中途半端な完璧主義

2月にnoteに登録して、毎日記事を公開してきた。

このGWから、土日の公開はたまにお休みすることにしたのだが、
80本近く記事を書き続けたら、文章を書きまくること自体は、何の苦にもならなくなった。


ところが、ここに来て急に記事が書けなくなった。

この連休から、いわゆるスランプみたいなやつ。


平日は仕事があってほとんど書けないから、この連休中に10本くらいはストックしたかったのだが、なぜだか全然書けない。
書けないのなら、書けないということを記事にしてやろうっていうのが今回の記事。


実際は、書けないのではなく、完成しないというのが正しい。
昨日も、5本ほど下書き記事をボツにした。

スランプの原因で考えられるのは、いくつかある。


1つは、過剰なインプット

数週間前から、出社前に1時間ほど読書の時間を作るようになったのに加えて、
今月からNewspicksアカデミア会員に登録したので、インプットの量と濃度が爆発的に上がってしまった。

本やニュース記事を読む量は、少なくとも1.5倍以上になった。
過去のNewspicksのセミナー映像や、過去のNewspicks有料記事を大量にインプットするようになったせいで、正直、脳の処理が追いついていない

内容の整理や理解はできている。

それを元に自分の考えを乗せて、自分の言葉にしようとすると、途端に分からなくなってしまう。

他人の、それも自分より遥かに凄い人達の考えをインストールしまくったせいで、書きたいことは山ほどあるのに、全くまとまらないのだ。


スランプのもう1つの原因が、中途半端な完璧主義

僕は、昔からずっと完璧主義だ。
アウトプットするものは、できる限り完成度を上げたいと思う。
理論の破綻は許せないし、文章のリズム美しさも追い求めたい。
常に、今より少しでも良くしようとするからこそ、永遠に完璧は訪れない。

そして、それを理解している自分もいる。

真に完璧など存在しないことを知っている自分は、確実にいる。
結果、何が起こるかというと、完璧に不完全を演じようとする。

だから、僕のあらゆるアウトプットは中途半端だ。


noteに限ったことじゃない。 ずっとそうだ。

人に何か説明するとき、最初は完璧な理論を組み立てようと試みるのだが、途中で、全ては理解されないということに気付く。
何なら、聞くことを途中で放棄されることも少なくない。

正直、ちょっとしたトラウマというか、コンプレックスだ。

だから、一部の親しい友人を除けば、自分から意見を述べることはそれほど多くない。
「どう思う?」と尋ねられることによって発言を許可されないと、実はちゃんと話せない
自分から発言するときは、頭の中で考えがしっかりと整理されて、分かりやすく説明できそうだと判断したときだけだ。


プライベートでも、仕事でもそうだ。
京都大学の同じ研究室内で、自分の研究内容をプレゼンするときですら理解してもらえないからと、馬鹿みたいに幼稚な言葉で発表したものだ。

難しいことを、誰にでも分かるように説明できる人こそが、本当に頭がいい人だというのは分かる。

それは紛れも無い事実だ。

実際、人は理屈じゃなくて感情で動くから、人を動かせないなら意味が無いってことも、社会に出てよく分かってきた。


でもだからといって、「それじゃ難しすぎて理解してもらえないよ」って、それも最近、納得いかなくなってきた。
こちとらこれを理解するのにどんだけ努力したと思ってんだよ、って感じ。

いやー、愚痴っぽくなってきた。

すいません。

まあ、noteは別に有料記事を出してるわけでもないから、自分の書きたいことを、駄文でもいいから公開すれば、それでいいのだと思う。


だから、書きたいことを書きたいように全部書けばいいじゃないかと。
ところが、そうするとひたすらに長くなる。

そうなると、一回アウトラインを組んで、全部書いて、削るところを削って、修正して、順番を工夫しなおして、記事を分割して、ってやることになる。

だったらもう、ちゃんと時間かけてでも書こうかな。


近いうちに本を出したいとは、ずっと思っている。
実際、一度Amazonで電子書籍を出版しようと書いてみたことはあるのだけれど、
書けば書くほど「もっとこうしたい」が止まらなくて、完成せずにボツになった。

noteで編集者さんの記事を読んでいると、やっぱり専門の人はすごいんだなあって思う。

どうせなら、ちゃんと編集者さんに手伝ってもらって本書いてみたいって、最近めっちゃ思ってる。

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