人の話聞けない、常識がない、協調性がないと言われた私の医学的理由

私は自分の直感と行動力、思考力を駆使して人生を歩んできたが、それに対して周囲はどう思っていただろうか?

1人で勝手に決めて、他人の気持ちを理解しない。人の気持ちを逆なでして、常識がなく協調性もない。そんなところだ。

当然今の職場で私のことをそう思っている人が大半である。それに対してメチャクチャなこと言って抵抗したし、反省そして改善を試み、たくさん提案もした。しかし、一向に手応えがなく、上司に相談をしても「お前が頑張れ」「お前が考えてなんとかしろ」の一点張りで相談相手もいなかった。

そうして私は何度かうつになった。

何もしたくない、ただボーッと時が過ぎる。あれだけ好きだったこともつまらない。休むことが増えてただつまらない日常。ここまでして生きる意味ってなんだろうか?

つまらなさすぎて、何かしようと思った。散歩に読書、ネットサーフィン、YouTube、先輩に言って作業を手伝わせてもらったりした。


そうやって半年が経ち、改めて自己分析するなかで、私はADHDか人格障害なのではないかという考えに至った。

精神科の先生に診断してもらおう。数件電話をかけ、いちばん早く診断してくれる医院に向かった。

問診票とテーマに沿った絵を描くように指示された。先生の第一声は、

「あなたADHDや人格障害じゃないわ。もしそうなら、こんなに細かく絵は描けない。それに症状を見ても、アレルギー性鼻炎ね。鼻づまりをよくしない?」

話を聞くと、私は耳と鼻をつなぐ管が腫れて塞がりやすいらしい。音を認識するには、耳から鼻に空気が抜けて、鼓膜を振るわせないといけない。私の場合、鼓膜が正常に振るえていない。そのため、音は認識できても、会話の内容を理解できていないことがある。

例えば、大人数で話をすると、すごく疲れる。たくさんの声を聞いてると、話の繋がりが分からなくなる。集中して聞こうとすればするほど分からなくなる。会議などでも自分から発言することなんてできない。

一方で、養われた能力がある。

圧倒的な思考力である。

聞いて理解できないのなら、目で見て考えて理解するしかない。子供のころから、考えるクセがついているのはそのためである。グダグダ説明されても全く理解できないが、お手本を見せてもらえたら、失敗しながらも自分で考えてやり方を理解することができる。

また、子供のころから話を聞かないが故に、自分の世界に閉じこもり、いい意味で子供のような純粋さが私にはある。そのため、思ったことをストレートに言ってしまうこともある。

そんな私を見て、人によっては、話を聞かずに理解できない人間だとか、1人で勝手に決めて行動するやつだとか、ストレートに言われてプライドが傷ついたとか思われていたようだ。

「あなたは、しっかり考えることのできる人だから、周囲の人をよく見て、その人の気持ちを考えれば悪いことにはならない。」

私は内向的な人間ではあるが、そこにはそれなりの理由があった。表面的には分からない理由がある。

人間ってオモロい。

めちゃくちゃそう思った。

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