルフレッドはサルヴァトーレをただの映画好きの少年にはしたくなかったのだろう。日本には「可愛い子には旅をさせよ」という言葉があるが、まさにアルフレッドの一見厳しいセリフからはそのような温かみを感じる。

「幼い頃映画館を愛したように、自分の人生を愛せ」というアルフレッドの台詞は有名すぎて引用すると却って興ざめだろうか。でも私はこの言葉が好きだ。人生を愛せだなんて、そんなことを考えて生きている人はどのくらい居るのだろう。目まぐるしく変化する社会、先行き不安な未来。自分の人生を愛する余裕なんてどこにもない、と私は思ってしまう。それでもこの映画を見ると私の涙腺は自然と緩んでしまう。肩の荷が少しだけ降りるような気がする。

美しいメロディと映像が重なるこの映画を見ると、テレビやビデオに追いやられて1度は衰退してしまった映画というものを、現代になっても愛さずにはいられないと思う。

アルフレッドがサルヴァトーレに感謝を告げるワンシーンを見てみよう。アルフレッドはサルヴァトーレの目を隠しながら、自分と同じ映画技師の仕事だけに留まるなと、お前にはもっと違う仕事があるんだと言う。そしてアルフレッドはサルヴァトーレに命の恩人だと告げる(アルフレッドが経営していた映画館がフィルムの発火によって燃えてしまった時、サルヴァトーレがアルフレッドを救ったのだった)。その間、アルフレッドとサルヴァトーレのショットが交互に映し出され、2回ほど短いショットが続いたあと、数年後へ時間が動く。

アルフレッドの台詞は長くはない。しかしこの短いセリフの中に、短いショットの中に2人の長い時間が込められているのだと思うと、親子、兄弟、友人関係とも違う2人の関係性に愛しさのようなものを私は感じる。

近頃はスマートフォンの普及によって、2時間程度の映画を集中して見ることが出来ない人が増えたといつしかニュースで言っていた。これだけ娯楽が増えて便利になった中、なぜ私たちは映画を見るのだろう。なぜ映画を愛するのだろう。画面の中の世界に自分の人生を馳せるのだろう。きっとそれはあらゆるものを追体験させてくれる、不器用で愛おしい映画の世界に魅了されて止まないからなのかもしれない。


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