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自分への備忘録

数ヶ月前まで、毎日このnoteを更新することを自分の一日の中で一つのミッションとしていた。

趣味で始めた英語学習やトレーニングも、これまでは『連続』にこだわってきた。『連続』させる事で自分の中の少ない自己肯定感が満たされるような気がして。

「自分だってやれる。」「自分は弱くない。」
そう思える瞬間が少しでも多くなるように、とにかく『連続』にこだわってきた。

でも最近は少しそのペースが変わってきた。『連続』という訳ではなく、『ぼちぼちと』に。

トレーニングにしてもそう。あまりに毎日毎日やり過ぎると決まってどこかを痛めた。もう40歳にもなったので仕方ない部分もあるけど、せっかく『連続』してたものが怪我で止まってしまうのは歯がゆい…。

モチベーションの維持も大変だ。決して僕は自分を追い込むのが好きな方ではない。
むしろしんどい事は嫌いだ。
そんな自分がトレーニングを毎日続けるという事は、かなり精神的にハードな事もある。
それでも「自分に負けたくない」っていう負けず嫌いな部分も相まって、今に至っている。

英語学習も、以前は「一日〇〇分」みたいなノルマを作ったり、自分が取り組んだ学習内容をメモしたりして、ある種の達成感を得ていた。
もちろんやればやるだけ色んな発見があったり、今まで分からなかったことが分かったりして、自分が一歩階段を上がれたような気がして嬉しかった。

でも逆に言うと、それらを日々こなす事に追われていたような所もある。
でもこれもやはり「自分に負けたくない」という気持ち、「一度始めたことは最後まで…」という気持ちでやり続けて今に至る。

noteの連続投稿も確か700以上いった気がするし、毎日その数が増えていくのは嬉しかった。
でもその一方で『連続記録』が途切れる勿体なさのあまり『投稿』する事が目的になっていた部分も否めない。

一旦ここらで色んなことの『目的』をもう一度感じ直す機会なのかもしれない。

圧倒的なアチーブメントで、自分を劇的に好きになるのも悪くないだろうけど、自分を過剰に責めたり追い込んだりする事は一番良くない。

何かを成し遂げる事は素晴らしい事だけど、成し遂げられなかった事は決して悪ではないし、自分を責める理由にする必要なんかない。

理想の自分を追い求めるのも良いけど、今の自分を認めるのもなかなか奥が深い。

圧倒的な推進力ってのもカッコ良くていいけど、のらりくらりと止まらないってのも渋くていい。

決して向上心を忘れた訳でも、腐っちゃった訳でもない。

ただ、以前だったら明らかに自分を責めていたであろうこのシチュエーションを、ちょっと楽しみながら付き合ってみてもいいんじゃない?って思ったりしている。

いつ何時、また前のめりになってアタフタしてるとも限らないから、感じているうちに書き残す、自分への備忘録。

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