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【書籍紹介/海外文学】冒涜の限界に挑戦する

すっかり雪も溶けて、そろそろ花粉が辛いM.K.です。

その国、あるいは民族集団、あるいは共同体におけるセンシティブなもの、例えば宗教や政治やセクシュアリティのタブーを揶揄して笑い飛ばすという行為は、部外者がやると顰蹙ものだが、内部の人間が自虐的にやるとき、無性に面白く感じてしまったりする。

あるいは、タブーをやぶることそのものが現状への反発・抵抗・批判を意味することもある。昔、東京都知事選の政見放送で、中指を突き立ててメンチをきった外山恒一という人がいたが、あれは政見放送特有のルール(放送主体であるNHKは政見放送の内容に口出しできない)を逆手に取った鮮やかな選挙批判だったと一部では伝説になった。

でもそれが紛争に発展しかねないような不可侵なものを対象とする時、ひりついた落ち着かない感覚、笑っていいのか戸惑う感覚と共に、そもそも何故こんなことがタブー視されているんだっけ?タブーを破るとどうしてこんなに居心地悪く感じるんだろう?タブーってなんだっけ?という根本的な疑問がわいたりする。

今回はそのタブーを全力で、限界まで侵そうとする、イスラエルの意欲的な短編集を紹介します。


ウズィ・ヴァイル
『首相が撃たれた日に』

日本でも安倍前首相が銃殺される事件がありましたが、イスラエルでもイツハク・ラビン元首相が過激派のユダヤ教徒に暗殺されています。この表題作は、ラビン暗殺の直前に上梓されたため、暗殺を予言した…として(半ば不本意な形で)話題になったようです。

今回はその表題作ではなく、『嘆きの壁を移した男』という作品を取り上げてみたいと思います。以下、あらすじです。

僕の元に友人のルガスィから電話が掛かってきて、今すぐ「嘆きの壁」まで来てほしい、という。
駆けつけると、500m手前のバリケードで、ドルーズ族の警備員に停められる。
彼らは「嘆きの壁」は今改修工事中だから入れない、と言う。
僕が自分の名前を明かすと、何故かベギンの息子ということにされてしまい、恭しく通してくれた。
大型トラックが30台も停まっている先に、かつて60mほどの巨大な石壁だったはずの「嘆きの壁」が、ほんの数段の石垣に成り下がってる。
作業者たちが次々と「嘆きの壁」を解体してトラックに石を運び入れる間、僕はルガスィに事情を聞く。
ラビンが暗殺された日、彼は「嘆きの壁」に祈りに行った。すると道中「ラビンが死んで良かったな」と声を掛けられる。帰り道には、「暗殺者だらけの宗教野郎に反対するデモに行こう」と誘われる。
嫌気がさした彼は、「嘆きの壁」をそっくりそのままテルアビブに移してしまう事にしたのだ。
計画はうまくいき、テルアビブの高級ホテルが立ち並ぶビーチに、「嘆きの壁」が再び建った。
エルサレムの方は壁が突然消失したにも関わらず、勝手に「壁の修復中」と信者に答えるラビの言葉を真に受けて、意外とパニックは起きず平穏だ。
しかし、テルアビブの方で事件は起きる。
テルアビブ市長が壁の事を知り、観光資源として目をつけたのだ。
手始めに壁の名前を「イスラエルの王の壁」に改名する。
7色に変化する塗料が塗りたくられ、音響機械が自治体のCMとイスラエル音楽をガンガン流し始める。
フェスやショーと共に、イスラエル国防軍の選手権大会が開催。
兵士が壁を懸垂下降するのを見て、友人はショックで寝込んでしまった。
やっぱり壁を戻そう……。
そうして壁は何事もなかったかのように、再びエルサレムに建ったのだった。

この記事のサムネイルが「嘆きの壁」ですが、言わずと知れたユダヤ教の聖地を「壁」と「土地」に切り離し、「壁」のみを金の力で勝手に移転させてしまう……という仰天のタブー小説です。いや……こんなの書いて大丈夫なのかな?

このスリリングな作品を是非とも紹介したくて、いざ記事を書き始めたのですが、その内この作品を深掘るためにはイスラエルを取り巻くいろいろな前提知識が必要だという事に気付き、これを調べるのがまた大変で……。私自身イスラエル問題にさほど詳しくもなく、また部外者がいろいろ言っちゃっていいんだろうか、という葛藤もあり……。note更新が遅れてしまったのはそのせいです。


イスラエルという国(立場表明)

2023年10月のハマスによる音楽フェス襲撃、その報復としてのイスラエルによるパレスチナ侵攻で、最近つとにイスラエルの国名を聞くことが多くなりました。
諸悪の根源が英国の三枚舌外交にあり、またシオニズム運動が西欧各国のユダヤ人差別によって高められ、ロスチャイルド家などのユダヤ系財閥の支援もあってパレスチナの地に建国された国……というくらいの知識は、ニュースを見ているだけでも獲得できると思いますが、様々な情報が飛び交う中、どの情報を拾い上げ、どれを捨てるのかだけでも、大きな恣意性を孕んでしまう。イスラエルについて話すのが本当に難しい局面にあるなと感じます。
なので私の思想的立ち位置を先に伝えた方が良いかと思いますが、部外者が口出しすべきかどうかは一旦置いて、私はイスラエルよりもパレスチナ側に共感が強いです。それはパレスチナ側から近代史を見ると、一貫して土地や生きる糧を奪われ、虐げられ続けていると思われるからです。
多くの場合、戦争し、占領して植民し、領地に組み込む……というやり方で、イスラエルの領土は形成されており、パレスチナは常に奪われる側でした。
イスラエル政界で、時々パレスチナ人を人と思わないようなとんでもなく酷い発言をする人間が出てくるのも、過剰な憎悪とともに、一貫して搾取され続ける人々への侮蔑と優越があるのだと見えてしまいます。
とはいえこれは戦争であり、(著しく非対称とはいえ)互いに人間を殺し合っているのですから、どちらがより異常だとか、非人間的だとか、一様に言い切れないとも思います。

本作品は今回のパレスチナ侵攻以前に発刊されているものなので、ひとまずポジションの話はこれくらいにして、作品を理解する手掛かりとなる情報を整理していきたいと思います。


「嘆きの壁」とは何か

イスラエル旧市街にあるユダヤ教の聖地であり、ヘロデ王時代(紀元前20年ごろ)に存在したイスラエル神殿の外壁の一部だそうです。「嘆き」とは、神殿を古代ローマ軍が破壊してしまったことへの「嘆き」であると言われています。古代からユダヤ教徒達は皆ここで壁に額を当てて祈るので、壁の一部が黒く変色しています。
ところでこの壁は「神殿の丘」という場所にあり、実はここにはムスリムの聖地「岩のドーム」があります。調べていて驚いたのですが、一帯はイスラム教の宗教指導者が管理しており、ムスリム以外の礼拝は禁じられていて、訪問のみが許されているのだそうです。つまり壁でミサはできないのです。もともとムスリムが居住している地域にユダヤ教徒が入植してきたのだから、こんなセンシティブな状況になってしまったのでしょうが、想像以上に一触即発な環境に驚きました……。
ところで1929年、当時は英国委任統治領パレスチナでイスラエルはまだなかったのですが、「嘆きの壁」事件がおこりました。ユダヤ人のシオニスト達が「嘆きの壁」の前に集まり、「壁は我々のものだ!」と叫び、アラブ人を刺激。翌日にはムスリム達が抗議デモで「嘆きの壁」前まで行進し、壁に挟まれた祈りの紙などを燃やしました。これで両者の対立は歯止めが効かなくなり、暴動や虐殺事件にまで発展して数百人が命を落とし、ユダヤ人とアラブ人の対立を決定的にしたと言われています。
それだけではなく、ユダヤ人の中でもムスリムに対して寛容に接するか、強権的に接するかで対立が深化します。
「嘆きの壁」はユダヤ-アラブ間だけでなく、ユダヤ人の中のハト派-タカ派をも分断する文字通りの壁のようにも見えます。


エルサレムとテルアビブ

そんな分断の象徴たる「嘆きの壁」が、物語ではエルサレムからイスラエル第二の都市テルアビブに移されます。テルアビブは地中海に面した経済の中心地、多くの外資系企業が進出する摩天楼です。写真で見てみると、アメリカのカリフォルニアみたいなイメージでしょうか。様々な民族・宗教が入り混じり、外国人も多く、人口は300万人弱ほどだそうです。
否が上でも民族・宗教を意識させられ、政治的な断絶も深いエルサレム旧市街から、すべてが入り混じり混沌とした経済都市へ壁を移動させること。
俗世的なものを壁から遠ざけ、再び純粋な神聖性を取り戻そうとするルガズィの思惑が窺えます。


ドルーズ族の警備員・労働者達

ドルーズ族はイスラム教シーア派から派生した宗派を信仰する集団。イスラエルには14万人ほどが暮らしているそうです。主流派イスラム教からの迫害対象だったことも影響してか、イスラエルとの緊張はそれほど高くないようで、多くのドルーズ族がエルサレムをはじめとしたイスラエル国内に職住を持ち、自らを「イスラエル社会の一員」と考える人も多いそうです。
面白いのは、基本的に外部の人間がドルーズに改宗することはできず、両親がドルーズの子孫のみがドルーズだとされることです。そのため共同体の頭数を減らさないためにも同族間での婚姻を厳しく規定しているようです。
つまり彼らはユダヤ教はおろかイスラム教とも断絶した、非常に閉鎖的な宗教集団を形成しながら、イスラエル社会に深く組み込まれています。
また、「嘆きの壁」を解体するというショッキングな土木工事を行っているのは外国からの出稼ぎ労働者です。
両者とも、イスラエルの周辺に存在し、宗教的にもイスラエル人と何一つ共有しない、社会の内部に組み込まれた他者なのです。

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ベギンとは誰か

主人公の僕は、ドルーズ族の警備員に「ベギンの息子」と勘違いされ持て囃されます。
メナヘム・ベギンは、右派リクード党の指導者で、1977年から83年まで首相を務めた人です。なぜ警備員がベギンを英雄視しているかというと、イスラエル建国以前――つまりナチス・ホロコーストの時代に、ユダヤ人による非公然武装組織イルグンの指導者だったからです。つまり、イスラエル人からすれば建国の英雄ともいえる存在なのです。
ただし彼の攻撃対象は、当時パレスチナを支配していた宗主国イギリスだけでなく、そこに住んでいたアラブ人――すなわちパレスチナ人にもおよび、虐殺事件も起こしている上、「パレスチナ人は二本足で歩く野獣である」という差別発言も残しています。
イスラエル問題について考える時、いつも不思議に思うのですが、パレスチナ人を人間と思わないような極端な差別意識剥き出しのユダヤ政治家が、何故かノーベル平和賞を取ったりするのです。
彼も、エジプトとの国交正常化(いわゆるキャンプ・デービッド合意)に貢献したとして1978年にノーベル平和賞を受賞しました。しかし翌年にはマザー・テレサが受賞しているんですよね……。この落差……。
また、1980年にはエルサレムをイスラエルの「不可分かつ永遠の首都」と宣言するエルサレム基本法を採択したそうです。この行為もイスラエル人に「英雄」と目される所以かもしれません。


ラビンとは誰か

ルガズィが「嘆きの壁」を移転するきっかけとなったラビン暗殺事件、そのラビンとは誰か。
イツハク・ラビンは左派労働党の党首であり、第6代・11代の二度にわたり首相を務めた人です。ベギンのちょうど10歳年下に生まれました。
ベギンが非公然の武装組織に属していたのとは対照的に、彼は英国統治下パレスチナの陸軍士官学校を卒業して軍人となり、第二次世界大戦や中東戦争を戦っています。
首相就任後、1993年にはパレスチナのアラファト議長と歴史的な「オスロ合意」を行い、1994年にノーベル平和賞を受賞しています。
そして翌年、テルアビブの平和集会に参加していたラビンを、中東和平反対派のユダヤ人青年が銃殺したのです。
この事件をきっかけにイスラエルの世論は右傾化し、その余波は2023年10月に始まったハマスによる攻撃と、報復としてのイスラエルによるパレスチナ侵攻へと及んでいくのです。

ここまで書いてピンとくる方もいると思いますが、ベギンとラビンは非常に対照的な、コインの表と裏みたいな人物像なのです。イスラエルは常に「ベギン的」にいくか、「ラビン的」にいくかで揺れ動いてきたと言えます。そしてラビンが暗殺されてから急速に右傾化していく有様を、著者は「主人公がベギンの息子に間違えられてちやほやされる」という描写を使って暗喩していたのです。


何を書こうとした作品なのか

ここからは私なりの作品の解釈です。

ここまで見てきた中でも、いくつかの暗喩がちりばめられた比較的ハイコンテクストな作品であることは間違いないのですが、では著者はこの作品で一体何を言わんとしているのか?

タブーを破ることは時に現状への反発・抵抗・批判となると冒頭述べましたが、では一体何を批判しているのか?

まず分かりやすいのは資本主義批判でしょう。テルアビブに「嘆きの壁」が移ったあとの、あのきわめて醜悪な観光地化は、ユダヤ人のアイデンティティでもあるはずのユダヤ教信仰が、資本主義によって容易に曇らされてしまう恐ろしさを描いています。それは宗教的タブーを侵すことによるユダヤ教の伝統的秩序への挑戦であり、グローバル経済のユダヤ教への侵略である……という風にも取れます。
ここから翻って、イスラエルの特殊な状況を理解しようとせず、単純な営利目的だけで駆動する国際社会と、それに盲目的に迎合するユダヤ人権力者への批判があるのではないかと、私は解釈しました。

もう一つはユダヤ教批判ですが、これはちょっと複雑で、著者はユダヤ教そのものを批判しているのではなく、そこにくっついている俗的なものや、それによって信仰心を曇らせてしまう信者たちを非難しているように見えます。壁を移設することで政治的なものから壁を遠ざけようというのは前述のとおりですが、壁が無くなってしまったあとのエルサレム旧市街の、ちょっと嗤えてしまうような描写――ラビの言葉を信じ、壁が忽然と消えてしまったことに疑問を持たない信者たち――さらには自分も事情が分からないのに混乱を避けるため勝手に「壁の改修工事中」と答えるラビたち――は、本当に純粋な信仰心を持っていると言えるだろうか?見せかけの信仰心の裏に、打算的で迎合的な考えがあって、壁が無いことでそれがより浮き彫りになる……という効果を期待しているのではないでしょうか。

最後に、この作品は「記憶の場」の存在を提示している作品だと思います。
エルサレムという聖地から「嘆きの壁」という聖遺物を無理矢理切り離すという行為は、その物理的な意味を超えて、社会的に大きな意味を持っています。「記憶の場」です。
私達日本人は、「原爆ドーム」が広島にあることを誰でも知っていて、それが広島に起こった悲劇=原爆の象徴であることも理解しています。その時広島にいて今も存命の方は僅かですが、にも関わらず私達は共通した「原爆」のイメージを持っていて、「原爆ドーム」はそれと分かち難く結びついています。こういうのを社会学用語で「記憶の場」と呼び、多種多様な人々を「日本人である」という意識で結びつける役割を果たしてる、ということです。
たとえばもし「原爆ドーム」が東京に移設されたらどうなるでしょうか。広島-原爆-原爆ドームのイメージの結合が緩んでしまうような気がしないでしょうか。誰もが原爆ドームに同じようなイメージを抱いていた筈なのに、場所が移されたら皆が持つ少しずつイメージが変わり、私達を結び付けていた「日本人である」という紐帯が緩まってしまうのではないか。
「嘆きの壁」についてもおそらく同じで、それが神殿の丘にあることで、イスラエルの人々は全員が共通したイメージを持ち、それが多くの人々を「イスラエル人」として自覚させる一つの要素となっていると考えられます。
しかし壁がテルアビブに移設されたとたん、皆が持っていた同じようなイメージ――神聖であり悲哀でもあるイメージが破壊され、だからこそ名前も「イスラエル王の壁」に改名できてしまうし、とことん観光地化できてしまう。

タブーというのは「記憶の場」と深い関係にあり、「記憶の場」が国民国家の形成に大きな効果をもたらすものであるとすれば、タブーをやぶることはそれを解体し全く異なる秩序・法則でそれを捉え直すことである……という風に言えるかもしれません。

この作品にはパレスチナの人々へのまなざしや、パレスチナ問題への言及はほとんど無いのですが、"イスラエル人"という近代に作り直された概念をもう一度正面から見つめ直してみようという強い意思を感じられ、そういう意味では、間接的にパレスチナ問題の根幹に触れようとしているのではないかと、私はそう思いました。
皆さんはこの作品をどんなふうに読まれるでしょうか。

また長くなってしまった……!ここまで読んでいただきありがとうございます。

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