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誰かにひけらかす暇もないくらい瞬間的に過ぎていく幸せを

承認欲求は、いつだって私を動かす大きな要因だった。誰かに認められたい、肯定されたい、褒められたい。間違いなくそうやって生きてきたし、きっと他人からもそう見られていた。少しでも自分より優れている人がいれば、すぐに違うフィールドで戦う準備ができていた。

そうやって何度も道を逸れて、できないことから逃げて、最終的に気がついたらヒースロー空港行きの飛行機の中にいた。留学はきっと私の承認欲求を満たすための、最後の手段だった。なんだかとんでもないことをしでかした気持ちになって、機内でひとり泣いた。

ついこの間「あなたはどんな人ですか。」と就職斡旋会社の方に聞かれて、この話をした。そしたら「ひとつのことを、ちゃんと最後まで成し遂げられる人が成果を出すと思う。」とド正論をぶちかまされて、また泣いた。自己分析を手伝ってほしいと依頼したのだったが、結局ただ自分の人生を正面から否定されたような気持ちになってしまった。お時間頂いたのに申し訳ない。

*

私は、「認めてもらうこと」を「許されること」だと思っていた。認められないと、その場所にいる価値さえない。そこに居る価値がないと、存在することを許されない。

最近は、就職活動を通しても「許されたい」と思っていた。誰に?それはきっと高い学費を払ってわがままを聞いてくれた両親に。いつも「しょうがないな」と話を聞いてくれる友達に。私のことをよく知らないような人たちに。これから生きていく社会という場所に。そして何より、私自身に。

大学に戻る飛行機の中で読んでいた、佐久間裕美子さんの「ピンヒールははかない」というエッセイ本のなかで、印象に残った文章がある。

「幸福は、瞬間的に感じるもので、継続的な状態ではない。」
それでも人間は、「継続的な幸せ」が可能であるという幻想を抱くし、それを目指して葛藤する。幸せとは、何かいいことがあったとき、美しいものに出会ったときに、瞬間的に感じる気持ちのことである。継続的な幸せなんてないのだと受け入れることができたら、他者からの承認欲求からも解放されるのかもしれない。

佐久間さんの言葉を読んでハッとした。なんだ、こういうことだったのか!と、ずっと悩んでいた数学の問題の、解き方をチラ見した時の気分だった。

それまで私は、あらゆる方向から許されるような仕事に就いた自分は、その後継続的に幸せになれるものだと思っていた。でも幸せって、そういうことじゃなくて、もっと些細なことでよかったのかもしれないと、不意打ちでくらったパンチのように、衝撃とともに理解した。

例えば昨日、友達と一緒に新しいマグカップを買いに行った。1年ぶりに大好きな街に戻って来れて嬉しかった。久しぶりに会う彼女は、4年前の大学初日に出会った人で、大学構内や街のいたるところに彼女との思い出が溢れていた。でもそんな思い出ばなしをしなくても、私たちには今も続いていく日常があった。

お気に入りの雑貨屋さんは、いつものいい匂いがした。可愛いものが沢山あって、全然選べなかった。時間をかけて私が手に取った、シンプルなアイボリーとブルーのふたつに対して、「アイボリーがいいと思う。ブラックコーヒーが美しく映えるでしょう。」と彼女が言った。まったく同じことを考えていたので、驚いて嬉しくなった。

今文章にした全部、瞬間的に感じた幸せだった。でもきっと、その数秒間幸せだったことを、私はずっと忘れないだろう。

そんな瞬間を、たくさん探していけばいい。そして見つけたら大切に、私しか知らない場所に閉まっておけばいい。いつか取り出して、うっとりと眺めるような日を心待ちにして。

*

「就職活動は、人生を変える最後のチャンスだよ。」と言われたことがある。そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。なんにしろ、人生を変えたいと思っていないことは確かだ。こうやって今なんとなくわかり始めている「幸福」をなんとなく見つけられるような、今の人生が私は好きだ。

SNSのおかげで、誰かが毎日休みなく幸せそうな様子を、意図せずとも見てしまう時代になった。そうすると徐々に、幸せは継続的なものだと勘違いしてしまう。だからこそ、誰かにひけらかす暇もないくらい瞬間的に過ぎていく幸せを、見過ごすことなく大切にしていきたい。

それを働く場所でも見つけたり、なんなら作っていくことができればとてもいい。それがきっと、本当の意味での幸せに働くことだと、今は思っている。



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