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あたらしいからだ

新年あけましてなんとか、というには少し遅すぎるこのタイミング。
怒涛のような2022年だった。久しぶりにnoteを開いて出来事を記すにはあまりにも周りの変化が大きすぎた。

とりあえず年末、仕事がピークに忙しいさなか、高熱を出し今では珍しくもなんともなくなったウイルスに悲しきかな、感染。
幸いにも軽症で済んだものの、まだなんだか体力が戻らず、ひとつひとつの動作がぎこちない。

そして長年お付き合いをした恋人とお別れをし、新しいパートナーと日々を過ごしている。
これもまた1年間紆余曲折あった。
何度も期待し、裏切られを繰り返し疲弊した私は、残りわずかな貴重な20代をどのように過ごすのか考えあぐねる日々を過ごしていた。

しかし思い立ったら即行動!
どちらかといえば仕事以外の何事にも腰が重たいタイプの私にしては、年末の諸々の処理をよく頑張ったと思う。
仕事も極限に詰めすぎたゆえの体調不良か。
そういえば年末は体調を崩しがちだなと思ったり。
もうこれ以上は動いてはいけないのよ、という体からの早めのサインなのかもしれない。

朦朧とした意識の中、数年ぶりに紅白をテレビで見、実家からのなんとなくの習慣でゆく年くる年をぼんやりと眺めているうちに新しい年が明けた。
熱の下がった体は、まるで脱皮した虫のような、細胞があたらしく生まれ変わった感覚がした。
窓を開けて部屋の換気をすれば、冷たい風が頬を撫でる。

正直、2022年はさんざんだった。
仕事ばかり充実した私は、いろんな大切なものを見落として、余裕がなくなって、焦ってばかりいた。
外の冷たい空気を肺に入れ込むと、本調子でないからだがむせ上げた。
街が日常へと戻る音を聞きながら、ベッドに横たわると、なんだかこみ上げるものがあった。

あたらしいからだ あたらしい日々
少しずつ私の日常が余裕を取り戻しつつある。
ゆっくりと ゆっくりと 歩く方法を模索しながら、今年も懸命に不器用な私の日常を生きていきたい。

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