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今日は母親の一周忌

去年の今日、朝8時20分過ぎ母親の呼吸が止まった。

夜中からずっと側に付いて様子を見て殆ど眠る事はなかった。
定期的に栄養補給のドリンク剤や水を飲ませていたが、朝方とうとう吐き出してしまっていた。
もう喋る事は出来なくなっていたけどずっと声をかけ続けた。
日が上がる頃少し落ち着いてきて水を飲んでくれた。
自分も少しホッとして、様子を見つつ溜まっていた家事をしようと席を立った。
チラチラと母の様子を見ながらの作業で全然集中してはいなかったけど、母親の顔を見ると安心した様な落ち着いた様な少し微笑んでるかの様な表情をしていた。
その当時は父親も介護が必要な状態になりデイケアに通わせていたのでその準備もしなければならない。
「大丈夫だろう」と踏んで雑用に奔走した。
その間は兄貴に付いて貰ってた。
いつもの様な日常が普通に動き出してた。

いつの間にかNHKの朝ドラが始まってた。母が好きだったのでもっぱらTVのチャンネルはNHKをつけっぱなしにしてた。この日も母に聞こえる様につけていた。
兄貴を見るとうとうとと居眠りをしていた。
母親を直ぐに見た。すると胸の上下する呼吸が弱っている様に見えた。
兄貴を起こして「ちゃんと見てよ」と注意した。
そしてもう一度見た。
母親の胸の上下運動はしていなかった。呼吸は止まっていた。

それからの出来事は今でもなんか夢うつつの様にフィルターがかかっている様にフワフワした感じで覚えている。
初に近い心臓マッサージの動作。
119への電話。
救急車の音。
あの日澄み切った青い空の色。
神なんて信じてなかったくせに天に祈った病院のロビーの天井。
最後救急医の方々に心臓マッサージをしこたまされた後一回息を吹き返したが、矢張り息が止まり「どうしますか?」と問われ「もう結構です」と決断した時の廊下の染み。
亡骸に最後対面させて貰えて見た母親の姿。まだ死に化粧を施される前の口から血を吐いて苦しそうに見えた。
「ごめんね」と涙が止め度もなく溢れたあの日。
それが母親の姿を見た最後の瞬間。

コロナ禍の絶好調の中、しかも母親の体内にはまだコロナウィルスが生きて蔓延っていたらしくそこから直ぐに焼く準備に入ってしまい姿を一眼も見る事叶わなかった。
その頃もコロナ関連で亡くなる方々が多かったから葬儀屋で遺体を預かって貰い焼くのにも一週間かかった。その間も会う事は出来なかった。
だから葬式も骨になってからで今も全然実感が湧いてない。
夢の中の出来事みたいなまんまだ。

あれからもう一年なんだね。
日が経つのは早い。
その間にも父親まで亡くなり、家族はもう兄弟だけになってしまった。
少しずつではあるけど、日常のリズムを取り戻しつつある。
それでもぽっかり開いてしまった心の穴は未だ開いたままだ。
でも時間は季節は日々は待ってはくれないしどんどんと行き過ぎてゆく。
いつまでも立ち止まっては居られない。
僕らは生きているし時代は進んでいく。
これからは完全に自分自身の人生が始まる。もう始まっている。
死んでからも心配かける訳にはいかないし、生きて行かなければならない。
寂しさは寂しさのまんま。
苦しさは苦しさのまんま。
まんま歩いていく。
答えは死ぬ時に笑えりゃ御の字でその時出るだろう。
兎に角、今生きている事に感謝だ。
改めて「ありがとう」を伝えたい。

産んでくれてありがとうございました。

もう少しこの世界で足掻くから見てて下さい。

まぁゆっくりやっていきます。今更焦っても仕方ないしね。

結局なる様にしかならんのだから。
流れのままに。


続く。

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