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現実世界で上手く生きられないと嘆く者へ~美を身にまとい、神秘を得て自身を芸術化せよ

 普段こちらのnoteで読書感想文を残している、新唯美主義作家の松井健太朗と申します。

 今回は少しいつもと違う趣旨で記事を書いてまいります。

 タイトルにありますように、現代社会にて生き辛いと思う人に向けて、1つの考え方を開陳したいと思います。

 現代社会にて、たとえば以下のような場面で、生きるのが嫌になる方が多いと思います。

・中々好きなことが見つからず、見つかっても芽が出ず苦しみ、環境のせいにしたいが、そんなの甘えと許さない自分自身や周囲

・街行く幸せそうな人の笑顔を見れば、何アイツと僻む癖が抜けずにそんな自身に自己嫌悪を抱く

・メディアで結果を出す若い人を見れば、アイツは運が良いのだと悪態を吐き自分のちっぽけさを痛感する

・何もかもうまく行かずに部屋の中で、一人で思わず大きな声を出して、周囲に迷惑をかける失態

 日常を過ごす中、臓器から血が出る程に辛く苦しく、泣き悩み、叫び藻掻く、何かに不平不満を抱きながら生きている方が多いかと思います。

 そんな皆さまに、新しい唯美主義ゆいびしゅぎとしての纏美神化主義(読み:テンビカミカシュギ)について是非知っていただきたいのです。

 纏美神化主義とは、美を纏いまとい、神秘へと化すという意味です。

 こちらを身につけていただければ、悩める皆さまの人生はきっと好転するはずです。以下に詳細を書いてまいります。


・なぜ1人の小説家の私がそんな話をするのか

 
「お前に言われなくたって、そんなの皆それぞれ必死になって現代社会を生きているんだよ」

「ただの小説家に何が分かるって言うんだ? お前に何ができるって言うんだ?」

「そもそもお前だって生きにくい社会を生きているんだろ」
などなど。

 思ったことでしょう。なぜ私がそんな話を始めたのか。

 それは冒頭に示した、生きるのが嫌になる瞬間の例は全て私が経験し続けた感情なのです。ただ、今の私はその全てを無に帰すだけの思考方法を生み出したため、思考にバグを発生させずひたすらに自身を高める精神性を身に着けたのです。

 そして、ぜひ皆さまにも精神の完全無欠な境地へとたどり着く1つの手がかりになる思考をトレースしてもらえたらと思っております。

※今では以下のように第三者目線で見た負の感情を題材にして、ショートショートをXにて投稿できるまでになっております


・人類が互いに高め合う思考こそ、纏美神化主義

 纏美神化主義とは、「生きる己自身を芸術と化する芸術」を意味します。
 いわゆる、人生を生きて全うするという価値観から、人生を作品と見做して芸術として作り上げる価値観に変化させるのです。

 人間は自分自身を芸術作品と見做し、作品としての価値を高めるために試行錯誤するようになります。

 ただ生きるだけでは無気力に時間を潰すこともできますが、芸術は価値があって始めて存在し得るため、自身を作品と見做せばそんな悠長にはならずに済みます。

 また、自分を纏美神化主義者と名乗ることで、同志もできお互いに切磋琢磨し合い、己という作品の価値を高め合う理想的な世界が実現するのです。

 そしてただ名乗るだけでも、作品化のために向上心のある者として見られるようになるのです。
 纏美神化主義は自然と人間を上質な世界へと連れて行ってくれます。

 私ももっと他人と競い合い、もっともっと高みへと行きたいと思って仕方がございません。私の思う美しく互いに高め合う上質な人間社会が実現する未来を願っております。


・纏美神化主義の根源となった美しい要素

 私が先程述べた「生きる己自身を芸術と化する芸術」の纏美神化主義に至るまで、幾つもの段階がありました。どれも作品化においてとても大事な要素ですので、詳説させていただきます。

 1つずつ追って行き、是非自身を作品化する考えに少しでも興味を抱いてほしいです。

①泉鏡花や江戸川乱歩、昔の唯美主義作家と言われる者の作品

 まずは昔の唯美主義作家の作品との出会いです。(以下に過去私の書いた江戸川乱歩の作品の読書感想文があります)

 江戸川乱歩や泉鏡花、谷崎潤一郎や澁澤龍彦に赤江瀑など、明治から昭和にかけて、美しく酩酊感を抱かせる甘く装飾的な文章で各々の美を追求した作家たちがいました。

江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間

 高校時代の時に初めて泉鏡花の「日本橋」「高野聖」や谷崎潤一郎の「刺青」を読み、とてつもなく味の濃く高カロリーな文章に触れ、良質なアルコールを多量に摂取したような夢見心地の感覚に捕らわれた気がしました。

「お客に舐めさせるんだとよ。」
「何を。」
「その飴をよ。」
 腕白ものの十ウ九ツ、十一二なのを頭に七八人。春の日永に生欠伸で鼻の下を伸ばしている、四辻の飴屋の前に、押競饅頭で集まった。手に手に紅だの、萌黄だの、紫だの、彩った螺貝の独楽。日本橋に手の届く、通一つの裏町ながら、撒水の跡も夢のように白く乾いて、薄い陽炎の立つ長閑さに、彩色した貝は一枚々々、甘い蜂、香ばしき蝶になって舞いそうなのに、ブンブンと唸るは虻よ、口々に喧しい。

日本橋 (岩波文庫 緑 27-7)

 分かりやすく美しい、泉鏡花の「日本橋」の冒頭を引用させていただきました。短い文章の中で、味覚、視覚、嗅覚、聴覚、触覚すべての五感をこれでもかと刺激される、屈指の美の名文でございます。

 だが、泉鏡花含めて過去の唯美主義作家は、私視点で見ると1つの大きな問題点を抱えているように感じたのです。

 唯美主義は「芸術のための芸術」といった考え方で、芸術と実生活を完全に切り分けて考えております。
※こちらに唯美主義(耽美主義)について詳しく説明されていますので、気になる方へ
【美術解説】耽美主義「美学や表層的な美に価値観を置く芸術」

 つまり美を作品の中に追求するために、作品の中に実生活の教訓めいた要素を排除し、純粋な芸術的な美を追求するのです。

 例えば、純粋な唯美主義者は一日中部屋に閉じこもり、自身の空想の世界に入り浸り、好きな作品を堪能する隠遁生活へ向かう傾向にあります。

 なぜなら、彼らにとって美こそ最高の価値と見做し、日常生活における雑多な事柄は美しい空想世界とは真逆な要素のため、排除しなければならないからです。

唯美主義・耽美主義的な19世紀末文学の旗手、オスカー・ワイルド

 私は1つ疑問を抱きました。
 過去の唯美主義的思考は、インターネットが完備され多くの者の生活や思案を嫌でも目にできる現代社会では意義を持つだろうか?
 
 唯美主義という美に最高の価値を見出す言葉は、過去の作品を鑑賞する際に、芸術の美を堪能するためだけの思考に堕ちて行くような気がします。

「だが、美に最高の価値を見出す唯美主義的な思考は、本当に現代で意義を持てないのだろうか?」
「最高の美は現代において価値を失ったのか?」

 そんなことないだろう。
 思い悩んだ末、私は新しい意義の唯美主義を打ち出そうと思いに至ったのです。

 現代を生きる者にとっての美は芸術のためではなく、己の人生のためにあると主張したいのです。

 己の人生を芸術化させるために、自身で美を纏う纏美神化主義(生きる己自身を芸術化する)が、今の時代に最も適した美の在り方だという結論に至ったのです。

②作品化に必要な構成思想~~内面に潜むモノの充実化と、外殻の美化

 人生を作品化させるために、一体何が必要なのか。
 作品というものは、存在そのもので価値があり、意義を伝えるために人の目を惹くものでございます。

 例えば、ピカソの有名な作品「ゲルニカ」

作者:パブロ・ピカソ 制作年:1937年

 ピカソの「ゲルニカ」は反戦作品と言われております。
 制昨年の1937年、スペイン北部のバスク地方にある都市、ゲルニカにて、スペイン王政打破を目指す左派と保守派の右派に別れ戦争が勃発します。
 右派を支持していたドイツ空軍はゲルニカに空爆を仕掛け、多くの命を犠牲にしたのです。
 空爆の惨劇を写し出し、博覧会で多くの者の目に触れました。

牡牛は牡牛だ。馬は馬だ。・・・もし私の絵のに何か意味をもたせようとするなら、それは時として正しいかもしれないが、私自身は意味を持たせようとはしていない。君らが思う考えや結論は私も考えつくことだが、私の場合は、それは本能的に、そして無意識の表出だ。私は絵のために絵を描くのであり、物があるがままに物を描くのだ。

Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典

 当時のピカソは勿論自身で作品の意味を語っていないようです。ただ、鑑賞者はピカソの独特のキュビズムの表現方法ありきで、戦争の悲惨さと反戦の意志を感じ取らずにはいられませんでした。

 作品の意を伝えるにおいて、当然作品の美しさも伴わっていなければなりません。キュビズムによる、一面的なモノの見方から離れた多角的な表現方法は作品をより魅力的にし、観衆を惹き付けます。

 「ゲルニカ」を例に採って述べたように、芸術作品とは内面に潜む意義魅力的な外殻を持っていなければいけません。

 纏美神化主義を掲げる者たちは、内面の思考の深化と外見の魅力を高める行動に有用性を不可抗力で見出すようになるのです。

 内と外いずれか欠けている作品など、この世に存在できないのです。

③外見を磨く中で見出した、幸福と成功

 内面の充実化は中々最初は難しいと思われます。なぜなら、作品において最も抽象的で、時に鑑賞者によって感じ方が異なる場合が殆どだからです。

 だが、作品の制作においても、まずはまっさらなキャンバスや原稿用紙などと向き合って魅力的な外側の美を線や文などで創造するため、外見における自己プロデュースを初めの第一歩としてお勧めいたします。

(ご自身の哲学があり、それを伝えるために外見を作り上げるのも勿論ありです)

 自分という存在は自分の作品であるため、外見制作を一人で行うのも良いですが、私は外見のプロHIROYUKIさん(@hirooo0114)のコンサルを、私の価値観を元に最高の美を作り上げるために受けさせていただきました。

 そこで私は自身の作品化を目指すことで外見を大きく変えることに成功いたしました。
※以下、私の外見におけるBefore(高校時代)・After(現在)

Before

After

2、3枚目の撮影はTaikiさん(@taiki__camera )

 外見が私の纏美神化主義を伝えるための最高値を叩き出し、私自身を作品として自信を持って世に出せるようになりました。

 纏美神化主義を発信する上で外見の良さは必須条件でもありますので。

 また、外見コンサルを受ける中、とあるきっかけがあり、纏美神化主義こそ現代社会に必要だと確信に至ったのです。

 それはコンサルを受けた、HIROYUKIさんの以下の発信を見た瞬間です。

 そうです、外見の魅力化の効能にまだ気づかず、課題意識を持っていない人が多いのです。

 SNSの発達から、外見改善のコンテンツは増えるものの、人間の原初からの怠けに流される性分や、人間は中身が重要理論によって多くの者に浸透していない現実があるのです。

 纏美神化主義による作品化は外殻の美化も内面の充実と共に需要なファクターです。

 作品化による最初の外見改善によって他人からの見る目が変わり、自信の獲得と幸福な生活へ近づくことができるでしょう。

 自信と幸福が次のステージに進むための重要な装備品になるのです。

 纏美神化主義が認められて多くの者に広まることで、HIROYUKIさんの言う課題意識を持っていない方にも外見を磨く重要性が伝わるのではないでしょうか。

④最高の外見を得た皆さまは自信を持ち、自らの哲学を発信する程の自意識を獲得する

草間彌生 「かぼちゃ」 福岡市美術館
※水玉のデザインで有名な草間彌生さんも、自身の美学を信じ生き抜き、
一度見たら忘れられない外見は自身を作品化させていると見て良いかもしれません

 外殻を作り上げた皆さまはワンステップ、ツーステップ上へ進み、自己主張さえも厭わなくなります。自身を卑下せずに、今の私のように思想や自己哲学を平気な顔で堂々と述べられるようになります。

 日々皆さまも生きる上で、どうしても主張したいが何となく憚られていた考えや哲学があるかもしれません。

 だが、自分の外見に自信を得たことで自分を見てもらいたい願望も増し、自己主張へのためらいも雲散霧消するのです。

 反して、まだそんな自己主張もないと言う人もいらっしゃるでしょう。だが、まずは外殻から自身の存在を作り上げることで、今まで見られなかった光景を目にして、新しい思考を手に入れる機会も増えていきます。

 新しい思考は皆さまを成長させる重要な栄養素です。いつかは血や肉へとなり、皆さまの中から独自の哲学が生成されるようになるのです。

 よって、纏美神化主義を主張するだけで、自然と価値を向上させる結果になるのです。

⑤私の発信する、内にある哲学

 最後に私が外身の魅力化と共に充実化させた、内にある哲学について述べさせていただきます。

ナメクジの交尾

 ナメクジは雌雄同体で、1 つの体の中に♂と♀の生殖器を持っています。交尾する 時は互いに、頭部にある陰茎を相手の生殖孔へ挿入し、精子を相手に渡します。

ナメクジ ~知られざる生態とその被害~ 野菜花き試験場

 オスとメスの要素を持ち、お互いに絡まり合うことで両者ともに新しい命を育むナメクジ。

 雌雄の境を超越した、つまり生物を作る神のみ手を伸ばせる性別という領域を凌駕した存在が、また新たな命を生み出すのです。その刹那、写真にあるような青白く輝く神秘的な性器を外界に曝け出すのです。

 初めてナメクジの交尾を発見した時、あまりの美しさに見惚れてしまいました。その時、私は最高に美しいものはナメクジの交尾だという結論を認めたのです。

 私自身を作品化するにあたって、ナメクジの美を参考にしました。その結果雌雄同体の繁殖の神秘性をヒントに、中性的な存在として自身を作り上げ始めたのです。

 中性的に近づくにつれて、前述の神のみ操作可能な性別のコントロールの領域へと可能な限り接近することができるのです。

※今では別角度からではありますが、中性的なインフルエンサーなども増えておりますね。
最近急増中!フォロワーから信頼の厚い「ジェンダーレス」なインフルエンサー8選! (find-model.jp)

 時流にも後押しされ、私自身はまず男性性と女性性を取り払うように外見を作り上げました。

※真言密教における修験者の修行着にも金剛界(男性性)と胎蔵界(女性性)を表すディテールが施されております。
詳細は高尾山のHPにありますので、気になる方はチェックしてみてください
修験十二道具・十六道具 | 高尾山薬王院公式ホームページ (takaosan.or.jp)

両界曼荼羅、左:金剛界曼荼羅、右:胎蔵界曼荼羅 奈良国立博物館

 真言密教においても、大日如来(宇宙の権化)は金剛界と胎蔵界、つまり力強さ(男性性)と寛容さ(女性性)の両面を表すと言います。
 つまりナメクジの中性的な雌雄同体の美を纏うことで、宇宙の神秘へと近づけるのです。

 美を纏い神秘を得る→神秘を得て作品としての価値を上げる。これこそ纏美神化なのです。

 以上、外見と内実のアップデートが、纏美神化主義を掲げ始める発端になったのです。


・纏美神化主義における、内実の表現活動

 纏美神化主義を引っ提げて、作品化した私は「男性性と女性性」のように相反する要素を抱えることの神秘性を表現して行こうと決めたのです。
 「美と醜」を代表し、「善と悪」、「生と死」、「和と洋」、「肉体と精神」等々。

 相反するものを抱えもつことでの芸術作品の美しさを表現し、纏美神化主義を広めていこうと決めたのです。

 例えば、以下人間の歩んで来た歴史における罪を償おうと正義の心から、醜悪な行動に出る者の美しく醜い姿を描写したエンタメ作品「小屋の中のカーニバル~ヒューマンストックとお父さん」

 大乗仏教の祖として偉大な存在と知られる達磨の精神性の充実に反して、肉体の破壊を描いた純文学、「空洞達磨の肉欲詰め」

 など、小説の形で私の思う美学を表現しております。全ては纏美神化主義のために。
 これらは現代における、新唯美主義の小説として発表しております。

 小説を読む人口が増えていただければと願いを込めて、こちらのnoteでは、普段読書されない方にも興味を持っていただけるように、味覚や嗅覚などに訴えかける感覚派の読書感想文を発表させていただいております。

 そして、今回の纏美神化主義を発表するにあたって、以下小説の形で思想書のような物語を拵えました。

・読書慣れしていない方は、まずこちらの超ショートショート

・次に読書されている方や、纏美神化主義に大変興味を持っていただいた方向けに、長編となります(以下いずれも内容は同じですので、読みやすい方でご一読いただけますと幸いです
↓Kindle版

↓エブリスタ版

 内容としましては、纏美神化主義が受け入れられないような現状を嘆き、皆さまが主人公の鬼頭純三郎に少しでも感情移入し、力になりたいと思っていただければと願いを込めたものになります。

 先程の写真を撮影していただいたTaikiさんから「ネチャリ、纏う美。神秘へと。」のとても素晴らしいご感想をいただけたので、掲載させていただきます。ぜひ皆さまも自分自身の作品化を目指す上でご一読いただければと思います。

 そして皆さまが纏美神化主義を掲げてご自身を作品化し自信を得て、より良い生を味わっていただけたらと心から願っております。

 あまり長くなってはいけないので、ここまでとさせていただきます。ぜひ皆さまご自身を見つめ直し、内も外も最高の美を作り上げて、作品として完成させてみて下さい。

 美は絶対に人間を裏切らないので、我々人間も美を軽視すべきではないのです。


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