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ママちゃんと俺の5年愛戦争(仮) 3

ケアマネージャー探し

渡された資料と役所からの資料。
ずらっと並んだ事業所の数。
こんなにあるんだとちょっと驚いた。
逆に言えばこれだけ老人介護の数が増えているんだという事。
そして良かったか悪かったか今となってははっきりとは言えないが、何かあった時遠い事業所だと行きずらいし来るのにも時間がかかり過ぎるんじゃないかと考え近場(駅で換算すると一駅くらい前後の範囲)に絞って探す事にした。
でもそれでもかなりの数ある。とりあえず家の近くから潰していくかと近くの事業所から、片っ端に電話をかけた。

まず最初にアポが取れたのが、何店舗かケアセンターを経営している小さな事業所で家の本当近所にあった。
家を訪れた方は、ベテランと言った風情の女性の方でした。
事業所のあらましから始まって自己紹介を経て解らない事は質問してくださいとの事。
感触は悪くなく、くだらない質問にもちゃんと丁寧に答えて下さった。
「母さん、どう?お願いする?」
「そうね、お願いしようかしら」
「良いの?すぐ決めちゃって?」
「良い方じゃない?何人会っても変わらないわよ、これは縁なんだから」
なんと、あっという間に決まってしまった。
俺自身も立ち会って良い印象を受けた。
でも結局母親が納得すればいいのだ。
ダメだったら変える事がいつでも可能なのがより気も楽にしてくれた。
そしてベテランケアマネージャーSさんにお願いする事になった。

色々アポ取ってあった他の事業所には決まったのですいませんとお断りの電話をした。
本当はもっと色々納得するまで色んな人達に会って決めるのが本当は正解なのだろう。
でもこの時は母親の勘を信じた。
母親は長年保険の営業レディの仕事をしていたので沢山の人を見てきた。
そこで培った目利きというかその経験則からくる勘は病気になっても衰えてなかったと思う。後、これは眉唾話しになるけど、若い頃から霊感みたいなのも鋭かった。
そんな母親が一発で良いと言った人なので俺が否定して断る事はない。
実際、何年か担当して頂いて本当感謝している。
俺の人生の心配までしてくれてアドバイスや悩みを聞いていただいた事もある。
この場を借りて御礼を「ありがとうございました」

ケアマネージャーさんは、介護に関しては本当プロなのでお任せして市役所関係の様々な手続きや諸々の書類、介護保険関係‥‥随分お世話になったしわからないこの分野なので大変助かった。そして不安な気持ちも数段楽になった。

この頃、母親は、日々躁鬱な感情を持て余してるみたいだった。
時に寝込み、時に元気に散歩する。
数年前玄関で派手に転んで以来、膝が痛くて長い時間歩くのが辛くなってた。
だから俺が付き添って散歩してた。
目も緑内障、白内障を抱えていて見えにくくなっていた。
好きな本もまだ一生懸命読んでいたけど長く読むには辛そうだった。
新しいものが好きで買い物も好きで美術館や博物館も好きで好奇心の塊だった母。
自由にならなくなった自分の身体。
相当辛かったと思う。苦しかったと思う。
鬱が激しい時、何もやる気も出ず無の表情で布団から起き上がってボーッと一点を見つめてた母。その背中が泣いていた様に見えた。
昔のように笑顔でいてほしい。心底そう思った。
その頃から良くおねしょもする様になっていたから、パンツタイプのオムツに変えた。
それが嫌だったみたいで「パンツは?」とよくタンスを探してた。
言い聞かすのが大変でよく言い合いになった事もある。
昔の事をよく喋る事も多かった。
それでもその頃は本当に病気なのか?と思える時も多くて気まぐれだったけど家事をしてくれた事もあった。
とにかく情緒は不安定だった。
そんな時に通所のデイケアを探すというミッションがあったのだがこれがまた大変だった。

続く

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